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9話 僕は一緒に帰りたい



突然の雨だ。

 

まだ蛙がゲコゲコ鳴き始める季節じゃないってのに、途端に辺りは騒がしくなる。

 

今日は運動部も中で練習か。かと思えば泥だらけになりながら練習してる。

 

ずっと疑問に思ってたんだけど、スポンジで水たまりを吸う作業、あれほんとに意味あるのかな。冬なんて手が凍るほど冷たいし。


「って、田辺はよく愚痴をこぼしていたけど……参ったな」

 

下校間際の出来事だ。もちろん僕は傘を持っていない。


天気予報は晴れだったし、今日の星座占いは一位だった。ラッキーアイテムが『神社の鳥居』という意味不明さだったけど、まさか鳥居持ってないせいでこの仕打ち?


「田辺も部活に行っちゃったし、置き傘もない。もう駅まで走るしかないか」

 

とんだ災難だ。これではテンションも下がってしまう。

 

ただ、すぐにテンションハイマックスになってしまうほど、僕の心は気まぐれなのだ。


「はぁ〜眠た……て雪城さん!?」


「なに、狐につままれたような顔して」

 

まじかまじか。今すっごいあくびしちゃってた。

 

雪城さんは下駄箱の前で、丁度靴を取り出していた。その新品のように丁寧に扱っているローファーが、雨のせいで汚れてしまうのは少し惜しい。

 

ま、それもファッションにできる人なんだけどね。


「や、別に!? 雪城さんも今帰り? 遅いね」


「あきらに予備の傘を渡しに行ってたの」


「あー、あの可愛らしい友達」

 

忘れてそう。天然っていうか、ぽわぽわしてるし。

 

サッカー部のマネージャーなんだっけ。わざわざ届けてあげるなんて優しいな。うちの田辺とは大違い。


「あ、僕はね、傘忘れちゃってさ。さっきまで雨宿りしてたんだけど、全然止む気配がなくて。もういっそビシャビシャになって帰ろうかなって」


「そう。聞いてないけど」

 

あは、あはは……やっちまった。

 

雪城さんを目の前にすると、いつもの調子に拍車がかかって変な奴になってしまう。

 

いっそのこと雨に打たれるのも悪くないかもしれない。滝修行的な。


「てか、予備の傘ってなに? 雪城さん、いつも傘を2本持ち歩いてるの?」


「教室に置いてただけ。重いでしょ、普通に考えて」


「で、ですよね」

 

なんだか今日はグサグサくるな。雨のせいで彼女も気分が下がっているのかも。

 

連絡先を交換して、勉強も教えてくれて、少し仲良くなれたと思っていたのは僕の勘違いだったのか。

 

相変わらず、彼女はいつもの調子。舞い上がっている僕が恥ずかしい。


「あのさ」

 

御託は、もういい。

 

本当はばったり会った瞬間から、頭の中を蠢く欲望があった。でも中々言い出せなくて、他のことで気を紛らわせようとしたけど。

 

一縷の望みでもいい。ほんのちょっと、でいいからお願いだ。


「もし良かったらさ、えっと、僕も傘に入れてくれないかな、なんて――」


「え、嫌だけど」

 

即答!? 考える間もなく!? もう最後まで言う前に撃ち落とされたよ。

 

仕方ない。精一杯絞り出した勇気だけど、結局照れに負けて中途半端なお願いしちゃったし。

 

もっと誠実に、自分の気持ちを伝えることができたらいいのに。だったらこんな風に心残りもないはずなのに。


「い、嫌ならいいんだ。ごめんね、無理なお願いしちゃって」

 

痛くなる胸を隠すように、僕は必死の愛想笑いを浮かべる。

 

彼女はまるで奇妙な生物を眺めるかのように、首を傾げていた。


「じゃあ僕は走って帰るよ。雪城さんも気をつけて」

 

走り出す僕に、容赦なく打ち付ける雨。

まるで鞭で叩かれているかのように、肉体にも精神にも強烈な痛みを与えてくる。

 

こんな時に、蛙の大合唱でもあれば気分が紛れたのにな。


「ばいばい雪城さん!」


せめてさよならの挨拶だけでもしておこう。

そう思って振り返った刹那だった。


「わあっ!?」

 

僕が泥濘んだ地面に躓いて、水たまりへと盛大にダイブしたのは。

 

それはもう、カッコ悪すぎる転け方。ぐちゃっ、すてーん! と見事な効果音もおまけつきだ。

 

ぐちゃぐちゃになった感情と、最後に見えた彼女の顔に見惚れてしまったのが原因だろう。


「いてててて……」

 

本当に僕、星座占い一位だったんだよね? 神社の鳥居を持ってないだけでここまでの仕打ち受けるの? てかどうやって身につけろっていうんだよ!

 

思わず自分の不甲斐なさに涙が出そうだった。

 

でも、それは許されなかった。

ハンカチでその涙を拭うかのように、突然僕の頭上に影が差した。


「え……?」

 

見上げると、そこには雪城さんがいた。自分も濡れてしまうというのに、わざわざ傘を僕のために差してくれていた。


「さすがに心配だから」


その声はいつもの棘を抜いたように優しかった。


「いやいや肩! 濡れちゃってるよ!?」

 

僕はすぐに飛び上がり、慌てて傘を彼女側に寄せる。


「いいから。こういうのは素直に受け取りなさい」


「……いいの?」


「あと、顔に泥がついてる。……パンダみたい」

 

そう言って渡されるのはハンカチ。彼女の心情のように真っ白な善意。


「パンダってなに? 僕そんなおかしな顔してるかな」


「笑うのを我慢するぐらいには」


「眉一つ動いてないよね!? それ堪えてるの?」


「早く拭いなさいって」

 

僕は躊躇いながらも受け取る。

しばらく見つめて、ようやく泥を拭く。


鼓動が速い。こんな優しさを見せられて、僕が心臓を落とすなと言われる方が無理だった。


「明日洗って返すよ」


「ええ、そうして」

 

やっぱり彼女は教室の中のイメージと違う。

クールで突き放すようでいて、最後の一線は絶対に超えない。


ツンの中にも人情味がある人なんだ。


「ありがとう雪城さん。色々といたたまれない」

 

深々と一礼。地面が泥じゃなかったら土下座する勢いで感謝を述べた。


「じゃあ、僕は行くよ」

 

背を向けてさあ、という時。どうせ濡れちゃったから今更、と思ってたのに。


「駅までならいいわよ。あなた、いつか事故でも起こしそうだし」

 

一瞬、何を言われたのかわからなかった。

時間が止まったかのように、僕は目を見開いく。開いた口も塞がらない。

 

え、僕と雪城さんが、相合傘? 


言われようのない喜びが溢れ出しそうになって、僕の視界は一瞬にしてクリアになる。


「嫌なんじゃなかったの?」


「この傘、小さいから」


「あ、そういう……」

 

でも入れてくれるんだ。そんな野暮な疑問は投げないでいよう。


「入らないのなら、私は帰るけど」


「入る! もちろん入ります! もう全力で入らせていただきます!」


「やっぱやめようかしら」


「なんで!?」

 

そんなやり取りを終えて、僕と彼女は肩を並べて歩き出した。

 

近い。近すぎる。肩当たってるんだけど? え、なに僕を殺したいの? そういう特殊な暗殺術?

 

せめて彼女が濡れないようにしないと。

相合傘、濡れてるほうが、惚れている。これどこかで聞いた事あるけどほんとなんだな。


「だ、大丈夫なの? 誰かに見られたりしたら、変な噂が立っちゃうかもよ?」

 

相手は孤高の完璧美少女。誰もが憧れる高嶺の花だ。

 

男がこの光景を見たら、きっと僕は明日集団リンチに遭うのだろう。そんな野蛮な人はいないけどさ。


「そうね、なるでしょうね」

 

意外とあっさりなのは驚いたけど、少しだけ声が柔らかかった。


「そういえばさ、覚えてる? 小学生の頃もこうやって雨の中一緒に帰ったの。あの時はちゃんと僕も傘を差してたけど」


「そんな日、あったかしら」


「僕が一方的に付いて回って話してただけだからね……無理ないよ」

 

自嘲気味に笑うと、彼女はほんの少しだけ視線を落とす。


「いつも可愛い服着てたけど、その日はバイオリンの発表会があるからすごくおしゃれだったんだ。今とは違う短い髪も、編み込みが入っててさ」

 

頭のてっぺんから爪先まで可愛かったな。装飾もすごく綺麗で。


「今もバイオリンはやってるの?」


「趣味程度よ。昔みたいに習ってないわ」


「そうなんだ。一度聞いてみたいな、雪城さんのバイオリン」


「あなたに聞かせる義理なんて――」


「雪城さん危ないっ!」

 

僕は咄嗟に危険を察知した。それは前から走ってきた車が水たまりの上を走り去っていったこと。

 

その拍子に僕らに向かって、大量の水が跳ね上がったのだ。

 

反射的に手を握って引き寄せた。一滴たりとも汚させはしない、そんな信念を持って。


「大丈夫? かかってない?」


「私は大丈夫だけど……」

 

僕は背中と頭も水浸しだ。ほぼ全部受けたから。


「もともと濡れちゃってたし、全然平気だよ。雪城さんが無事で良かった」

 

笑って歯を見せる。心配はかけたくない。


「一緒に傘に入ってくれたお礼ができたね」


「あたは……いつもそうなんだから」

 

小さな息遣いが間近に聞こえて、寒いはずの体が暖かくなる、そんな声だった。


「え?」

 

彼女は顔を背けていた。紡がれた言葉も小さすぎて聞こえなかった。


「ありがとう。あと、いい加減離れて」


「うわっ、えっとごめん! 他意はないんだ。決してくっつきたいからとかそういうわけじゃ」

 

一切目を合わせてくれない。心なしか体も震えているような気がする。


そんなに僕に抱きつかれたのが嫌だったのか。まさかさっきぼそぼそ言っていたのは悪口!?

 

やっぱり僕って嫌われてる?


「って、待ってよ雪城さん!」

 

僕を置いて、彼女は早足で去っていく。

必死に謝りながら、僕は昔と同じように後を追った。


「あれ、そういえば昔もこんなこと……まいっか」

 

途中で彼女はタオルを買ってくれた。

その後は駅で別れたけど、僕は未だに彼女へ抱きついてしまったことが忘れられない。

 

毎日雨が降ったら良いのに。家に帰ってなぜか、民族が雨乞いする動画を視聴した。


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