07
「ユキオ、ぼくはきみがユキオだってわかってるよ」
驚いて目をやると、ヘンリーはカップを手に目だけ笑っていた。
「みんながあんまり、ショーンのことをないがしろにしたから、ちょっと困らせたかっただけなんだ」
「お、おいヘンリー」
本当に? すべて演技だというのか? あの数々の言葉も行動も、笑顔も?
「実際きみはとてもそっくりで、少し混乱はしたんだけど」
カップをテーブルに置いて、顎に手をおき首をかしげている。
(おいおい、混乱したんじゃないか……)
なんといいかえせばいいのか迷っていると、ヘンリーはつづけた。
「ショーンは、いい子なのに、好きで王族に入ってきたわけでもないのに、なにもあんなに露骨に差別されることはなかった……かれは、素直で気が小さくて、一緒に高校に通うのを楽しみにしていたのに」
じっと白いティーポットをみつめながら、ヘンリーは喋った。
「かわいかったよ、すごく……かわいそうなショーン」
手で目元を覆うと、ヘンリーは黙った。由紀夫はお尻をもじもじさせたが、やはり何をいっていいのかわからなかった。
「返事がほしかったな」
「返事?」
目があった。乱れた髪から青い瞳がのぞく。熱い紅茶を飲んだのに、どうしてまだ唇に色がもどらないのだろう。
「――愛してるっていったよね、ショーン。本気だよ。きみがこの家を嫌うなら、一緒に家を出ようっていったよね。きみが淋しいなら一切パーティにも公式行事にも出席しない、きみをおいていったりしないっていっただろう」
「え……」
テーブルをまわって、ヘンリーは床に両膝をつき、座っている由紀夫の手を握った。下から顔をじっと見上げる。
「きみは……そんなことすることないっていった……、母さんが幸せな結婚をして、父親と兄さんができて嬉しいっていった。部屋でひとりでいるのは淋しくないって……ぼくも愛してるって……ずっと、ずっとそばについていたかったのはぼくの方だ。ぼくがそうしたいっていったら、きみは困ったような顔で笑った。ねえ、ショーン、ぼくは本気だっていったよね。本気で好きなんだって、愛してるって」
由紀夫はあんぐり口を開けた。握られた手に汗をかく。強くつかまれ振りほどけない。
「ヘ、ヘンリー……おれは、ショーンじゃないから、答えられないよ……」
「どうして」
「どうしてって」
「ぼくのこと嫌い?」
青い綺麗な瞳が、ひたと見上げてくる。色をなくした唇は、たよりなげに小さく開いて子供のようだ。由紀夫は困惑に眉を寄せた。
「愛してる。愛してるよショーン。ひとりにさせないよ絶対」
ソファに並んで座ると、ヘンリーは片手で手を握ったまま、由紀夫の肩を抱き寄せ、耳元でささやいた。由紀夫は身を強張らせ、反対側に体重を寄せた。
「よせよヘンリー。おれはユキオだよ、ほら日本人で転入生の」
「ショーン……」
気づいたときには、口をふさがれていた。冷たそうに見えた唇は熱く、肩を抱く手は大きく強かった。由紀夫はあわてて、足をばたばたさせた。手をひくと、引っ張り返される。
テーブルを蹴って大きな音をさせたが、ヘンリーは力まかせに由紀夫を押し倒した。腕におさまる由紀夫を、何度も抱きなおし、抱え直してキスを降らせる。
「や、やめろ……って、……ヘ……リー」
しばらくして動きをとめたヘンリーが、真っ赤な顔をしている由紀夫を見下ろした。愛しくてたまらないと、ただ微笑みだけを浮かべ、目は細められ、頬がほころび、唇は赤く、柔らかだ。
由紀夫はとっさに、その頬をぶった。突然のことにヘンリーは上体を崩し、由紀夫はその隙にヘンリーの下から逃れる。
「バカ……! そんなに好きなら相手を間違うなっ」
「ショーン!」
「違うっ」
そういいながら、由紀夫はメイドが出入りしたドアに飛びついて開いた。そのまま廊下に一歩ふみだしたが、強い衝動をおぼえて、部屋をふりかえった。
ヘンリーはソファに片膝をのせたまま、茫然とした顔をしていた。
「……なあ、おまえまさかショーンにいまみたいなこと強要してたんじゃないだろうな」
ドア枠を握り、いつでも廊下に避難できる体勢で、声を低くしてきいた。ヘンリーはまばたきした。
「何? いってる意味がわからない」
「じゃあ、ショーンはおまえを殴ったことがあったか?」
かすかにヘンリーが首を振る。
「目を覚ませヘンリー。本当はわかってるんだろう? ショーンは死んだ。おまえが好きだったショーンは亡くなったんだ。どうしようもないじゃないか。そうやって認めないで、追い求めてたらショーンを好きだった自分にも、ショーンにも失礼だろう。そうじゃないか?」
唾を飲みこみながら、由紀夫は及び腰になりながらいった。
「ショーンを大事におもってたヘンリー・メイソンは、弟と一緒に付いていったんだよ。きっとそうだ。だってそんなに好きだったんだから。――だから、だからここにいるヘンリー・メイソンはさ、生きていこうよ」
ことばにはしなかったが、付け足していた。
おれと生きていこう。
あんなに綺麗な微笑みは、おれを通してショーンに向けるんじゃなくて、もうおれにしておけよ。目の前にいるおれにしておけ。
ヘンリーはソファの背に手をおくと体を起こし、由紀夫に目もやらず元きた部屋に去っていった。由紀夫は無力を感じながらその背を見送った。