仮面の素顔たち
『仮面』の続編にあたる物語です。
先に『仮面』を読んで頂くと面白くなるかと思います。
晴彦は、雪乃の【仮面】を抱きしめながら、あの日の【雪乃】に思いを馳せていた。これはまだ、雪乃と晴彦が恋人だった頃の、遠い過去のほんの一幕である。
それは、師走の真っ只中、二人が雪乃の自宅の炬燵でぬくぬくとあったまっていた時だった。
「ねぇ、晴彦。またラブレターもらってたでしょ、これで何通目?」
「えっ?!あんなの、すぐに捨てたよ!俺には雪乃しかいないし……」
「捨てたぁ?!あんた馬鹿なの?!女の子が一生懸命考えて想いを書き連ねた言葉のギフトを捨てたっていうの?!そんなの考えられない!今すぐゴミ箱漁って取ってきなさい!そしてちゃんと読んで、想いを受け止めて、きちんとごめんなさいってお返事するの!それがいい男のすることよ!そういうラブレター読まずに捨てる最低ゴミ屑男とは、口ききませーん!」
ぷいっと雪乃が腕を組んでそっぽを向くと、晴彦はむっとした表情で反論した。
「雪乃。それはちょっと、あまりにも理不尽じゃないか?俺だって好意のない女性からラブレター受け取っても、何にも嬉しくないし、むしろ少し気持ち悪いというか……。俺には雪乃っていう彼女がいるって言っても、ラブレターを押し付けてきたんだ。これって好意の押し付けになるんじゃないか?」
その反論を聞いた雪乃は増々ふくれっ面になった。
「それは女の子の気持ちを考えてないから、そんなこと言えるのよ!自分がもし同じ立場だったら、って考えてみなさいよ。もし晴彦が私にラブレターを渡す立場だったとして、私が読まずに捨てたら傷つくでしょう?」
さすがの晴彦も雪乃の言い分にはたじろいだ。
「そ、それは……さすがに……俺も、傷つく……」
ふぅ、と雪乃が溜息をつくと晴彦の背中をばしっと叩く。
「いてっ」
「晴彦、ラブレター、一緒に探してあげるからあとでハーゲンダッツ奢りなさいよね」
「えっ、雪乃、怒ってるんじゃないの?」
怖々と晴彦が雪乃に尋ねる。
「私が怒ってるのは、ラブレターをもらったことに対してじゃなくて、もらったラブレターを捨てたことに対して怒ってるのよ。でも、その痛みを知ったあなたは、もう同じ過ちを繰り返さない。でしょう?」
「うん」
「それなら、私は一緒にラブレターを探して、二人でハーゲンダッツを食べるわ。真冬の寒い中、炬燵の中で食べるハーゲンダッツ程、嗜好品として最高のものはないもの」
「俺、未だにその感覚がよくわからないんだよなぁ」
晴彦は唸りながら上着を羽織り、出かける支度をする。その一方で、大好物確定の雪乃は、鼻歌を歌いながら足取り軽やかに上着も羽織らずに部屋を出ていこうとする。
「ちょっと、雪乃。いくらハーゲンダッツが待っているとはいえ、上着はちゃんと着なきゃ駄目だよ。って話聞いてないし……」
やれやれ、と雪乃の分の上着を持って、先に出て行ってしまった雪乃を慌てて追いかけたい気持ちもあったが、晴彦は部屋のガス栓を閉め、電気を消し、炬燵の電源も消し、窓の施錠も確認をして、カーテンを閉めて、ドアの施錠の確認をして、これで良し!と心の中で安全点呼をしてから雪乃の後を追った。この時点ですでに、雪乃とは、はぐれてしまっていた。
一方の雪乃は、晴彦がラブレターを捨てそうな場所には見当がついていたので、すぐにそこに向かえば間に合うという、甘い見立てが、後に己を苦境へと追いやった。
いつもいらないラブレターはここの公園のゴミ箱に捨てているはずなのに、今日は見当たらない。もう回収されている気配もない。箱をひっくり返して全部散らかして見ても、ラブレターらしきものは見当たらない。
「……どこ?あいつ、一体どこに捨てたの……?」
晴彦が、私に嘘をついた……?あの晴彦が、私に?
晴彦は、実はラブレターなんてもらっていなくて、私を一人にさせようとしただけ?本当は、一人きりになって、他の女と会う口実が欲しかったの?晴彦は、浮気しているの?だとしたら……。
――ピシリ。
私の中で、私も知らない私が目覚める音がした。
それからのことは、よく覚えていない。とにかく晴彦を探し回った。一刻も早く彼に会いたかった。
二人でよく行った喫茶店、お風呂が壊れた時に通った銭湯、週末に飲みに梯子した居酒屋たち、記念日を祝った時に行ったちょっと高級な洋食屋さん、喧嘩した後、必ず仲直りする公園――……。
いない、いない、いない。どこにも彼の姿が見えない。
夕焼けの中、いつの間にか辿り着いていた、いつもの公園のベンチで、とうとう雪乃は疲れ果てて声を上げて泣き出してしまった。
わんわんと泣きじゃくる子供のように泣く雪乃の上に何か黒い影が落ちる。
「雪乃さん?」
「うっうっ……ぐずっ……だれ……?」
「僕は、夏彦。晴彦の双子の弟です」
「おとうと……?」
「晴彦が、またあなたを泣かせたんですね?」
よく見ると、顔立ちは晴彦に瓜二つだった。強いて言うなら、左の目尻に泣き黒子がある。それくらいしか見分ける方法が無いと言っても過言ではない。
「晴彦から、雪乃さんのお話は、いつも聞いてます。常々思っていたんです。晴彦にはもったいない女性だって」
何を言っているかわからないと言った表情で見つめ返すと、夏彦はこう言った。
「晴彦を殺して、僕があなたの【晴彦】になります」
今度こそ本当に何を言っているんだ、この人は。
この晴彦は、本当の晴彦じゃないのか?夏彦という人物は、実在するのか?段々怖くなって、自我を取り戻すことに成功した雪乃は、やっとのことで夏彦に質問できた。
「えっ、あなた、本当に晴彦じゃないの?」
「ええ、僕は夏彦。晴彦の双子の弟ですよ。さっき言ったことも、本当です。僕は晴彦を殺して、【あなただけの完璧な晴彦】になる」
ゴクリ、と喉が鳴った。【あなただけの完璧な晴彦】それは、甘美で官能的で、とても心地の良い響きだった。
「もし私だけの、【完璧な晴彦】になってくれるなら……。私、夏彦さんに、協力するわ。その代わり、本当に私だけの【完璧な晴彦】になってくれるって約束してくれる……?」
「約束しますよ、雪乃さん。いや、違うな。――約束するよ、雪乃……」
ふわりとやさしく抱きしめられ、思わず晴彦だと錯覚する。しかし、ふと、男性にしては細い身体だな、と思った。
「そうね、一緒に≪晴彦≫を殺しましょう。夏彦さん」
そこからは簡単だった。雪乃を心配して必死になって探していた晴彦を、雪乃が公園のベンチで待ち伏せする。抱きしめあっているところを、後ろから夏彦がハンマーで頭を殴打する。気絶した晴彦に、とどめと言わんばかりに馬乗りになって、頭をハンマーで殴り続ける。何度も何度も、何度も何度も。頭の骨がへこんで、変形して、砕けて、原型を留めない位に。
「もう……これくらいで……いいかな……」
はぁはぁ、と肩で息をする夏彦に対して、雪乃は冷たく言い放つ。
「顔の皮を剥ぎ取るまでが、仕事よ」
夏彦はぎょっとした顔で雪乃を見返す。
「う、うん」
「ほら、これで剥いで」
ポイっと投げ渡されたのは錆びついた果物ナイフだった。
「こんなのじゃ、とてもじゃないけど、顔の皮なんて……」
雪乃は、思い切り夏彦の腹を蹴り飛ばしてこう言った。
「……晴彦は、私に口答えなんてしないの?いい?」
夏彦は腹を擦りながら、恐ろしいものを見るような目つきで雪乃に告げた。
「……わかったよ。雪乃。雪乃の言う通りにする。俺は【完璧な晴彦】だもんな」
雪乃が夏彦の顔を両手でそっと包む。
「そうよ、晴彦。いい子ね。よしよし……」
雪乃が夏彦の頭を愛おしそうに優しく撫でる。本物の【晴彦】を愛するかのように。
夏彦はただただ、恐怖で固まっていた。晴彦は、この女のどこに惚れていたというんだ?今はもう殺してしまったから聞けやしない。自分は一生、この女の言いなりになるしかないのか?
そんな一生をこれから俺は送るのか?奴隷のような、到底恋人とは呼べない主従関係にならなければならないのかと思うと、虫唾が走った。
――この女に隷属する一生なんて、俺は嫌だ!
そう思った時には、夏彦は持っていたハンマーで雪乃の頭を殴りつけていた。
何度も何度も、晴彦と同じように、何度も何度も。頭の骨を、力の限り叩き、歪ませ、凹ませ、幾度となく繰り返していった先に、やがて卵の殻が割れるような感覚が汗ばんだ手に残る。きっと雪乃の頭蓋骨が割れたんだろう。
「はぁ…はぁ…俺は……【完璧な晴彦】だもんな……。雪乃ぉ……。俺は【完璧な晴彦】である前に……【夏彦】なんだよ……。お前はやっぱり、愛せないなぁ……雪乃ぉ……。俺は、お前と……晴彦を殺して、解放してやるんだよ……お前らを、≪愛≫という名の呪縛から……」
夏彦は高笑いしながら、頭部が完全に破壊された男女の遺体を蹴りつけた。
寒空の下、頭部だけが破壊された男女の死体が発見されたニュースは、ちょっと世間を賑わせた。
そのニュースを、雪乃は自室のテレビから、ぼんやりと眺めていた。
「あーあ。つまんない。今回も駄目だったかぁ。もう二四五回目だよぉ」
炬燵の中で大好物のハーゲンダッツを食べながら、今回の反省点を考える。
「夏彦に隙を見せたのが駄目だったかなぁ。やっぱり。あいつが現れる前に、夏彦を殺しておこう。ね、晴彦?」
「あ、う、うん。そうだね」
晴彦が、雪乃の傍らに何食わぬ顔をして炬燵に入りみかんを食べている。
一体なぜこの二人は無事なのか?これを読んでいるあなたは、きっとそう思っただろう。
二人はタイムルーパー?二人は不老不死?雪乃と晴彦だけ終わらない一日を生きる者なのか?
答えは、≪愛≫という名の呪縛に囚われている二人にしか、きっとわからない。
完




