5話 僕はカッコつけたい
今日は高校に入学してから初めての体育だ。
「はっ!? ポニテの衝撃で気絶してた」
「いいからさっさと整列しろ?」
僕は膝をつきながら、女子の列に並ぶ雪城さんに見惚れていた。
いつもは腰まで靡く美しいサラサラヘアが一つ括りにされるだけで、なぜここまでの破壊力があるのか。
隠されていたうなじは宝石のように輝き、整った耳元は朝日に照らされた水面のように光沢を放っている。
「棘のある白薔薇かと思えば、まさか朝にだけ開花する睡蓮にもなれるとは……」
「いいから並べ? 体力テスト始まらねぇから」
僕は渋々彼女の新しい一面に癒されることを諦め、列に並ぶ。田辺の後ろだ。
「さっきの見た? ポニテってあんなに破壊力があるんだね」
「まぁ、わからんでもないが」
「しかも何あのシュシュ。可愛すぎでしょ。なんでただのゴムじゃないんだよ。あれ、あの川の先にいるのは……おじいちゃん?」
「逝くな逝くな。天に召されるのはまだ早い」
「でもさ、正直ずるいと思うんだよね。僕にだって長い髪があれば、同じように雪城さんに意識してもらえるかもしれないでしょ?」
「お前に長い髪はねぇし、そもそも意識すらされてねぇだろ」
「……もしかしたら嫌われてるのかとさえ、最近思うんだよ」
「目を見て会話してもらえてるだけマシだと思え」
田辺は身震いする。そういや仁衣菜さんだっけ? 彼女の友達を紹介する時、完全に敵意を向けられていたっけ。
そう考えると僕への好感度は最低ってわけでもないらしい。
「こら、そこうるさいぞ」
「すいません」
田辺のせいで怒られたじゃないか。
俺のせいにするなと言いたげに、前に並ぶ田辺はかかとで思いっきり僕の足を踏んづけた。
「今から8つの種目を順番にやってもらうからな。体育委員は先生の手伝いをしてくれ。学級委員は記録係をお願いしたい」
「あ、僕のことか」
どうやら各自の記録を書面にまとめる役割があるらしい。今思えば彼女がいなければ僕は学級委員にはなってなかったんだろうな。
どうすれば意識してもらえるんだろう。
「そうだ!」
「何だよ急に。耳元でうるせぇな」
「雪城さんにかっこいいところを見せれば良いんだよ。体力テストで好成績を出してさ!」
「そんで振り向いてもらおうって算段か?」
「その通り。足が早いやつはモテるでしょ?」
「年齢によるがな」
こうして僕は人生で一番やる気に満ちて体力テストへ挑んだ。
「天野健、シャトルラン8回」「ハンドボール投げ40センチ」「立ち幅跳び23センチ」「反復横跳び6回」「長座体前屈18センチ」
僕は肩で息をしながら膝に手をつく。
「……泣いてもいい?」
「みっともねぇからやめろ」
「そんな事言わずに胸を貸してよ田辺ぇえええ」
「きたねぇ!? 鼻水を撒き散らすな!」
平均以下のオンパレード。弱者男性ここに極まれり。
昔からこうだ。僕は絶望的に体力がない。
「これじゃ生き恥を晒しただけだ。田辺、丈夫なロープはない?」
「死ぬのなら毒物がおすすめだ」
「止めてよ! 友達ならそこは励ますのが筋だろ!?」
田辺は薄情なやつだ。友達が真剣に悩んでるってのに。本当に首を釣ってもいいんだぞ!?
「雪城透花、シャトルラン120回! ええ!? すご……」
女子の驚愕めいた声が、僕を現実世界へと引き戻してくれる。
「どうやら女子も始まったみたいだな」
「あれは……まさか」
僕の視線の先には、額から流れる汗でさえ燦然と輝く彼女の姿があった。
雪城透花、体力テストの全ての種目において、全国トップレベルの成績。
「たまーにいるよな。才色兼備でスポーツ万能。前世で国を救ったんかってレベルで非の打ち所がない奴ってよ」
呆れすら凌駕した田辺の感嘆の声が聞こえてくる。
「す、すごいよ! やっぱり雪城さんはすごいよ! あれ学年一位なれるよ絶対」
「そのレベルの話じゃねぇだろ。あーあ、なんか虚しくなってくるぜ」
「え? なんで」
「やっぱ世の中才能なんだよ。努力がどうのこうの綺麗事並べてる奴は、実際に目にしたことがねぇから言えるんだ」
珍しく田辺が刺すような言い方をする。
サッカー部である彼は常に競争する立場にある。そういった面を重ねているのかもしれない。
「っても、脳内お花畑のお前じゃ『かわいい』ぐらいしか思わねぇんだろうが」
「それは違うよ田辺」
そしてまた、僕も珍しく腹が立つ。
彼女に才能はあるだろうけど、その才能を磨き上げてきた姿を見たことがないから言えるのだと。
「雪城さんはストイックな女の子だよ」
「……なんでそう思うんだ」
「性格はよく知ってるつもりだからね」
僕だって何を知った口聞いてんだって言われるだろう。
実際まともに会話をしたことがなければ、いつだって陰ながら彼女に恋を馳せることしかしてこなかった。
ただ、これだけは言える。
「雪城さんて、負けず嫌いだからさ。とっても努力する人だってのは知ってるよ」
高校生になった今も、どうやら彼女は何も変わっていないわけじゃないらしい。
だって、スポーツは僕といい勝負してたから。一緒によく放課後に補習を受けていた仲だったから。
「あっそ。お前が言うのならそうなんだろうな」
「まぁでも、進化しすぎな気もするけどね」
やっぱり彼女はすごい。
あんな人間がこの世にいるんだな。
体力テスト後の片付けで、僕はハードルを引きずりながら倉庫に運んでいた。
「おい天野」
そこで慌てた様子の先生に呼び止められる。
おかしいな。ちゃんと全員の記録はまとめたはずだけど。記入漏れでもあったかな。
「お前、上体起こししたか? 空欄になってるが」
「あ」
完全に忘れていた。彼女の体操服姿にも脳を焼かれていたせいで。
「すみません。すぐやります」
「相手はそうだな……」
先生の視線の先には「丁度いい」という声とともに、とある女の子が映っていた。
「雪城、お前も学級委員だろ。天野の上体起こしの記録、測ってやってくれ」
な、なにこれ――?
「制限時間は20秒だから」
「は、はい……」
閑散とした体育館で二人居残り測定。こんな最高の時間があっていいのか。
「ありがとう付き合ってくれて。僕が測定し忘れたばかりに」
気恥ずかしさで後頭部を撫でる。
神様、僕は今好きな人と同じ空気を吸っています。
「お礼はいいから、さっさとやる」
「よ、よろしくお願いしま……」
僕がお山座りをしていると、突然その足の下に彼女は腕を絡ませる。
体の体温や胸の感触が直に足から伝わってきて──
「て、雪城さん!? 何をして」
「支えてあげないとできないでしょ」
そうだけど! そうなんだけど! これはセンシティブすぎるよ!
「ほら数えててあげるから」
いち、に、さん。
そっけない態度だけど、少し優しい声色が上体を起こすたびに聞こええくる。息遣いですら明瞭だ。
そして何より、顔が近い。もちろん目なんて合わせられないから、僕は必死に目をつむり素数を数える。
ひやー無理だ。こんな急接近、考えるなと言われても。
「あ……!?」
「え」
そのたった一瞬だった。
僕が情緒を取り乱して、不意に目を開けてしまったのは。
間近に広がるのは、長いまつ毛に誇張された──彼女の揺れる大きな瞳だった。
まるで音のない世界で会話してるかのような、そのひと時だけ、時間が止まった感覚だった。
「近い」
「え、えと……ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど」
加速度的に早まる心臓と、乗数的に高まっていく体温。熱気が帯びるほど今の僕はゆでタコ状態だった。
「9、10……時間ね」
「はあ、はあ、生死をかける戦だった……」
10回しかできないクソ雑魚体力なのには目を瞑ろう。だってこんな幸せな時間を過ごせたんだから。
「昔から苦手よね、体力テスト。ちょっとは努力したら?」
「め、面目ない」
ひと仕事終えた彼女はそんな捨て台詞を吐いた後、そそくさと記録を書きに去っていった。
「あれ、てか僕が苦手だったこと覚えてるの?」
一緒にやったのは今日が初めてだし、小学生のときはこんなイレギュラーもなく男女別でやってたから知っているはずなんて。
「僕の聞き間違いかな」
過呼吸を整えたくて、僕は天井を仰いだ。




