06
脱力した体に、山口がシャツのボタンをひとつひとつとめてくれている。
熟れた時間は過ぎ、松原がしばらくベッドで自失している間に、部屋は半分ほど片付いていた。部屋の明かりがともり、外は真っ暗になっている。
さっさと服を着た山口は、すった生姜がはいった紅茶を盆にのせて運んできた。
「したに夕飯用意してるんだけど、まあ、一杯飲んでおけよ」
そういってシーツにくるんだ松原の上体をおこし、茶碗を渡し、零さないよう手を添え、だいじょうぶだとわかると脱ぎ捨てた服を集めた。
飲み終わってほっとしていると、松原のよこにこしかけた山口が着替えを手伝ってくれはじめた。
「足のばして」
床に膝をつき、松原の踵を立てた自分の片膝にのせて、両手で靴下をはかせる。
「いいよ、自分で……」
「いいんだ。これ、いちどしてみたかったから」
「……え」
なんでも映画で、情事の終ったあと、男が女の脱がしたものをひとつひとつ身につけるのを手伝ってやるシーンがあったそうだ。
「すごく、そうだな……官能的な場面だった。とくにストッキングをはかせようとして、男性が女性の足首を持つところにはぐっときたよ」
ストッキング? 足首? ぐっときた?
黒縁眼鏡をかけた山口は、さきほどまで松原をことばで苛めていた同一人物とはおもえぬほど涼しい顔をしていた。
はじめての松原が体にわきおこる衝動に怖気づき混乱しているというのに、とんでもないことばをいうよう強要しつづけたのだ。
(山口って、山口って……!)
ベッドからおりる松原に手を貸してきた山口の腕に、松原はしがみついていった。
「山口ってすっげースケベだよな」
信じられないくらい。
「そう? 松原が子供なんだよ。いうことやること下品で低レベル」
「な!?」
「ほら、階段危ない」
体を支えられながら一階にむかっていた。
「そ、そりゃとりすました顔もするよな。経験豊富そうだし……!」
真っ赤になってそういってやったが、山口はとくにいいかえしてこなかった。ただ松原が階段を無事おりるのに注視している。
「台所、奥なんだ。それと松原、今夜泊まっていけよ」
戸惑って返事をしないでいると、松原の腰に腕をまわしていた山口がじっとみおろしてきた。
「家に電話しろよ。あの部屋、おれひとりで片付けさせる気?」
「え、ええっと……」
もちろん散らかしたのは悪いとおもう。おもうが……。
すりガラス戸を開けて、先に山口が入っていった。遅れて松原もなかにはいると、キッチンのまえの四脚テーブルにラップのかかったおかずが並んでいた。山口はコンロの火をつけ鍋を温めている。
「そっち座ってて」
そっちとは、割り箸が置いてあるほうだろう。小鉢を運んできた山口に、椅子をひきながら松原は躊躇しながらいった。
「もう、なにもしないなら泊まってく」
コトリと小鉢が置かれた。
「うん、しない」
小鉢を置いた手は、松原の頬をすべり、顎をもちあげた。暖かい舌が唇をなぞり、松原は先刻までの痺れがぶりかえしたように震えた。山口の手を振り払う。
「山口!」
怒鳴ると、眼鏡のずれをなおしながら山口が笑う。
「下品が嫌いなくせになにするんだよ」
「松原がみたがったんだろ、おれのシモネタ。それからさ、松原の下品はさ、おれのまえだけにしてくれる?」
ラップをはずしながら山口がそういったのを、椅子に座った松原はみあげた。
友達にいってやるはずだった。
「山口も隠してただけで、おれらとおなじだったよ」
週があけたら、そうみんなに報告するつもりだった。そうできたらいいとおもっていた。
すました顔の同級生は自分とおなじ、エッチの好きなただの人間だったと。
いえない。
山口にされたこと、いっしょにしたことなにひとついえない。
「おれのまえだけにしとけよ松原」
そんなことまでいわれて気恥ずかしいやらうれしいやらおもっているなんて、当然いえない。
手渡された味噌汁は熱くて、松原はしばらく息を吹きかけて冷ます必要があった。
完結
旧題名「きみのまえだけ」