05
昼の誘いもなく、廊下ですれ違うこともなく、平穏に由紀夫の異国での学校生活はすぎていった。
いちど由紀夫が不在の折りにクロードがあらわれて、ノートのコピーをたくされたクラスメイトから受け取った以外は、ふたりと接触することがなかった。
クロードのノートは、なめらかな筆記体で、ポイントよく各教科がまとめられていた。由紀夫は学業についていくために、種種の考えをおしやってしばしそのコピーをたよりに、勉強に没頭した。
(お礼をいわなきゃな)
ずっとそうおもってはいたのだが、どう連絡すればいいのかわからなかった。まさか電話番号がわかったとしても家にするのははばかられた。だって王家にするってことなんだろうし……。なんていえばいいのかわからない。
教室を訪問してみようと何組かクラスメイトにきき出してはおいたが、二年生界隈へひとり旅するには気後れしていた。
(偶然に出会わないかな)
どんどん日にちがたっていく。
「ユキオ」
昼のテラスからひきあげているときだった、木の影から、すらりとしたクロードが黒髪に葉を一枚ひっつけてあらわれた。
「あ、クロード、ちょうどよかった。ノートのコピーありがとう。すごく助かったよ」
「ああ、それはよかった――ちょっといいか?」
由紀夫にいうというより、まわりにいたクラスメイトにいったようだ。
その場には由紀夫とクロードだけが残った。クロードは自分で頭の葉に気づき、邪険にとる。葉がひらひらと落ちていく。
「今日の放課後か、明日に時間とれないかな。ヘンリーに会ってほしいんだ」
「ヘンリー?」
葉は、クロードのはいている皮靴のそばに着地した。じっと目でおっていた由紀夫は顔をあげた。
「ああ、ずっとここのところ学校にでてきてないんだ」
それって……。由紀夫は思わず眉をしかめた。
「それって、おれにショーンのふりして会えってこと?」
「ふりはしなくていい、顔だけみせてやってくれ」
ウエーブのかかった黒の前髪が、整った目元に影をつくって美しかった。由紀夫は、何度か息をはいて返事をした。
「クロード、悪いけど……」
「ユキオたのむ、ヘンリーのためなんだ。あいつ、あのままじゃ王立病院にほうりこまれる」
ほうりこまれてなにがいけない? その疑問が顔にでたのだろう、クロードは怒ったような色を目に浮かべた。
「皇太子のはとこが、精神を病んで入院じゃ、マスコミがうるさい。いいか由紀夫、ここは狭い島国なんだ。どれだけ隠しても入院となったらいつか暴かれる。主治医が家でみている分には、緘口令がいきわたっても外じゃ無理だ。国民は王族の話題が大好きなんだ、とくにヘンリーは血が近い、かっこうの餌食だ。わかるだろう」
話しているうちにクロードの怒りは冷静なものにかわり、愛嬌のある笑みを口の端にのせた。
「人気者は辛いんだよ――たのむよユキオ」
「あ、あいにくだけど、違う人をみつけてくれ」
きっぱりといいきると、由紀夫はクロードに捕まらないように身をひるがえして去った。
*
クロードのいいぶんもわかる。わかるが……、ヘンリーにじっとみつめられ、微笑まれながら自分の名前でない名を呼ばれるのは、なかなかショックが大きい……、由紀夫は汗をかきながら教室にもどると、肩を上下させて呼吸をととのえた。
ヘンリーがショーンを失った衝撃で精神をおかしくしたって、それはそれだけショーンを大事におもっていたってことだ。だったらそれでいいじゃないか、ショーンを忘れないでいてあげればいいじゃないか。
いつまでもショーンに笑いかけていればいい……。
席につき、つぎの授業の準備をしていると、ふいに泣きたくなった。ひゅうっと息が不規則になる。
もうこの世にいない人物に、あんなに、あんなに綺麗に微笑んで……ショーンはもういないのに。
「オダくんどうしたの、頬痛い?」
「え?」
よこを向くと、眼鏡をかけた女子生徒が人差し指で自分の頬をさしていた。由紀夫がテニスボールをぶつけたあたりだ。
「い、痛くないよ」
痣もほとんど消えかけてる。そうおもって頬に手をやると指が濡れた。
「これ使って」
いままでいちども口のきいたことのなかった子のはずだ。その親切に、由紀夫はよけい泣きたい気持になった。このままもっともっと泣きたい。号泣したい。声をあげたい。
お礼をいって白いハンカチを借りた。
ヘンリーもショーンも、かわいそうだ。
世のなかから理不尽なものを一掃してしまいたい。巨大な欲望。
涙をふくと、赤い目をして由紀夫は黒板をにらんだ。