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2話

「おお。やぁっと帰ってきた」

 ドアを開けるなり出迎えたのは調子のいい声。無事に体力が回復したらしい。少しホッとしながら佐治は部屋に入る。

「……ポケットに直接スルメ入れるの止めてくださいって言いましたよね」

 安心もつかの間、彼の姿を見るなり佐治はそう言った。もはや呆れも起きていない。注意はするが、こういう類のものをこの半年間来宮が聞き入れたためしは一度もないからだ。どちらかと言えば反射と鳴き声に近い感覚で、佐治は言葉を発していた。もちろん来宮のみに対してである。

 そんな佐治の内心をつゆ知らず、来宮はスルメ片手にこっちへ来いと手招きをした。

「明後日の流星群に向けて色々準備ができてきてさぁ。頼んでたアウトドアセットは買えた?」

「はい。ちゃんといいものが見つかったので、来宮さんのポケットマネーで注文しておきました」

「……まぁいいか。僕は突っ込まないからな」

「ツッコミ待ち止めてもらえませんか。それで、流星群の落下地点の計算の修正は終わったんですか」

「終わったとも。間違ったと思ってたけど、そんなことはなかった! 予定通り流星群の後に夕が浜の方へ行こう」

「分かりました。車とかはもう手配しておいたので、あとは来宮さん次第です」

「えぇー。分かったよぅ……」

 口先を尖らせながら来宮は渋々頷いた。

(なんでそんなに渋々頷くのさ)

 その意図を図りかねながらも、佐治は手帳を彼に渡す。それをふんふん、と言いながら読み込んでいる横で佐治はホワイトボードクリーナーを手に取った。

 壁一面を利用して作られたホワイトボードにはごちゃごちゃと色々なものが書き込まれている。複雑な計算式から、天体の図形。今回の目的である流星群の発生時間から放射点のメモ書き。買い物メモと、佐治の知らない予定の日付。どれがいらないもので、どれが必要な物なのかは分からない。佐治はホワイトボードには手を付けず、クリーナーの方を綺麗にすることにした。

『昴』

 今回の流星群と共に、この星に飛来する隕石──その中に存在するという、この世界を記録しているもの。

 世界中の賢者たちがこぞって欲しがるそれを、来宮もまた死ぬほど欲しがっている。どうやらその『昴』にはこの世界の成り立ちから、終わりまでのありとあらゆる知識が詰め込まれているらしい。星間を泳ぐアカシックレコードとでも言うべきか。

(そんなもの知ったところで不安になるだけだと思うけどな)

『昴』は星間を遊泳しているらしく、地球に近づいてくるのは百年ぶりのことらしい。その周期は不定で、次に来るのは千年後、あるいは一年後。などと適当なことが言われている。

「ふふん、気になるだろう。世界……あるいは宇宙の始まりと終わり! この宇宙の始まりはビックバンだというのが定説だけど、本当は違うかもしれない。そう思うだけで、わくわくしてこないか?」

 初対面の時に何を研究しているのか、と訊いたところ来宮はそう説明してくれた。稀有な人だと思った。やはり何度考えても不安になる気しかしないというのに、そんなことを知ってどうするというのだろう。佐治としては定説があるなら、それを疑う必要はないのではないかと思っている。しかしそれを来宮に言えば、彼は逆にそれが分からないと言った。

 ──といった具合に佐治には来宮昴という人物がまるで理解できない、理解し合えない。しかしそれでも、一つだけ確かなことがあった。

(それでも、本当によく分からないけど、目標に向かって何かをしようとしているのだから、私よりは偉いんだろうな)

 取り留めもないことが頭の中で浮かんでは消えていく。

「おーい。大丈夫?」

「あ、どうかしたんですか」

「いやいや、そっちこそどうかしたの。ホワイトボードじっと見つめてっからさぁ。そんなにわくわくしちゃう?」

「いえ、別にそこまで……すみません、明日の予定を考え直していました」

「そこは嘘でもわくわくしてよ」

「無茶言わないでもらえますかね」

 来宮の無茶ぶりに佐治は首を横に振った。いつもの通り、何の変哲もないやり取りである。

「それで、花火は用意できた? 爆竹とか」

「あぁ、それですか……できましたけど。予備は倉庫の、いつもの場所に置いてますよ」

 そう言えば来宮は目を輝かせて倉庫へ走っていく。おそらく明日持って行って遊ぶのだろう。その前に使い切らないでくれと祈るばかりであった。万が一、不発だったらそちらの方を使うつもりなのだ。夏本番を目前にしているせいか、どの商店も花火が品薄になっており探すのはかなり苦労した。

(まぁ、その辺は解ってるだろうけども)

 佐治は立ち上がって、机の上に放置されているマグカップと皿を片付け始める。


 ※


 帰宅できたのは二十一時。いつもであれば二十三時まで仕事があるのだが、明日は一大イベントが控えている。そのために来宮が早めに切り上げることを決めたのだった。佐治としては早く上がれるならそれでいいので、二つ返事で了承した。車から降りて、年季の入ったアパートのドアを開ければそこは自室。電気を付ければ、だらしのない現状が目に入るようになる。そこから目を逸らすようにして、佐治はまず洗面所に入った。手をアルコール消毒してから石鹸を泡立てる。

(なんだっけ、石鹸と教育は……ええと)

 誰かさんの名言を思い出そうにも、疲労で鈍った思考は空廻る。すぐにどうでもよくなった佐治は泡を水で流して蛇口を閉めた。

 足元に転がる本の塔に、郵便物の丘、脱ぎ捨てた衣類は摘まみ上げて洗濯籠へ。そうやって辿り着いたベッドに飛び込んで瞼を下す。辛うじて冷房のボタンだけは押せた。他に化粧を落とさねば、とかせめて何か食べなければとか考えていたが、もはやどうでもよかった。スマホの画面を見てみれば、同窓会のグループで会話が盛り上がっている。

 佐治が憂鬱なのは全てこいつらのせいである。

 今の話題は懐かしの学校行事についてだった。佐治はスマホを伏せて、寝返りをうった。光からも暑さからも、目を逸らしたかった。

 それでも、気になってまたそのグループを見に行ってしまう。交錯する会話の中で「あの子」も楽し気に現状を交えて語り合っている。安心半分、嫌な思い出半分。青い光を直視することができない佐治は、また画面を伏せた。

 面白くもない話である。いじめられっ子だったあの子がクラスの輪に戻っているのならそれはいいことのはずだ。あの時、佐治は何をするでもなく傍観に徹していた。特別知らない子のために身を張るなんてこと佐治にはできなかった。それくらいには臆病だったし、気が小さかったし、そして自己愛傾向にあった。

 こうしてあの子はまたいつものように避けられていく。それを横目に過ごしていた。いやでも、どうなんだろうか。己の内の正義感のような、いい子でありたいという精神のような。そんなものが口を出す。


 観ているのがつらい。なら、お前が介入すればいい。(私には何もできやしない、どうせ何をしたって変わらない)


 するとどうだろう。

 彼女たちの間に割って入る人物がいるではないか。今となっては誰であったか思い出すことはできない。それでもその威勢のよさだけは記憶に残っていた。(なんだ、ほら、何もしなくたって何とかなったではないか)

 そんな緩慢な安心感と罪悪感は時折こうして佐治の首を絞める。とはいえ、結局こうして仲良くしているのだから、いいではないかとも思うわけで。一時は殺したいほど憎いクラスメイトだったが、今となってはどうでもいい。小学生の時の関係なんて、そんなものだろう。

(たぶん)

 一しきり思考を終えた後に、佐治はLINE投票を開く。同窓会へは不参加。自分はいてもいなくても変わらないのだ、と思いながら再び瞼を閉じようとする。

 が、しかし。

 どうにも化粧を落とさないと気が済まない。結果、一念発起して寝る前に済ませるべきことを佐治は済ませにかかった。全て終わった頃には深夜一時を過ぎていた。再びベッドに横たわって眠気が来たのは、その三十分後だったか。

(あぁ、そうだ。大量殺人ほど急激な効果はない、だっけか)

 眠りの海に沈みゆく思考は、ようやく答えを吐き出した。絶妙な揺らぎの中で生まれたそれは、すぐに荒波にもまれて消えていってしまった。


 今日もまた、安全な軌道(ループ)を辿る。



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