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03


 午後の体育の授業はテニスボールだった。運動着に着替えてテニスコートへむかう森沿いの道で、由紀夫は同級生からふたりの正体をおそわった。

 一つ年上のかれらはいとこ同士。

「どうやってヘンリー卿とクロード卿と知り合ったんだよ」

「偶然だよ」

「どんな?」

「昨日、午後に迷子になった時に、温室にいたんだよふたりが……」

 ヘンリーが自分のことをショーンと間違い取り乱していたことなどはふせて話した。


 いとこ同士のかれらは、ついでに現・皇太子とははとこ同士。


(上流だろうとはおもっていたけど、そこまでいってたのか)

 想像もつかない展開で、由紀夫はぼうっとしたまま授業を受けた。

 ひとつ気になったことがある。

(ふたりが王族の親戚筋だったら、じゃあヘンリーの弟に似ているおれに反応するのがヘンリーとクロードだけって、どういうことだろう)

 並のタレントより王族が人気のこの国で、ショーンだけ知られてないとは考えられない。四ヶ月前に亡くなっているのならなおさら記憶が残っているだろう。


(おれと似てるってことは、ぱっとしないからってことか?)


 ヘンリーやクロード並の美形ぞろいだとしたら、さぞかし影が薄かっただろう。しかしロイヤルマニアなこの国の人々が見逃すだろうか。

(父さんにきいてみようかな)

 たしか母が、タンレス王族マガジンを購入してなかっただろうか。

「ユキオ、次だぞ」

「ん、ありがとう」

 立てかけておいたラケットを握り、腰をあげた。コートからは激しいラリーの音があちこちから響いている。

 由紀夫は体を伸ばし、足の屈伸をすると左右もみずにするするとコートに足をいれた。



 頬にテニスボールが直撃して、自分がよろめいたところまでは覚えている。ベージュの天井を見上げながら由紀夫は記憶をたどった。

 その後、なんとか倒れまいと数歩すすんだのが悪かったのかもしれない。たしかあの方向には石のベンチがあったはず。そしてこの痛み。

 右頬には湿布がはられ、左頭部にはアイスノンがおかれていた。

 体を動かすとシーツが重く、視界の隅に金髪が見えた。

「ヘンリー……」

 名を呼ぶと、整った顔があがった。目が赤い。眉は心配げに寄っている。

「大丈夫だよ」

「そういって無理しないで、ショーン」


 この鬱陶しさは手を焼くってレベルじゃないぞ……。


 由紀夫は身をおこした。慌てたように長い腕がのびてくる。

「起きちゃだめだよ」

「平気だよ」

 シーツをはいで足をおろそうとすると、ヘンリーは体で阻止するように横にうごいた。

「お願いだショーン、愛してるんだ。きみになにかあったら、ぼくは耐えられない。もうちょっと安静にしててくれ、すぐに車を呼ぶから」

 由紀夫がはっとして、うごきをとめると、ヘンリーは安心させるように微笑んだ。午後の光をカーテンでさえぎった保健室は、皇太子のはとこの容貌を、幻想めいてみせていた。

「……ヘンリー……、何度もいうけど……違うんだよ」

「どうした、なにが?」

「だから、おれはユキオ・オダだよ」

「ユキオって?」

 優しく微笑むヘンリーの口からその言葉をきいたとき、由紀夫は顔が熱くなった。


(……ざっけんなよ!)


 押さえる腕をふりきって、由紀夫はいきおいよくベッドを飛び降りた。ガンガンと頭が痛んだが、胸の奥から憤怒が沸きあがって忘れさせた。

(ああ、もう、やってられるか!)

 とびきり綺麗に優しく微笑まれても、それはことごとく自分に向けてのものではない。

 乱暴に靴をはいて、ジャージ姿のままベッドを区切っていたカーテンをひいた。室内のソファには長い足を組んだクロードが座っていた。

「ユキオ、具合はどうだ? 先生を呼ぼうか」

「いらない、教室にもどる」

 怒気をこめていいかえすと、クロードが目を丸くする。


「ショーン待ってショーン、どうしてベッドでじっとしてないんだ。体が弱いんだからちゃんと安静にしてなきゃ、治るものも治らないだろう。大丈夫だよ、ぼくがついてる、ショーン……ひとりにしないから」


 大きな体をかがめて、ヘンリーはこちらがどうしてか悲しくなるような笑顔をみせた。親愛のこもった、プライベートな顔。両腕におかれた手から、体温が伝わってくる。

 愛する肉親。

 亡くした弟。

 沸きあがってきた感情に身をまかせていた由紀夫は、どうにか我に返った。

 ヘンリーはどれほど弟を愛していたのだろう。

「……ベッドはもういいよ、そこに座る……」

「……そうか」

 クロードの向かいのソファに由紀夫が落ちつくと、ヘンリーもほっとした様子になった。

「さっきの休みの時間に、クラスの子がユキオの制服をもってきてくれたよ。着替えるか? そのまま車で送ってもいいよ」

 クロードから差し出された制服を受け取り、由紀夫はその場で着替えだした。もそもそとジャージを脱ぐと、なにもいわないのにヘンリーが手伝ってくる。

「授業受けるよ、ただでさえ遅れ気味だし。それよりふたりは?」

「ああ、大丈夫」

 余裕の返事に、由紀夫は追求しなかった。



 ジャージを抱えふたりと別れた由紀夫は、教室にもどった。

 先生やクラスメイトから声をかけられながら席につき、ジャージはとりあえずカバンにつっこんでおいた。

 頭と、ボールの直撃した頬は鈍痛がしたままだったが、ものうい午後、静かに響く英語をききながら、由紀夫はヘンリーのことを考えていた。

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