08
クロードに夕飯をすすめられたが、どうにも食欲がわかなかった。重い石が胸をふさぎ、胃を占領しているようだ。
首をふって断って、車で家まで送ってもらった。別れ際、
「役に立たなかったばかりか、まずいことをしたかも……」
顔をみないでつぶやくと、クロードはヘンリーと似た大きな手で由紀夫の頭を撫でた。
「いいんだよ。気にしなくていいんだ。ありがとうユキオ」
ドアが閉まると、車内から手をふるクロードに手をふりかえし、玄関に続く数歩の階段をあがった。
*
気の乗らない週末を過ごし、珍しく快晴の朝を迎えた。
クラスメイトに貸してもらった白いハンカチを洗濯し、アイロンをあてて畳んだものをカバンに入れてあった。眼鏡の子、眼鏡の子と顔をおもい出して、気をまぎらわせながら石畳の登校通路をゆくと、後方から靴音がした。
皮靴が軽快に石をけっている。コツコツコツコツ……。
ふりむくと、両手をズボンにつっこんだヘンリーが、気楽そうに歩いていた。
「ヘンリー! 何してんだよ」
「ユキオを待ち伏せしようとして寝坊したんだ。追いかけてるところ」
そういって肩が並ぶと、追いついたとヘンリーは笑顔をみせた。しっとり雨に濡れる金糸の髪も絵になるが、はっきりした太陽光のもとではヘンリーは眩しいほどだった。
「だ、大丈夫なのか」
「何が」
「何がって」
口篭もる由紀夫の肩を抱き寄せると、ヘンリーは歩調をあわせた。
「だいぶいいんだ。医者もびっくりしてる。数日前まで混乱の極みだったから。でもぼくはわかったんだよ」
「わかったって何が」
「朝食は美味しかった?」
話が飛ぶところは変わってないなあと、由紀夫は呆れたおもいでヘンリーを見上げた。しかし、キラキラした男だ。光をまとっている。
「昼食をまた一緒に食べよう。まえの場所で、クロードもいるよ。今後について話しをしたいんだ」
「今後?」
タンレス島のロイヤルファミリーは、王家に夢見る海外の国々にも人気がある。フレンドリーでいながら気品があり、だれもかれもが王子さまお姫さまそのままをあてはめてもいい容貌をしていたからだ。
「そう、ユキオが日本の大学に行くなら、ぼくも日本に行こうとおもって。とりあえずイギリスの大学進んでおくから、ユキオの進路がはっきりしたら留学する形になるとおもうんだけど」
なぜだ、なぜそういう話になっているんだ。
もしこのキラキラした皇太子のはとこのヘンリー卿が、日本にやってきたら、どれほど目立つとおもってるんだ……。
「ユキオと一緒に生きていくって決めたから。どんどん一緒にやっていく計画をたてよう、な、ユキオ」
ぽかんとしている間も足はうごき、学校の塀がみえてきた。
遅刻しなくてよかった、ヘンリーがつぶやき、由紀夫に優しく微笑んだ。
まるで数日前の、ことばにしなかった心の声をきかれていたようで、由紀夫はかっと頬を赤く染めた。
だれのものでもなく、自分にだけ向けられる微笑み。欲しいとおもったもの。
向けられてみると、それはとても強烈で、抱き寄せられた腕を外すことなどおもいつかず、由紀夫は人生の同伴を申し出た相手と最初の一歩を踏み出し、学校の門をくぐった。
完結
このあと番外編が続きます。