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雨の日の議題

 梅雨という季節が、街の色彩を静かに奪っていく。

放課後の旧校舎は、雨に閉ざされ、まるで世界の底にいるように静かだった。窓ガラスを滑り落ちる無数の雨粒が、外の世界の輪郭を曖昧に滲ませている。グラウンドから聞こえてくるはずの喧騒もなく、ただ、美術準備室の古い木枠を叩く、単調で心地よい雨音だけが響いていた。


風景保存協会に籍を置いてから、何度目かの雨が降っていた。

一員、とは名ばかりの、自称「監査官」。部屋の隅の椅子に座り、テーブルを囲む彼らと微妙な距離を保ちながら、その言動を観察していた。


室内には、栞先輩が丁寧に淹れたほうじ茶の香ばしい匂いが満ちている。年季の入った電気ケトルが、時折「カコン」と静かな音を立てた。

俺は、この外界から切り離されたような独特な空気感が、本当に、少しだけ、嫌いではなかった。


「あーあ、雨だと気分もじめじめするー!」

沈黙を破ったのは、彩良の快活な声だった。彼女は窓の外を眺めながら、不満そうに頬を膨ませている。

「そうでしょうか。私は、雨の日の匂い、好きですよ。湿った土の匂いや、アスファルトの匂い。普段は隠れている街の素顔が、雨に浮かび上がる気がして」

栞先輩が、文庫本から顔を上げずに穏やかに言った。彼女の言葉に、ヘッドフォンを首にかけた響が、目を閉じたまま頷く。

「……音も、澄む。車の走行音も、人の話し声も、全部水分を含んで柔らかくなる。世界から、余計な高音が消える時間だ」


(またか)

内心でため息をついた。彼らの、非合理的な感傷の交換会だ。

「音が澄む」、か。馬鹿な。雨粒が空気中の音波を乱反射、あるいは吸収しているだけのことだ。物理現象を、主観的な言葉に変換する。この非論理的な感覚のプロセスこそが、俺の分析対象だ。冷静に観察者の立場を貫こうと努めた。


「そっかー。じゃあさ、今日の活動は『雨の日の風景保存』ってのはどうかな!」

彩良が、名案とばかりに手を叩いた。

「いいですね。雨に濡れて、いつもより少し寂しそうに見える公園の遊具とか、記録したいです。」

「商店街のアーケードがいい。ひび割れた屋根から、等間隔で雫が落ちる場所がある。完璧なリズムだ」


栞先輩と響が、次々とアイデアを出す。彼らの会話には、主観的な「好き」や「寂しそう」といった言葉が、何の衒いもなく飛び交う。俺の理解の範疇を超えた世界だ。

議論がひとしきり盛り上がった後、ふと、会話が途切れた。

部屋の奥で、黙ってスケッチブックに何かを描いていた詩織が、顔を上げていた。その視線は、まっすぐに俺に向けられていた。

「凪くん、……植物園は、好きかな?」

静かな、問いかけだった。


俺が何かを答える前に、彼女は続ける。

「市立植物園の、大きな温室。雨の日、ガラスの天井を叩く雨音を聞きながら、緑の匂いに包まれるの。……すごく、落ち着くんだ」

その言葉は、誘いだった。

彼女が描く情景が、不思議と、頭の中に鮮明なイメージとして流れ込んでくる。ガラスを叩く雨音。むせ返るような緑の匂い。


(……非合理だ。だが)

その情景に、ほんの少しだけ心を惹かれた自分に気づき、言葉に詰まる。

「いや、俺は別に……」

断りの言葉を口にしかけた、その瞬間。俺の声は、太陽のような声量にかき消された。

「あ、それ良いね! 私も温室好きー!」

彩良が、最高の笑顔で割り込んでくる。「じゃあ詩織ちゃんと凪くんは植物園チームね! 私たちは栞先輩と響とで、商店街の雨漏り見に行こっか!」

俺の微かな抵抗は、この太陽のような笑顔の前では意味をなさない。こうして、詩織の静かな誘いと彩良の有無を言わさぬ決定により、俺は彼女と二人きりで、雨の市立植物園へ向かうことになった。

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