3話
ハンドルを握りながらあくびを一つ、噛みしめる。それを見た来宮は小さく「うげ」と呟いて眉をひそめた。
「まさか寝不足?」
「そんなことないですよ」
「じゃあなんであくびするのさ」
「あくびくらい、十分な睡眠をとっていても出ますよ」
「じゃあ、退屈?」
「ええ、まぁ」
「まー、しょうがないね。今は嵐の前だからさ。その内嫌でも騒がしくなるから!」
にこやかにそう予言する来宮を放って佐治は運転に集中する。海沿いの国道を車は走っていく。対向車もほとんどない暗い道を行くのは、どこか気が楽だった。
心配なのは動物の飛び出しくらいか。
行き止まりに辿り着く前に脇道へ入る。舗装された道路を外れ、二人は暗闇の中を進みゆく。文明を離れた深い暗闇の中では、前照灯だけではあまりに頼りない。来宮もそう思ったのだろう、彼は室内灯をつけた。佐治は彼の方を一瞥したが、特に気に留めることなく運転に意識を戻した。
そこから一分もしないうちに目的地へたどり着く。砂に乗り上げたタイヤにしっかりとブレーキをかけ、二人は車を降りた。
「さ、それじゃあ準備を始めよう」
付近を見渡してみれば、ちらほらと収集家が来ているようだった。各々灯りの元で、その時を待ち続けている。
それを横目に佐治は荷物を取り出した。
※
流星一条。
真っ黒なキャンパスに描かれた白い星々が息を潜める。一番星を超えた強い光が東西に世界を横切る。これこそが、世界中の収集家、研究者がこぞって欲しがる昴の姿だ。巨大な流星はゆっくりと歩を進めていく。その最中、流星の尾がいくつかに分かれて散っていく。そのうちの一つがこの浜目掛けて降ってくる。
空気が唸り、小さな破裂音がする。
降ってくるそれ目掛けて、ハンターたちは暗闇の中一斉に駆け出した。
砂が散る、ヘッドライトが躍る。
それを合図に佐治はポケットに忍ばせていたスイッチを押した。
花火が中空で一斉に炸裂する。紛れ込ませていた爆竹が地を舐めて景気よくその音を鳴り響かせる。光と音と、色の暴力となり果てたそれらは一瞬で白い煙に包まれた。
それを抜け出てきた人間は総じて足元の大穴に絡めとられていった。
(ざまぁみろ)
彼女は口の端を吊り上げながら、来宮の元へ駆ける。
「首尾よく進んでるねぇ」
彼は遠景で繰り広げられる茶番に目を凝らしている。
「いいんですか、こんなところで時間を潰して」
「あ、本当だ。いけないけない」
そう言って来宮は懐中電灯を持ち直した。
そんな来宮の横で佐治はちらりと彼方の方を見て、思わず顔を歪めた。
「どうかした?」
「いえ、別に。ただ、想定が甘いなぁと」
佐治たちのような妨害者は予想できたはずだ。上ばかりに気を取られている収集家たちが次から次へと足元の穴に吸い込まれるのを見て、佐治はなんだか馬鹿らしくなってきた。少しくらい予想外の動きをする者がいてもよかったのではないか。そんな結果をどこか残念に思っていた。
それを見抜いたのだろう。来宮はニヤリと笑った。
「へえ。君はいつもそうだねぇ」
「……何がですか?」
底のない闇の中を佐治は早足で進んでいく。流すような返事が面白くなかったらしく、来宮は頬を膨らませた。
「……来宮さん?」
すぐ隣にいた彼がいないことに、気が付いてその足を止める。
「早くしないと、追いつかれるんじゃないんですか」
「うん、そうだね」
佐治の言葉を肯定するくせに彼はその場に立ち尽くし、一歩も動く気配がない。
それに対し、彼女の内で小さな苛立ちが芽を出す。
「あなたが準備してくれって言ったから、ちゃんと準備したんですよ。私の三日間を棒に振るつもりですか?」
足止めのために、大掛かりな仕掛けを有休を使い三日かけて用意した。それもこれも全部、来宮昴が『この場所に昴が落ちてくるのは確実だけど、それは他の人も分かってるからなぁ』とぼやいたからである。
『座標を割り出すから、その周辺に罠でも仕掛けておこうよ』
そんな彼の頼みを聞いて、実に意地の悪い罠を仕掛け、チャンスを作り出した。それだというのに、だ。
「何やってるんです……?」
鋭い視線が彼を穿つ。
「自分ならもっとこうするのにって思う癖に、君は動きもしない」
「……は、何を? つまらないこと言うために、ここまで来たんですか?」
「いやぁ、何。気になってさ。君はよく気が付く癖に、何もしないなぁって」
不意に始まった説教に彼女は目を細めた。
「どうせ自分一人が動いたって何も変わらないって思ってるんだろう?」
「何が言いたいんです…?」
「同窓会」
佐治の肩がびくり、と動いた。
「どうせ行かないんでしょ? 心残りがある割に、向き合おうともしない。今日だったんだよねぇ、如月小学校の同窓会」
そこまで知っているのか、と思わずため息が出る。
「呆れました。まさかそこまでデリカシーに欠けるなんて」
たまたま通知画面を見たのだろうか、それとも、好奇心に任せて踏み込んだのか。そのどちらであっても、佐治にはどうでもいいことだった。ただそのことを指摘された、その一点に目が行く。非難するように睨み返せば彼は
「君が奥手すぎるんだ」
と、返した。ふらり、と来宮が動く。
そのまま彼は波打ち際まで歩いていく。何をするのか、何をするつもりなのか。佐治には全く予想が付かない。来宮の靴先を海水が掠める。
「むん!」
馬鹿らしい掛け声とともに、なんと来宮昴は海に入っていった。それだけならいい。この辺りは浅瀬が広く、立っている限りは溺れない。
「はっ!?」
それでも彼が足を止めることは無い。どんどんと暗い海へと進んでいく。歩を緩めるどころか、速めて沖合へ向かっていく。
「ちょっ、ちょっと! 何やってるんですか!」
佐治も慌ててその背を追いかける。来宮が白いシャツを着ていなければすでに見失っていたかもしれない。
「ちょっと! 待ってください……!」
その手を掴む。それだけで止まらなかったので、肩を掴んで引き寄せる。海水は容赦なく胸の下まで濡らしていく。波の揺らぎに合わせて身体が揺れる。足元がゆらりゆらりと安定しない中でも、佐治はしっかりとその手を掴んでいた。
「ほら、変わった」
「は、あ……?」
息を整えながら佐治は来宮を睨み上げる。満天を背負った彼は、どこか小さく見えた。
「佐治が来なければ僕はどっぷり沈んでいただろうね」
「何を他人事のように言ってるんですか! 危ないじゃないですか……!」
動悸がするほどに、心配している佐治に対して来宮はけろりとしている。それでも佐治には止めに行かない、という選択肢がなかった。何故ならこの来宮昴という人物なら本当に死ぬまでやりかねないからである。
「僕は変わると思うよ。ちょっとだろうが、些細だろうが、僕がやることで何かが変わる。君は以前、そこに才能がいると言ったね。じゃあこれにも才能はいるのかな」
そんなことを言っただろうか。
佐治の記憶にそんな発言をした覚えはないが、来宮が言うのだ。じゃあ、間違いないだろう。そんな考えが過る。しかし佐治にとってはその記憶が正しいかどうかは関係ない。
「…………この期に及んで何を偉そうに説教してるんですか」
静かに、できる限り感情を抑えてそう返す。
「え、そんなに怒る? なんで? 佐治ってば僕とそんなに仲がよかったっけ?」
深みのある呆れが、頬の熱を冷ましていく。もう一つ、大げさにため息をついてからこう付け加えて置いた。
「そういうの、あまり当人に言わない方がいいですよ。私はあまり気にしませんが」
佐治の言葉を理解していないのか来宮は目を泳がせている。
「……でも、来宮さんが言っていたことは、なんとなく理解しました」
「あ、ホントぉ? 佐治さんちょっと鈍いからこうしないとだめだと思ってさぁ」
「それは私をなめすぎで」
そう言いかけたその時だった。来宮が海中に身を沈めた。
咄嗟の出来事で、全く理解が追い付かなかった。
完全に──油断していた。
今度こそ、沈んだかもしれない。そんな嫌な予感が脳裏を過る。手にはまだ仄かなぬくもりが残っていた。そのぬくもりごと攫うように冷たい波が立つ。
(どうしよう)
そう思ったその時。
派手な飛沫を上げながら、来宮が顔を出した。
「…………」
佐治は言葉を失って、そちらを見る。
「見て、これが『昴』の欠片だよ」
来宮が掲げるようにして摘まんでいるそれは、青白く輝いている。ほんの一かけら、ほんの数ミリの小さな石っころ。こんなものに、自分たちは左右されているのか。そう思えばどこか馬鹿らしい感じもする。しかし、そんな馬鹿らしいものに、目の前の男は顔を輝かせていた。両の掌の上に光り輝く石ころを乗せて、目を輝かせてそれを見ている。
「──とりあえず」
「ん?」
「水から上がりませんか。こんなところにいて、昴が波に攫われたら困ります」
「あぁ、確かに。それもそうだね。名残惜しいけど上がるかぁ」
素直に言うことを聞いてくれた来宮の手を取って佐治は波打ち際を目指す。手のかかる人だと思った。それでも今は、万が一が無かったことが喜ばしい。
まとわりつく砂をうっとおしく思いつつ、二人は浜を離れて行く。木陰に停めていた車は収集家たちの目を上手く掻い潜ったらしく、無傷だった。さすがに足が無いのは困る。ここは市街地からかなり離れており、路線バスも通っていない。徒歩で帰れなくもないが、来宮の体力的に厳しいだろう。
「……これで、目的達成ですか?」
「ん、まーね。でも、これはただの目標。主眼はもっと別にある」
「そうなんですか?」
「だってそうでしょ。これはいわばUSBのようなもの。中の情報は暗号化されている上に、ロックがかかってるんだ。欲しいものを知るにはちゃんと解読する必要がある。人類に読み解けるものであることを願うばかりだね」
「…………へえ、そうだったんですか」
その答えにどこかホッとしながら佐治は相槌を打った。流れる景色の中で、ふと思いついたことを口にする。
「もしそうとなったら、周りは貴方を放っておかないでしょうね」
「えぇ? そーお? 僕が死のうが生きようが、世界は回るけど」
「そういう話じゃないですって」
「いやいや。僕が世界の終わりを知ったところで、何も起きやしない。何も変わらない」
「さっきと言っていることがまるで違いますね」
「スケールの問題さ。僕に関しては、君が左右できる。でも、君だって天気を変えたり、遠く知らない国をここから観測したりはできないだろう?」
「えぇ、まぁ……」
「それと一緒。個人によって世界は左右されないし、世界は個人を左右できない。個人は個人で、世界は世界で影響し合うんだから」
助手席で寛ぎながら来宮はそう呟いた。掌の上ではあの青い欠片を転がしている。彼にとってはただ知ることが重要なのだろう。その上でプレアデスの鎖を結びたいわけでも、オリオンの綱を解きたいわけでもないらしい。ただ知る。それだけだと。
(周りは、放っておかないでしょうけど)
帰路について、佐治は考える。これからどうしようか。抜け出してきた安全な軌道を名残惜しく思いながら、新たに安全な軌道を考え始めるのだった。




