6話 僕は連絡先を交換したい
6話 僕は連絡先を交換したい
夢心地のような体験だった。
思い返すのは体力テストの日。まさかあんな感じで雪城さんと急接近してしまうとは。
上体起こし、忘れててよかったぁあああ!
あの時の体温や感触が、風呂に入っても布団に潜っても離れてくれない。
でも、それだけじゃない。
もしかしたら彼女は僕に『興味ゼロ』ではないのかもしれない。そんな淡い期待が胸の奥でちろっと灯り始めていた。
「ねぇどう思う?」
「まずは気持ち悪いほど近いその顔をどけろ」
恋愛相談は気の置けない友達に限る。
田辺、朝練終わりで申し訳ないけど、耳の穴かっぽじって聞いてくれ。
「どうした藪から棒に」
「僕はね、思うんだよ。雪城さんも実は僕のことが気になってるんじゃないかって」
「……どこから湧いてくるんだよその自信は」
「だってまず僕にだけ敬語じゃない」
「同小だったからだろ」
「僕のことを罵倒してくれる」
「それは普通にマイナスじゃね?」
「僕に触れても嫌がらない」
「やむを得ない状況だっただけだろ」
なんでだ。僕の友達は絶対に良い方向に解釈してくれないんだけど。
「日常を見てる限り、お前に興味がある素振りなんて一ミリも感じないがな」
「で、でもさ。同じ学級委員だし」
「それだけだろ?」
ぐぬぬ。やはり僕は自惚れているだけだというのか。
他の人より接点があるにせよ、確かに興味の対象にすらなれていない気がする。
「なんとかならないかな。こういのは機会を増やすのが大切だと思うんだ」
「機会ねぇ」
誰でも最初は初対面だ。それがなんらかのきっかけを得て打ち解ける。
ほら、漫画だといがみ合っていた二人が隣の席になって、文化祭実行委員になって、いつの間にか仲良くなって付き合うみたいな。
こうやってただ眺めているだけでは恋は実らない。
「そういやお前、連絡先は交換したのか?」
「え、まだだけど」
「まだ……?」
頭いっぱいを占める真っ白な空白。
ぽかんと上の空になった僕は、しばらくの沈黙を得て事の重大さにようやく気づく。
「やばいかな。てかめっちゃやばくね?」
「めっちゃやばいよ。お前がスタートラインにすら立ってなかったとは」
連絡先の交換、それは互いの距離を縮める一番手っ取り早くて一番効果的な手法だ。
わかっていながら行動に移すせていない自分が情けない。
「ただ雪城がそう簡単に交換してくれるかとなれば、まぁ難しいに決まってるがな」
僕は知っている。彼女の美貌に見惚れて言い寄っていった男が、全員撃沈していることを。
あの壁を突破するのは函谷関を破るくらい険しい道のりだろう。
「素直に連絡先交換してって言っても無理だよね」
「お前のことが相当好きならいけるだろ」
「その自信は……ない」
「そこは弱気なんだな。恋が絡むとお前ってほんと意気地なしだわ」
「だってだって! 嫌われたくないし!」
「仕方ねぇ。俺が奥の手を教えてやるよ」
「奥の手?」
「ああ。たまには誰かを頼るのも恋愛の筋だろ」
二つ横のクラス。僕は扉の前で深呼吸する。
知らないクラスって怖いよね。なんでこんなに空気が重く感じるんだろう。やっぱり知らない人しかいないからかな。
ただ僕にだって、顔見知りの子ぐらいいる。
それはひまわりのように可愛らしくて、朗らかで、そこにいるだけで場を和ましてくれるような──彼女の唯一の友達。
「あ、あの仁衣菜さんって子いますか?」
近場にいた生徒へ勇気を振り絞って聞いてみる。
田辺に与えられた奥の手はずばり、彼女の友達である仁衣菜さんを伝手に、連絡先を聞こうという方法だ。
それなら拒否される可能性は少ない。本当は直接聞くのが男らしいけどね。戦略というと聞こえがいいかな。
「あきらー、友だちが来てるよ」
と、友達!? いえいえまだそんな関係では。相手は僕の名前すら知らないってのに。
「あ、前の……てけてけの人!」
「ど、ども」
その覚えられ方は不本意だけど、この際仕方ない。
仁衣菜さんは小動物のようにぴょこぴょこ近づいてくる。雪城さんとは正反対な性質が、雰囲気や言動から伝わってきた。
中学の頃からの付き合いなんだっけ。どうやって友達になれたんだろう。不思議だ。
「どうしたの? うちに何か用?」
「いや、えっとね、用はあるんだけどさ。ちょっとここでは話しづらいっていうか、周りの視線が気になるっていうか。その田辺がさ、仁衣菜さんに頼ってみろって、言ってたから、うん、そんな感じ」
やっべ。キョドりすぎて絶対に伝わってない。
僕のあんぽんたん。雪城さんのことになると途端に語彙力が消失するんだから。
「あき君……?」
しばらく仁衣菜さんは首を傾げていた。僕の察してほしいという顔を眺めながら。
そして頭に豆電球がぴこん! 閃いたと言わんばかりに手のひらを打つ。
「なるほど、雪ちゃん絡みだ」
「しーっ! あんまり大きな声で言わないでよ」
「ごめんごめん。じゃあさ、教室の外で話そうよ。天野くん」
「ありがとう! ……て、え? なんで僕の名前」
「えへへ」
え、なにその悪戯じみた笑顔は。
頭の整理が追いつかない中、手招きされるがままに踊り場へと移動する。
「なんで僕の名前を知ってるの?」
「あき君に教えてもらったんだ。仲いいんでしょ?」
「そうだけどさ。僕はてっきり雪城さんに教えてもらったのかと」
「あー雪ちゃんはね、あんなバカの名前なんて知らなくていいって、教えてくれなかったかたんだ」
「ば、ばか……そういやそう言ってたね」
僕の心へ一万ダメージ。しかし、なぜか謎のバフも付与される。
「本題なんだけどさ」
僕は腹を括る。仁衣菜さんから雪城さんの連絡先を教えてもらう。これが今日のミッションだ。
「実は雪城さんの連絡先を教えてほしくて♪──」
「ごめんね。教えられないの」
「へ?」
顔の前に手を合わせ、本気の申し訳ないポーズを取る仁衣菜さん。
予想外の仕打ちに僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「え、なんで?」
「ほら、雪ちゃんてモテるでしょ?」
「そりゃめちゃくちゃ美人だし頭もいいし、他の人とは違うオーラがむんむんしてるし。男の人なら一目惚れしない人はいないんじゃないかってくらい最高に可愛いけど」
それに加えて性格はツン100%。淡白だけど我がしっかりしていて、惹かれない要素が僕にはない。
「……もしかして、天野くんも雪ちゃんのことが好きなの?」
「もちろん! 世界一、いや宇宙一、いや銀河一大好きだよ……あ」
しまった。調子に乗って言わなくてもいいことまで言っちゃた。
やめてくれ。そんなピュアな目で僕を見つめないでくれ。
「そっかぁ。やっぱみんな雪ちゃんのこと好きだよね。私もだよ」
「あの子を好きにならないほうが難しいよ」
「うんうん。でもごめんね。みんな雪ちゃんに聞いてダメだったからって、うちに聞いてくるんだ。友達が嫌って言ってるのに教えるのは違うでしょ?」
「ぐぬぬ、たしかに」
「天野くんもダメだったの?」
「い、いや僕はまだ聞いてすらいないんだ。今一歩踏み出せないっていうか、怖くてさ。だから仁衣菜さんを頼ってみたんだ」
我ながら恥ずかしい。まだ玉砕してる連中のほうがかっこいいよ。
「だったら一回、直接聞いてみたら良いと思う!」
仁衣菜さんは僕の手をがっしり掴む。まるで頑張れと念を送るように。
「僕にできるかな。お調子者も、好きなこの前だと息を潜めちゃうんだけど」
「絶対に大丈夫だよ。天野くんなら、絶対に」
「なんでそう言い切れるのさ」
「え、や、えと……なんとなく!」
「ん?」
最後はなんだか煮えきらない言い方だった。おまけに明後日の方向を向いてるし。
だけどこれも何かの縁だ。断られたのなら、直接聞いてみるしかない。
僕にだって、それぐらいの勇気はあるんだ!
「なんで、嫌だけど」
放課後、思い切って下校中の雪城さんに連絡先を聞いてみたところ。
彼女の口から飛び出したのは、当然の拒絶であった。
やっぱり、そう簡単にはいかないよね。喉の奥がきゅっと締め付けられるような感覚だ。
胸の中にほんの少し、期待があった分その一言が余計に刺さる。
「……そっか。ごめんね、変なこと言って」
なんとか笑って誤魔化したつもりだったけど、きっと引きつっていたと思う。
なーにが彼女をデレさせたいだ。最初から無謀な挑戦ではあったけど、これじゃへそで茶を沸かせてしまうじゃないか。相当な思い上がりだぞ。
僕は同じ帰り道のはずなのに、彼女の一歩後ろすら歩く気分にはならなかった。
キーンコンカーンコン。
5時を知らせるチャイムが響き渡る。今日は特に鮮明に、空虚に。
無性にやるせなくなった。
このまま終わっていいのか、問いかける前に僕の口は勝手に動いていた。
「僕っ……!」
顔を上げると、彼女は僕の方を向いていた。
ほんの一瞬だけ俯き気味に。まるで、これからの僕の言葉を期待するかのように。
突然吹いた風が彼女の髪を一束、頬に張り付かせた。その光景が、最後の躊躇だった。
「雪城さんのことがもっと知りたいんだ! ただの学級委員だからじゃなくて、人として! 君にとっても興味があるから!」
言った。言ってしまったぞついに。心臓がバクバクだ。大丈夫かな。告白ではないけどもう同じようなことだぞ。
「だ、だから……連絡先を教えてくれないかな」
沈黙が続いた帰り道。
中々返答がなくて、焦燥感がひしひしと湧き上がってきた時。
彼女がぽつりと声を落とす。
「どうせあなたも同じだと思った。でも、そうじゃないみたい」
「同じ?」
「可愛いからとか、一目惚れしたからとか、みんな外面ばっかり。ちゃんと私のことを知らないくせにと思って、面倒だから断るようにしてた」
ため息混じりの苛立ちが伝わる。
しかしその後すぐに、小さな息遣い。
彼女の影が、ハイライトに変わる。
「あなたは……やっぱり私のことをちゃんと見てくれてるのね」
文末の最後まで、声は柔らかかった。
それに――どこまでも続く夕日のように、明るかった。
「はい、これ。私の連絡先だから」
「えええ!? い、いいの!?」
「しょうもないこと話すなら、未読するから」
「任せてよ! エピソードトークの豊富さには自信があるんだ!」
「そう。期待しとく」
思いもよらなかった。まさか、連絡先をもらえるなんて。
今日は眠れないぞ。だっていっぱい話しかける予定だから。
しかし、僕が送った内容が微妙だったらしく「おもしろくない。これが続くなら通知オフにする」と、手厳しい指摘を受けてしまうのだった。
おかしいな。僕も精進しないと。




