1話
「ふひひ……蛍、きれいだなぁ……」
ちら、と声のした方へ眼をやってみれば、来宮昴が目を回しながら机に突っ伏していた。この天才はまた限界まで活動していたのか、とため息が出てしまう。
「またやってるんですか? そんなことしたって『昴』は見つけられませんよ」
呆れを全面に押し出しながら席を立って彼の元へ行く。
蓬莱アストロパーク、その一角にある研究所の隅の隅。狭いその部屋はとある天文学者に、特別に貸し出されていた。そこで助手として働いているのが、この佐治佑月だった。佐治は空になったマグカップ片手に来宮の肩を揺する。
「ちょっと? 聞いてます?」
そう言ってつま先で小突けば、彼はのっそりと顔を上げた。カフェインの取り過ぎだろう。その目の下には濃い隈ができている。瞳が大きく、幼く見えるその顔立ちも隈のせいで老けて見える。
「あ、あー……聞いてる聞いて……ん? アイシャドウ変えた? 光が……」
そんな来宮は目が回っているのか、佐治と一向に目を合わそうとしない。
「変えてません。それは閃輝暗点と言うただの頭痛の前触れです。ほら、起きて身体動かしてください」
「うええ……」
いつもこんな具合で夜が始まる。
日課、とまではいかないがよくある蓬莱アストロパークの一幕だ。佐治が差し出した水とゼリー系飲料を口にして来宮は再び床になだれ込んだ。
しばらくはこうして体力が回復するのを待っている。しばらく起きないのを佐治は知っているので、この間に雑用を済ませようと本棟へ向かう。この蓬莱アストロパークは本棟、東棟、西棟、そしてZ棟の四つの建物で構成されている。Z棟の隅へ移されてから約半年。佐治は本棟と行き来をするたびにここの不便さを恨んだ。特に冬季が恨めしい。
ゆるりと首を上げてみれば、山々の合間から横たわる銀河が見えた。
「お、佐治さんじゃーん。今日もおつかい?」
「日原さん……お疲れ様です」
佐治は誘われるままに日原の方へ向かった。ちゃらちゃらした雰囲気は相変わらずといったところか。
「今日はプラネタリウムの上映係じゃないんですか?」
「あぁそれねー。感染者が出たせいで急遽やめになっちゃって。自分暇になっちゃってさ」
肩をすくめながら日原はそう言った。彼は主に子供を対象としたワークショップを担当している。以前は某テーマパークで働いていたらしい。そのおかげか日原のパフォーマンスは非常に人気がある。蓬莱アストロパークの中でも特に子供からの支持を得ている職員だ。噂によると一児の父らしい。
それはさておき、こんなところにも例の流行病が手を伸ばしているのは少し意外だった。
「それでこんなところにいるんですね」
そう佐治が返せば、日原は「仕方ないよねぇ」と言ってまた肩をすくめた。
「そんで暇を持て余してるからここに来たってワケ。ここならどっちの星もよく見えるでしょ。ところで来宮サンは相変わらず?」
「はい。今日も蛍が綺麗だと」
「……カフェイン絶った方がいいんじゃないの」
「そう思ってノンカフェインにすり替えたんですけどね。においですぐに気づかれました」
「犬か! ……まぁ、あんま気負わずに適当に接してればいいよ。アイツが天才なのは確かだけど、変人なのも確かだ。まともに取り合ってたら前任者みたいに疲れるからなぁ。せっかくここに就職できたんだし、さ」
佐治のことを慮っているのだろう。優しい口調で日原はそう言った。
その言葉を訊いた佐治は顔も知らぬ前任者を思う。
(真面目な人だったって聞くし、相当振り回されたんだろうなぁ)
確かに考えてみれば、佐治の境遇はあまりよくないかもしれない。やっと希望していた天文台で働けたと思えば、突然変人として有名な天才の世話を任されたのだ。
佐治としては天文台という場所で働ければそれで満足できる。しかし、ここへ来る人は皆そうではないのだろう。何かしらの目的が佐治にもあるものだと思ってくれているらしい。
(……そんなもの、ないけど)
日原の厚意を無下にするほど、無情でもないと自覚している。確か彼はお金を稼ぐためにここにいるのだったか。確かに一児の父であるなら金は必要だ。
眉を下げる日原に対して、佐治は苦笑いを浮かべるだけで特に言い返しはしなかった。




