番外編 贈り物
今江哲也にとって激動の高校生活二年目の秋がすぎゆき、冬が深まっていた。
二学期末考査も終わり、終業式と冬休みを目前に控えた弛緩して期待する日々。
「うわっ」
下校途中、あまりに冷たい風にふたりして声をあげた。
「冷え込んできたなあ」
少し頬を赤くして、日向が首をすくめた。
(――マフラーにしようかな……)
クリスマスプレゼントを何にしたらいいかずっと迷っていた。もう日にちがない。
日向雅彦はお金持ちで自分でほしいものはほとんど躊躇なく買える。だからかれのクローゼットのなかにマフラーがあるのを今江は知っていた。それを使っていないことも知っていた。使ってないということは気に入ってないと判断している。
(日向には何色がいいかな)
黒い短い髪に、賢そうな眼鏡。眼鏡がなくともじっさい賢い。秀でた額、通った鼻筋。日向の友達であるモデルをしている椿のような綺麗さはないが、顔は整っている。
(青や緑は当たり前すぎるな。もっと暖かそうな色がいい。赤。黄色……オレンジ)
すっと伸びた首に暖色系のマフラーを巻いている姿をイメージしてみる。
(……かわいい。似合ってるかも)
恋人がそんなことを考えているとは知らず、日向は高級高層マンションのゲートをくぐり、エントランスで指紋キーを解除した。
*
ベージュのスリッパに履き替え、リュック式カバンを肩からはずして、ソファに立てかけて床におろす。
そうやって今江が居場所に落ち着こうとしている間に、家の主人である日向はおもてなし用のお茶を用意している。
これがいつものことだった。
制服の上着を着たまま日向は冷蔵庫を開けて容器を取り出す。伸ばした手はコンロの火を小さくする。
てきぱきと段取りがいい。
ソファに座って流れるような日向の動きにうっとりとみいっていた今江は、ある物に気づいた。
立ち上がり、近づいて顔を寄せる。
「日向、これ何」
冷蔵庫から取り出された容器は、持ちやすいおうとつがつきメタル色の艶がある。
小さなボタンとメモリ。斜めの注ぎ口。
「熱冷機能のついた容器の試作品です。常温にして冷蔵庫に入れておいたらどうなるだろうとおもって、ほら、中はミルクです」
メタルの容器を斜めにして、ティーカップに白い液体を注いだ。
甘い香りと湯気が立ち上った。
「これが温度。これが切り替え。中に入れるときは、ここを外します」
容器上部を開閉させる。口が大きく中身を注ぐときは便利だろう。
今江に説明をしている間にも、日向はミルクティーの準備をすすめ、盆のうえに一式をそろえるとメタル容器を手にもって観察している今江をいざなってリビングのテーブルに移動した。
「その容器も持ってきてください先輩」
「うん。すごいねえ。熱い液体や冷たいのを保温するっていう瓶はたくさんあるけど、これは給湯でもあるし、冷凍にもなるんだよね。しかもその温度をキープできる」
テーブルに多機能のメタル容器を置いて、今江は日向とならんで三人掛けソファに座った。
「たとえば赤ちゃんのミルクが外出先で切れても、ミルクの粉と水とこれがあれば作れるね」
「そうですね。どちからというと、ポータブル沸騰器としての機能がより多く求められているのかもしれません」
「あ、でも長時間車にのっているときにインターで冷たい物を買ってもだんだんぬるくなるときなんか、中身をここに入れておけば冷たくしておけるよ」
「その場合は、運転しながら片手で飲むことになりますね。それは危険だなあ――先輩、お茶どうぞ」
「ありがとう」
ふたりはその後も機能の使い道についていろいろと話し合った。
「でもこれ試作品て、もらったんだ?」
ふと気づいて今江はきいた。
ソファにもたれて先輩の優しい顔立ちを観賞していた日向は微笑んで首をふった。
「自分で作りました」
「へえそうなんだ――え?」
おもわず試作品と日向の眼鏡をかけた顔を交互にみやる。
「こういうのってそんなに手軽に個人が作れるもの?」
「設計図とアイデアと交渉で企業や工場で作ってもらえますよ」
「……それで、作ったんだ」
「ええ、それにはもう八百万ほどかかっています」
今江は胸中、ぎゃあと叫んだ。
「でも心配しないで今江先輩。ぼくのアイデアをきいた企業が共同開発していこうといってきて、資金はほぼ相手側から出ていますから」
ときどき日向には驚かされる、と今江はおもう。
普段はいたってなんの変哲もない男なのだが、どこかやはり、発想が常人と違うところがある。
基本的にパソコン関連にはもちろん詳しいのだが、そのパソコンで文化祭のクラスの出し物である屋台の設計図をささっとかいたというし、機械の構造などにも造詣が深い。
日向の友達ふたりも合わせて、全員でDVD鑑賞をしても、日向ひとりが全然ちがう着眼点をもっていることがある。
あの女性がよかったとか、あの判断はどうだとか、構成や台詞、子供がよい演技だったとか、あの店主渋いなどという話をしていたら、日向は背景の町並みの奥行きを計算していたり、画面の揺れと色の関連性をみていたり、女優の口の形から連想したことを延々と考えていたりするのだった。そのくせみなとおなじように最後は「よい映画でした」という。
*
「こういう試作品て他にもたくさんあるんだ?」
「いえ、久しく何も作る気になれずにいたので、いま見てもらえるのはあれだけなんです」
「また、作る気になったんだ」
「二ヶ月ほどまえおもいつきました。かなり急かせて作ってもらったんです。先輩、それ気に入ってもらえました?」
「うん、面白いよ」
そう今江がいうと、日向はほっとした顔つきになった。
「よかったらそれ貰ってください。はやいですけど、クリスマスプレゼントです」
みれば日向は頬を染めている。
今江の視線が耐えがたかったのか、空になったカップを集めてキッチンに運んでいってしまった。
付き合いだしたのはほんの三ヶ月前。
ひとつ年下の恋人は、初めてのクリスマスに、世界でただひとつのものを用意した。
日にちが迫ってものんびり、マフラーの色を考えている年上の恋人とはまるで違っていた。
(おれってば……)
日向が好き。日向のそばにいつでも行きたい。
そんな気持ちにかられて大接近した身。
若くして天才を証明していたこの高校一年生の男子生徒を、どことなく守ってあげたいとおもっていたが、こうして身近にいるとその底知れなさが、じわりとわかってくる。
守ってあげたいどころか、足を引っ張ったり、かれの邪魔をしてないといいのだが。
そもそも学校の公衆の面前でお付き合い宣言をしたのだ、しかも同性同士の。すでにして将来へ重大な阻害をおこなっていやしないだろうか。
「先輩、イブかクリスマスのどちらかで、ちょっとでも時間ができたら連絡してくださいね」
「……え?」
日向はいつの間にかリビングに戻ってきて、ソファに座って考えをめぐらしてぼうっとしていた今江の両手をにぎっていた。
「家族との団欒の邪魔はしませんから。ちょっとだけぼくと会ってくださいね」
今江はまばたきして恋人をみた。
並んで座っているというのに、なんだろうこの距離は。
年はひとつ差、才能の差はチョモランマと関東平野、おまけに同性同士。
今江はもう一度まばたきし、両手から手を外すと、両手と両足をつかって日向に抱きついた。座っていた体勢で今江にのしかかられた日向は喉の奥でひしゃげた声をあげた。
「日向……おれ、イブはずっとおまえといる。泊まっていこうかな。二十五日の夜は家族とケーキを食べに帰るけど、それ以外はずーっとおまえといる」
耳元でいわれたことばに、ずれた眼鏡をそのままに日向は驚いた顔をした。
自分の成功で家族がバラバラになってから、日向はどこか無用心で、どこかおびえている。
付き合っている年上の恋人が、イブとクリスマスを家族と過ごすだろうと考え、早めにプレゼントを渡すくらい、自分と過ごしてくれるとおもっていない。
才能豊かな日向の将来のため、身を引くことをぼんやり考えていた今江は、渾身の力でそんな考えを蹴った。サッカーワールドカップ、優勝国エースストライカーなみの脚力だった。
「……いいんですか……?」
「来年もそうする。再来年もそうするよ」
「先輩」
「毎年、おれにおまえの試作品をみせて」
「先輩」
「日向……」
おれ、おまえのこと大好きなんだ。口には出さず、さらに抱きしめた。下にいた日向も抱き返してきた。
今江は、日向にもっともっと何かしてやりたいとおもった。
自分へのクリスマスプレゼント用に、久しく距離をおいていた才能の泉に近づいたというのなら、これからどんどんそれを後押しするつもりだ。
ひとそれぞれ個人個人がもつ才能というのは、それは天からの贈り物だと今江の父親がいっていた。
贈り物だからそれは自分のもの、とするのではなく、贈り物とはいっても預かり物でもあり、磨いて、他のひとびと、世の中に返していかなくちゃいけない。
日向は人一倍大きな贈り物をもらっている。
それによって苦しみと悩みも引き受けることになった。
だが、それにもかかわらず、出し惜しみをしてはならない。ないものとおもってもならない。努力を怠ってはならない。
発揮されない才能は、やがて持ち主を害する。毒となって主人を蝕む。
才能とは公のものなのだ。
ソファで抱き合っていたふたりは、やがてお互いを解放し、どこのケーキを注文しようかとやや照れながら話しをした。
その年のイブとクリスマスを、途中、親友ふたりに乱入されながらも日向は大好きな先輩と過ごした。
終わり