06
放課後、門のまえで立っていたクロードに、由紀夫は無言でついていった。
いったん学校の敷地にもどり、駐車場に進んで行く。車のそばまでくると、運転手がふたりのためにドアをあけた。
「いいのかユキオ」
「うん」
ふたりはそれきり黙って乗りこんだ。車はゆっくり出発した。広い緑の敷地を抜けると、石造りの街並みが続く。空は曇りで、色も濃く、いつ雨が降ってもおかしくなかった。
「どれくらい時間がかかるかな。家に電話しておいたほうがいいかな」
「そうだな、夕食を一緒にとろう。遅くなったら車で送るし、泊まってくれてもいいから」
差し出された電話器をうけとり、由紀夫は家にかけた。電話にでた母には、友達の家に寄り夕飯もいただくからと話した。
かけおわった電話器をかえすと、クロードがじっと由紀夫をみつめていた。
「何?」
「――どうして気が変わった?」
「一言じゃいえない」
クロードはふっと笑うと、そうかといった。
「クロードはショーンとよく会ったり、話したりしたの?」
背を深くシートにもたれさせて見上げると、クロードは困ったような顔をしていた。
「……いや、ショーンは病弱でほとんど家のなかばかりで、おれはメイソン家にはほとんどいかなかったから。パーティの席にもショーンは出てこないし、ヘンリーからきいてたくらしか知らないんだ」
「そうなんだ」
「おれの知ってるかぎりじゃ、ショーンのことをつねに気にかけていたのはヘンリーだけだったな。ショーンのお母さんも、公務で忙しそうだったし」
話をきくと、由紀夫は力なく笑った。
きけばきくほど、ショーンの孤独が迫ってくる。パーティだって、おそらく体が悪いばかりじゃなく、そのほかの理由で出てこないじゃなく、出られなかったのだろう。
車は順調に走っていた。
*
立派だが、地味な建物だった。柵に続いた門には警邏服を着た兵がひとりだけ立っていたが、装飾品のようだった。
車のドアが開けられると、クロードが先におり、由紀夫も続いた。
「こっちだ、ついてきてくれ」
制服姿のクロードは、由紀夫に声をかけてどんどん進んでいく。
赤壁の邸内は静かで薄暗かった。空気まで重い。メイドがひとりちらっとみえたが、一階奥の部屋にいくまで人影はなかった。
物が倒れる音がした。
ふたりははっと顔をむけたが、クロードは音がしたのとは違う部屋のドアをノックして、入っていった。
飾り暖炉のある部屋には、地味な洋装の男がふたりソファに座っていた。
「おかえりクロード卿」
「これはお帰りに気づかず失礼しました」
「いえ、ふたりに紹介します。転入生のユキオ・オダくんです」
壮年のふたりは、由紀夫を目にすると顔をこわばらせて腰をあげた。
「ユキオ、こちらはファインズ医師と、メイソン家の主席執事ギャスケルさんだ」
「こ、こんにちは……」
「やあ、どうも、きみがユキオくんか」
室内でつながっているドアにクロードは目をやった。
「どうですか」
「変わりないよ」
「それじゃあ……ユキオ、いいか」
「うん、ヘンリーはこっち?」
ドアノブをひねりながら、三人の男に目をやり、由紀夫は部屋に入っていった。
(あ、ノックするの忘れた……)
開けてから気づく。
背後で重いドアが閉まる。続きの部屋は、先ほどより広く、中央壁よりにベッドがあった。厚い絨毯のうえに椅子がころがっている。飾りスタンドライトが壁に斜めによりかかり、穴をあけていた。
カーテンが半分あいており、窓から繁っている木々に雨が降り注いでいるのがみえた。
「降り出したんだな……なあ、ヘンリー」
長身の若い紳士は、乱れた髪をそのままにもたれていた壁から離れ、窓をのぞいた。
「――雨、また雨か」
見上げる横顔は、どこか虚ろだった。
「温かい国だけど、さすがに夜の雨は冷たいよな」
返事もせず窓にもたれると、ワイシャツにスラックス姿のヘンリーは寒そうに両腕を抱いた。うつむくと、前髪が目を隠す。唇は赤味がなく、本当に凍える人のようだった。
「寒いのか、ヘンリー」
由紀夫が手をのばして腕に触れても、ヘンリーは反応を返さなかった。
「学校、休んでたんだって?」
長い指で、ヘンリーは前髪をいじった。
「おい――おい、ヘンリー、おいったら」
由紀夫を見下ろしてもヘンリーの顔色は変わらず、窓から離れると、ベッド脇にあるドアの方にむかった。まださらに奥には部屋があるのだろう。
「なんだよ無視かよ、いいよもう、おれは帰るからな」
会うだけ会ったし、役に立たなかったのだから仕方ないと、胸に痛みをおぼえながら由紀夫はヘンリーに背をむけた。入ってきたドアに突進しようとして、床の倒れていた椅子の足にひっかける。
「おわ!」
絨毯に吸いこまれて大きな音はしなかったが、由紀夫は四つん這いになった。
「もーなんだよ、びっくりした……」
身を起こそうとすると、大きな手が背中を支えた。見上げると、ヘンリーがよこで片膝をついている。
「大丈夫か」
「……うん」
返事をすると、ヘンリーはいつもし慣れている手つきで、由紀夫の額に手をおいた。
「熱はないな、どうしたい? ベッドにいくか、なにか飲むか」
由紀夫を立ちあがらせると、ヘンリーは先ほどまでの能面が嘘のように、優しく微笑んだ。由紀夫は胸がしめつけられた。
「な、なにもいらない」
「そういうなよ。ぼくも飲むから」
部屋付きの電話で何事かいいつけると、ヘンリーは由紀夫の肩を抱いて奥の部屋に入っていった。そこは書き物机とソファだけがあった。
ソファに向かいあって腰かけていると、ドアにノックがあり、若いメイドが紅茶を運んできた。テーブルに置くと、静かに退出していく。
ティーポッドから、ヘンリーは手早くふたつ分カップに注いだ。ミルクもたっぷり入っている。すすめられて、由紀夫は口をつけた。濃厚で、まろやか。
「美味しいな、これ」
カップを皿にもどすと、ヘンリーが意外なことをいった。