7話 僕は他愛もないことが話したい
「雪ちゃんおはよー!」
「おはよ、あきら」
ここは高校の最寄り駅。駅から十分の道のりを雪城と仁衣菜は、一緒に登校していた。
中学からの付き合い。気の置けない親友。雪城が唯一素になれる、頼もしい存在。
「あっ……」
どんがらすってん! 小さい体ながら大きく手を振っていた仁衣菜は、足がもつれて盛大にコケてしまう。
このどんくさい所もまた、彼女の可愛さなのだろう。
「大丈夫? 足怪我してない?」
「いたたた……雪ちゃんに会えるのが楽しみすぎて、急いじゃった」
「もう、調子のいいこと言って。怪我したら本末転倒じゃない」
「えへへ、ほんとだ」
庇護欲を唆られる満面の笑み。
その様子を見ればふと雪城も頬が綻ぶ。教室では見せない表情が、仁衣菜の前だけに広がっていた。
「それでね、昨日はとっても面白いことがあってね――」
登校中、基本的に雪城は聞き手に徹する。
毎日家と学校の往復を繰り返し、勉強をして趣味の本を読む。そんな決まったルーティーンにはなんの面白みもない。
それを自負しているからこそ、あとは単純に仁衣菜の話が面白いからだ。
「ふふふ、そうなの。それは災難だったわね」
「ほんとだよ〜、まさかビニール袋だとは思わなくて」
ピロン。通知音だ。お母さんからだろうか、何か忘れ物?
「ごめんあきら。ちょっといい?」
「うん」
雪城はスマホを取り出す。横の仁衣菜は「遠目は猫だったんだけどなぁ。鳴き真似なんてしなきゃよかった」と一人で呟いていた。
「誰かしら」
発信者「天野健」
「げっ!?」
「どうしたの? なんか聞いたことない驚き声だったけど」
「き、気にしないで」
雪城は内容を確認せず、スマホを鞄へしまう。
「いいの? 返さなくて」
「いいのいいの。ちゃんと『つまらなかったら未読する』って言ってるから」
「え? 変なの」
くすくす笑う仁衣菜。そしてすぐに「あっ」と思い出して。
「もしかして天野くん?」
「……なんで」
「だって雪ちゃんの連絡先を知りたいって、うちに頼んできたもん」
あの男は。雪城は脳内で天野にとびっきりのグーパンチをお見舞いする。
「言ったでしょ? あの子とは関わらないほうがいいの、バカが移るから」
「えー? 面白い子だったよ。雪ちゃんのお友達」
「別に、友達でもなんでもないわ」
「そう? よく話してたじゃん。なんで名前教えてくれないんだろうって思ってたけど、本当にうちのことを考えて言ってたの?」
雪城は言葉に詰まる。変なところで勘が鋭いんだからと、頭の中がいっぱいになる。
「天野くんは……ただお調子者なだけ。無視しても、興味ないふりしても、折れずに構ってくるから、ほんと――苦手なの」
「へえ、なのに連絡先は交換したんだ」
「気の迷いだったわ。昨日の夜から通知鳴り止まないし、ブロックも視野に入れてるぐらいよ」
「ふぅ〜ん。空回りしちゃうタイプなんだ」
「……?」
「ま、でも良かったね」
「どこがよ。まさかまた同じ学校になるなんて、とんだ災難よ」
仁衣菜は思う。だったらなんで、ちょっと口角が上がっているんだろうと。
おそらく無意識なんだろうなと、散っていく桜と重なった横顔を見つめた。
*
「返信が、来ない!」
僕は悩んでいた。
せっかく勇気を振り絞って連絡先を交換したはいいものの、全く返信が来ないではないか。もう放課後だぞ!?
そんなに面白くないかな、僕のトーク。
てか世の男女はどういった会話をしているんだろう。
「お前が恋愛初心者過ぎて、聞いて呆れるぜ」
「必死に僕の魅力をアピールしてるつもりなんだけどな。ほら、僕って面白いぐらいしか取り得ないでしょ?」
「自分で言う奴は、大概大したことねぇんだよ」
「そう言うんだったらさ、田辺がお手本を見せてよ」
「ん」
「なんだよ、その手は」
「待遇。この俺にタダで教えろと?」
「……帰りにアイス奢って上げるよ」
「高いやつな? 味はストロベリーだ」
田辺は現金なやつだ。おこちゃまな舌してるくせに。
「いいか、まずは文章を短くしろ。単純に読むのがしんどいし、返信する気も失せる」
「ええー、せっかくの僕の面白トークなのに」
「それと、もっと他愛もない会話をしろ。今のお前がやってるのは、ただの押しつけだ。一方通行の自己満足だ。世間話ぐらいでいいんだよ」
「でもでもー」
「直す気ねぇならもう言ってやらんぞ?」
獲物を睨む百獣の王のような眼力。
ごめん、しっかりアドバイスを聞き入れるよ。
たしかに、田辺の言うことは的確だ。僕はどうやら独りよがりだったみたいだ。
小学生の頃の僕も、こんな感じだったっけ。
ずっと帰り道に付いていって、僕だけが話して、僕だけが楽しくて、相手の気持ちなんて考える余裕がなかったんだ。
「田辺はさ、好きな人と話す時、何が一番大切だと思う?」
「なんだよ、急に芯を食ったような話題出して」
「思えば僕ってさ、いつもこうなんだよね。気持ちが空回りして自分の事だけで手一杯で。雪城さんとどう接すればいいのか、正直わからないんだ」
「俺だってあの女と関わるのは骨が折れるけどよ……だがな」
田辺は僕を見る。いつにもなく真剣な目で。
「楽しいと思えるかだろ。どちらか一方じゃなくて、お互いがな」
「お互いが、楽しいと思える……か」
そうだな、そうだよね。僕は欠落していた何かの正体をようやく掴んだ気がした。
「僕だけが楽しくたって、ダメなんだ」
「ちょ、お前どこいくんだよ!? 俺のアイスは!?」
「今はそれどころじゃない! 雪城さんに会って謝らないと」
僕は脱兎の如く教室を飛び出していった。
胸の中を占めるのは多くの罪悪感。それともっと多くの関心。
僕はまだまだ雪城さんのことを何も知れていない。
「確か掃除当番だったはずだから……」
そろそろ終わる頃合いだろう。だったら向かうべき場所は一つ、校舎裏のゴミ捨て場だ。
「いた! 雪城さん!」
「え――天野、くん?」
読み通りだった。
雪城さんはほうきを片手にゴミ袋を片手に、丁度ゴミ捨て場へと向かっている最中だった。
「実は話したいことがあって……げほっ!?」
噎せた。思い立ってすぐ走り出したからだ。
背中にベッタリとシャツが張り付く。もう汗が出る季節なのか。
見上げれば校舎一面に咲いていた桜は新緑を芽吹かせていた。心なしか暖かった風は、暑さを帯びるようになっていた。
「なに、何のよう? あなたに構っている暇はないんだけど」
「言いたいことがあってさ」
ようやく息が整ってくる。周りに誰もいないからか、ここはやけに静かだった。
「その、僕と連絡先を交換してくれてありがとう」
「ただの気まぐれだから。もっとマシな内容は送れないの?」
「あはは、ごめん。下手くそだったよね」
「要件はそれだけ? だったら行くけど」
「いや! えっと……あるにはあるんだけど……」
記憶が蘇ってくる。
いつだって雪城さんは仏頂面だった。僕の一方的な会話に嫌気が差していて、拒んでいるのかとさえ思っていた。
でも、一度も『嫌だ』とは言われたことがないんだ。
僕が変われば、彼女の態度も変わるのではないか。そんな言われもない自信が、僕を突き動かした。
「好きな食べ物とか、好きな本とか、今日何があったのか、勉強のことだっていい! そんな、友達みたいに他愛のないことでも……連絡していいかな」
僕はただ自分の良さをアピールしたいだけだった。恋愛に奥手なくせに、変なところで空回るから上手くいかないと思っている。
僕は雪城さんのことを知りたい。
最初からその本音を、ぶつければ良かったのに。
「はぁ。もうしょうもないことで、連絡してこないでよ」
「それってつまり……」
「答えられる範囲で答えてあげる。私の気分次第だけどね」
雪城さんは顔を背けながらそう言った。つられて靡いた髪が、その言葉を際立たせた。
やった! やったぞ! 僕は有頂天になる。これはまずは友達からの第一歩を踏み出せたんじゃないのか!? ひゃっほーい!
早速夜に連絡だ!
「明日の一時間目って、国語だっけ?」
「はい」
返信が、帰ってきたぁあああ!
僕は非力なくせに喜びのあまり、腕立て伏せで気分を紛らわせることにした。
その後一週間、筋肉痛で腕が上がらなくなったのは言うまでもない。




