10話 僕はお礼がしたい
「はぁい♡ 今日はクッキーを作りますよぉ〜。班に分かれて始めてくださ〜い」
若々しい口調が似合う美魔女家庭科教師からスタートの号令が掛かる。
五人一組での調理実習が始まった。
「僕はさ、思うんだよね。もし雪城さんと一緒になれたら、毎日あの格好で料理をする姿を眺められるのかなって」
「エプロン姿を視姦するのは止めろ? 目つきが溶けてんぞ」
「そして不意にバックハグをして、『もう健くん、まだ料理中だよ?』て満面の笑顔を振りまいてくれるんだ」
「一旦無視でいいか?」
ロングヘアの制服姿。ポニーテールの体操服姿。そして今回はなんと、髪留めで束ねたエプロン姿だ。
千差万別、どれも僕を悩殺してくる。妄想の暴走を止められるはずがない。
「雪城さんの班はどんなクッキーを作るんだろ」
僕のために作ってくれたりして、そんな幻想を抱きながら、視線はつい彼女を追ってしまう。
まるでサッカー観戦に来た観客のように。
「す、すごい! 準備から何までガチ勢のそれだ!」
付箋びっしりのレシピに、必要な道具は完璧に並んでいて、完成までの手順まで班のメンバーと共有してる。
一体どんなクッキーを作ろうとしてるんだ!? 三角巾がプロの長すぎる帽子に見えてくるほどの気迫だ。
「ただの授業とは思えない。さすが雪城さん、抜かりない!」
「いいからお前は卵を混ぜろ」
意識は向いていないのに、なぜか僕は爆速で卵を混ぜていた。火花が散ってもおかしくないレベルで。
彼女の動きは百人分の仕事を一人でこなしているようだった。グラムはミリ単位で量り、卵は片手割り。お湯の温度も正確だ。全てがテキパキしている。
その上で班員への指示も的確。まさに御業。
「なんだか、楽しそうだな」
クールな印象だからこそ、柔らかな表情が映える。全ての工程が死ぬほど丁寧な上に、今日は赤と白の薔薇が背景を彩る華やかさ。
いつもの氷のような雰囲気が、ほんのり溶けていた。
「雪城さんすごいね。よく作るの?」
班の女子からの質問。羨望の眼差しが彼女へと向けられている。
「暇つぶしに丁度いいだけよ」
「早く食べたいね。きっとおいしいよ」
黄色い声が弾む輪の中で、彼女のツンとした気品が混ざる光景は新鮮だった。
僕も同じ班だったらな。怒られる未来しか見えないけど。
「あの感じだと、よく作るみたいだね」
「だとしてもだ。ただ暇つぶしでできる技量じゃねぇと思うが」
「だって雪城さんだよ? 一度見たらすぐに覚えちゃうんだよきっと」
「いやあれは、他にからくりがあるな」
「からくり?」
「誰かのために作る料理と、自己満足で作る料理は違うんだよ」
「そう……なの?」
「ピンときてねぇならいいわ」
そう言って田辺は洗い物を始めてしまう。
「誰かのために、か自己満足のために、か」
見た目や味は同じでも、なんとなくそれは変わるような気がする。相手の好みに合わせたり、例えば愛の味がするとか。気持ちの面で、料理も変わってくるのだろうか。
だったら僕は――。
「ねぇ田辺、まだ仕事残ってる? 是非とも僕にやらせてほしいんだ」
「後は型を抜いて焼くだけだが……どうした急に。グルメ漫画の主人公みたいな熱気放って」
「実はさ、雪城さんに返したい恩があるんだ」
それは雨の日、転けた拍子に泥だらけになった僕へハンカチを貸してくれたこと。僕と相合傘をしてくれたこと。
そして、楽しい時間を過ごしてくれたこと。
「だからお礼がしたいんだ。誰かのために作る料理って、きっとおいしいと思うからさ」
雪城さんの喜ぶ顔が見たい。あれっきりで終わらせたくない。もっと距離を縮めたい。
言ってしまえばきっかけ作りなのは認めるけど、どうしようもなく好きなんだ。
小学生の頃からずっと。
「……なるほどな。言っとくが期待するなよ? 愛情なんて味、わかるはずねぇからな」
「わかってるよ! そんな簡単に伝わると思ってないし、そんな度胸も」
「人ってな、ちゃんと顔に出るんだよ。作った側も、作ってもらった側も」
薄っすらと思い描く。彼女が「おいしい」と言ってくれる顔を。それを見て笑顔になる僕を。
「うおぉおおお! 絶対に最高のクッキーを作ってみせる!」
スーパー天野3.原作最強の形態に覚醒。今はクッキーの生地にしか目に映らないほどの集中力だ。
「見て見て、あの班。すごいやる気だね」
「……ええ」
その光景を雪城さんは神妙に眺めていた。
気づかれないように隠れて作ったクッキーを、袋に入れながら。
リボンのラッピングをきゅっと締めた。
放課後、僕は校舎裏で待っていた。
借りたハンカチと調理実習で作ったクッキーを渡すためだ。
少し焦がしちゃったけど、味は大丈夫だと田辺から太鼓判を押された。背中も押してくれた。
「ふぅ、一度深呼吸だ。呼び出した時は心臓が爆散しそうだったからね」
渡したいものがある、そう勇気を出して連絡した。しかし意外にも「わかったわ」と呆気ない了承。いつもは一回必ず断られるのに。
「てか、誰も居ない校舎裏に呼び出しって、告白なんじゃ!?」
まさか彼女は「はいはい、いつものやつね」とわかって来るのかも。
これまで告白した男子をばっさり切り捨て御免した噂は耳に入っている。
「もし誤解されてたら……いや勢いで言っちゃうか!? でもまだそんな関係じゃ――」
「なに一人でぶつぶつ喋ってるの」
「わぁ!? 雪城さん!?」
僕は慌ててお礼の品を背後に隠す。
同時に顔が真っ赤になって体温も急上昇だ。
「気にしないで。ただ煩悩を払ってただけだから。南無阿弥陀仏……的な!」
「は?」
しっかしろ健! 空回りするのはもうごめんだ。一度冷静になれ!
雪城さんと距離を縮めるチャンスだろ。
「実は、渡したいものがあって」
「ええ、ハンカチでしょ」
「へ?」
淡々とした声。彼女は最初から察していたようだ。
「呆けてないで、早く返して」
「あ、あぁー、洗って返すって言ったもんね」
漂白剤と柔軟剤をわざわざ新調して洗ったハンカチだ。僕の匂い一つ残らないようにはしたけど、少し不安。
いや、それだけじゃないだろ。他に渡したい物があるだろ。
「他にも、渡したい物があってさ」
僕は目を見つめられなかった。体も微妙に震えていた。口調も辿々しくて、妙にもどかしかった。
でも、それは勇気を出すために必要な時間だったのだろう。
さっきまで影だった校舎裏に、ほんの僅かな日が差した。
「これ、ハンカチを貸してくれたお礼!」
「え……クッキー?」
「ただ返すだけじゃ僕の気が収まらなくてさ。わがままだけど、受け取ってほしいんだ」
あはは、と引きつった愛想笑い。渡せたことで途端に気が抜けてしまい、ちょっと仕草が気持ち悪い。
「だからといって、こんなことされると」
彼女はしばらく俯いていた。それはおそらく僕ではなく手渡されたクッキーを見ていたからだ。
ぎこちない形。見た目は失敗そのもの。それでも気持ちはたくさん注いだつもり。
数秒の間があって、固まっていた彼女はようやく口を開ける。
「大丈夫なの? 変なもの入れてない?」
変なもの……入れたつもりはないけど、変な感情は入ってるかもしれない。
「大丈夫だよ。僕の自信作だ」
「そう」
彼女はゆっくりと包みを空ける。間もなく一口。小さな口の形がクッキーに彩られる。
「悪くないわね。結構おいしい」
「でしょでしょ! 雪城さんのために作ったからね」
「私のために?」
やっべ、余計なこと言っちゃった。
「そ、そりゃあお礼だからね。あはは……」
「ふぅん、そっか」
彼女はどこか柔らかく、僕の言葉の端を噛みしめるように表情を緩めた。
「雪城さんが喜んでくれて良かったよ。そろそろ暗くなる前に帰ろっか」
僕はどうしようもなく歯痒い心に耐えられなくて、初めて彼女の一歩前を歩き出す。
これは前進したと言えるのかな。ちょっとずつだけど、僕も成長しているのかもしれない。まだ言葉にするのは恥ずかしいけど、行動には移せるようになってきた。
あわよくば雪城さんからクッキーがもらいたかったな。そんな本音は胸の奥にしまって。
「待って」
突然呼び止められる。いつもの気品がある冷酷な声とは違い、必死な語気だった。
「え、なに――」
振り返った瞬間、僕は目を奪われた。
髪の毛をくるくる回す癖。
顔を背けた横顔。
言いかけては飲み込んだのが分かる乱れた制服。
表情には出ずとも僕にはこれが照れ隠しであるとわからないほど、鈍感じゃなかった。
「私もお礼、あるんだけど」
そう言って渡されたのはクッキーだった。
僕の作った物とは違う、綺麗な形。食べる人を自然とワクワクさせてくる。
「水たまりがかかりそうになった時、庇ってくれたから。いらないならいいけど」
まさかの展開に僕は放心状態だった。
お礼? 僕に? あの雪城さんが? なんで。
野暮なほどに頭を埋め尽くすはてな。受け取る手が言うことを聞かない。
「いる! すっごくいる! 雪城さんが僕のために作ってくれたんでしょ?」
「余ったから、仕方なくよ」
「だとしても嬉しいよ!」
まるで小学生のように僕は無邪気だった。
リボンのラッピングを外して、一枚手に取る。
もうその時はいつもの彼女だったけど、横目に僕を見つめているような気がした。
「これホワイトチョコ? 僕大好きなんだよね! この世の甘い物人気投票でダントツ一位を取れちゃうぐらいに」
子どもの頃からずっと好きだ。予期せず僕の大好物を引き当てるなんて、彼女は白魔道士? 預言者? どっちでもいいか。
遠慮せず一口で。甘い。美味しい。頬が蕩ける。雪城さんが僕のために作ってくれたクッキーは、人生史上感じたことのない味だった。
これが気持ちってやつなのかな。わかんないや。
彼女を見ると、微妙に笑ってくれているように思う。
「一日で食べちゃうのが惜しいぐらいおいしいよ! A5ランクの和牛も敵わないね」
「大げさすぎ。あとうるさいから」
「だって、おいしすぎるんだもん」
僕は今日のことを一生忘れないだろう。
甘い時間だった。
甘い表情だった。
そして――ほんの一粒だけ混ざった雪城さんの『デレ』
ちょとは意識してくれてるのかな。
そんな淡い期待を抱きながら、僕たちは校舎裏を後にする。




