04
玄関をくぐると、長い廊下があり、左手に階段があった。山口は二階を指差し、振り返りもせずにいった。
「あがっててくれ。階段あがってすぐのドアだから」
「お、お邪魔しまーす」
家には誰もいないときいていたので、遠慮なく靴を脱いで松原はあがった。靴下ごしの床が冷たく感じたが、それよりもここが山口峰彦の家なのだとおもうと、全身が触覚になったかのようにあちこちが気になった。
階段をあがり、すぐのドアを開けた。
まず目にはいったのは青いパッチワークカバーのかかったベッドとクローゼット。壁に服がかけてあり、コルクボードに絵葉書がたくさん貼ってある。近づくと洋画の宣伝用葉書や、俳優のプロマイドだった。男性も女性もある。全員外国人で、松原の知っている顔はひとつもなかった。
松原はちいさく首を傾げた。
どの顔も陰気臭くみえる。
(山口の趣味ってこういう系統……?)
ベッドと窓を挟んで机がある。そのよこは本棚だ。
机と同じ高さのスペースにパソコンが納まっている。椅子のむきをかえさえすれば使いやすいように工夫してある。
ざっと本の背表紙を松原は眺めた。みた印象では自伝が多いようにおもった。
(俳優の……? あ、監督?)
ドアが開く音がして、松原は顔をむけた。
片手でドアをあけた山口が、目を盆にそそぎながらゆっくりと部屋に入ってきた。
「とりあえず、紅茶にした。ミルクと砂糖もつけてある」
整頓された机のうえにおかれた盆には紅茶以外もクッキーがそえてあった。
大きくていびつな形をしている。
「その菓子、母さんの手作りなんだ。おれは小さいころから慣れてるからもう、味がいいのか悪いのかわからない」
そういいながら山口は部屋をでていき、小さいテーブルを持ってもどってきた。
小奇麗な茶器といい、添えられたクッキーといい、幼いころからこれが山口家でのお客さんに対する『お茶』の形なのだろう。
テーブルの足を立てて、盆の中身を移した山口につきあって、松原も絨毯に腰をおろした。何もいれず紅茶をすする。
手の平の半分ほどもあるクッキーを頬張る。甘くない。あまつさえ塩味を感じた。
「……変わってる。でも美味しいよ。うん、美味しい」
「そうか、良かった」
これ、丸いアルミの大きな缶にいつもぎっしり入れてるんだよ、なんていいながら山口もクッキーを食べた。ちょうどおやつ時を過ぎた時間だったので、お茶と大きなクッキーはあっという間になくなった。
「おかわりいるか? クッキーも?」
「うん!」
躊躇なく返事をすると、山口は目をみひらいて、すこし嬉しそうに口の端をあげた。顔が近いので、黒縁でへだてられていても、山口の表情がよくみえた。松原はおもわず笑みを浮かべた。
*
山口家特製塩クッキーを大量消費しながら、クラスメイトの松原は青春のきらめきを探している。
手伝うわけでもなく、山口はただ松原の行動をだまってみまもった。
たしかに家探ししたらいいといった。
松原はそのことばを額面通りにうけとったようだ。まるでこれから大掃除をするかのように、遠慮なくクローゼットの奥から荷物を部屋の中央へ運ぶ、机の引出しをあける、ベッド下の収納スペースを漁る。本棚の雑誌を引き抜き、山口を催促してパソコンを立ち上げさせ、インターネットの履歴やお気に入りもチェックを入れた。
松原の周到な動きに当初平静な表情を浮かべていた山口も、そのうち段々と眉の間に皺をつくり、最後にはまるではじめてみるような目で松原をみていた。
その遠慮のなさが不快だったが、ここまで徹底してやれる人間だったとは。
その一心に探すものというのが、じつに情けないものではある。だが、山口は単純でバカな主人公が無理解な周囲を最後にあっといわせる逆転壮快ものの映画が嫌いではなかった。
そう松原のあのシモネタ好きな性格も、登場人物のちょっとした味付け、といえないこともない。その容姿が、どうしても山口の期待するシリアスで人生の深みや痛みを語る映画内容でないだけで、松原達哉という人間はそもそもホームコメディや、脳天気ラブコメ向きなのだ。
松原のちょこちょこした動きを目で追いながら、山口は松原達哉における映画作品の位置について考察していた。
同級生の部屋をひっくりかえしていた松原は、積み上げた衣類の箱にぐったりと上体をのせた。
「つ……疲れた……」
「――そりゃ、二時間もぶっとうしですればな」
「おかしい~山口は男として、人類としておかしい。哺乳類じゃない~!」
「おい」
「出てくるの、映画関係のばっかり……」
そういって床にあった映画雑誌を松原はとりあげた。
窓枠にもたれていた山口は、埃が舞う部屋に空気をいれるため窓を小さくあけた。冷たい空気が山口の頬に触れた。遠い空に夕日がみえる。こちらの空はまだ明るいが暮れるのも時間の問題だろう。
「好きなんだ」
ことばが風に乗って部屋に流れていく。
振り返ると、わずかに髪を揺らした松原が座りこんだまま山口をみあげていた。疲労を残した顔に、大きな目が印象的だ。そうだ、やはり黙っていれば、松原は胸がぎゅっとしめつけられる風情がある。
「……それじゃあ、隣のクラスのやつと話してる内容っていうのも」
「うん? やつも詳しいぞ」
一年生になってすぐのころ、山口はにぎやかな休憩時間に教室から退避して廊下にでた。そこで目に飛び込んできたのは、品揃えのいい大きな本屋に行かなければおめにかかれないコアな映画雑誌を、廊下の壁と柱の隅に体を押しこむような形をして熱心に読んでいる学生服の男。
「あのさ、それ、最新号?」
気がついたら山口は近づいて話しかけていた。
それが隣のクラスのやつ。学校で唯一、全力で映画の話ができる貴重な存在だった。