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入部

 俺は、美術準備室の引き戸に、迷いなく手をかけた。

ガラリ、と乾いた音がして、扉が横に滑る。

一瞬の静寂。中にいた四人の視線が、一斉に俺に突き刺さった。


午後の終わりを告げる西日が、大きな窓から斜めに差し込み、空気中を舞う無数の埃をキラキラと照らし出している。古い木の匂い、絵の具の匂い、そして、誰かが淹れたのであろう、ほうじ茶の香ばしい匂いが混じり合っていた。部屋の中だけ、世界の流れる速度が違うような、不思議な空間。


先に沈黙を破ったのは、やはり彼女だった。

「あ、月岡くん! どうしたの? また写真、見せに来てくれた?」

テーブルのそばに立っていた木村彩良が、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってくる。その後ろでは、窓枠に腰掛けた雨宮響がヘッドフォンを少しずらしてこちらを見やり、本を読んでいた星野栞が静かに顔を上げ、そして――部屋の奥でスケッチブックを広げていた霞沢詩織が、驚いたように少しだけ目を見開いて、俺のことを見ていた。


俺は彩良の言葉を無視して、部屋の中央まで踏み込んだ。そして、学生鞄から一枚の紙を取り出す。事前に、職員室の棚から拝借しておいた、正式な部活動の入会届だ。

「先日の一件について、再考の余地があると判断した」

俺は、できるだけ感情を排した、事務的な声で言った。


「おまえたちの活動における価値基準……その非合理な構造を、内部から分析させてもらうことにした。よって、今日から、俺もこの風景保存協会に参加する」

これは願いや相談ではない。決定事項の通達だ。


俺は、そうして差し出した入会届を、テーブルの真ん中に置いた。

シン、と静まり返る準備室。四者四様の視線が、俺と、テーブルの上の紙切れとの間を行き来している。完璧な理論武装と、予想外の行動に、誰もが言葉を失っているはずだ。

(どうだ。これが俺のやり方だ。君たちの感傷の輪に、馴れ合いに入るつもりはない)

俺は、内心でそう嘯いた。だが、返ってきた反応は、俺の予測をあらゆる意味で裏切るものだった。


「え、えっと……ごめん、難しいことはよく分かんないけど……それって、つまり、入部してくれるってこと!? やったー!」

最初に叫んだのは、やはり彩良だった。彼女は俺の小難しい理屈を全てすっ飛ばし、「入部」という事実だけを抽出して、満面の笑みで手を叩いた。そのあまりに単純で、一点の曇りもない歓迎の意に、俺の肩の力が、まず少し抜けた。


「……面白い音がするようになったな、お前」

次に呟いたのは、雨宮響だった。彼はヘッドフォンを首にかけ、目を閉じたまま、まるで俺という楽器の音色を確かめるように言った。

「覚悟を決めた人間の音だ。……まあ、ひどいノイズだらけだけど」

見透かされている。俺が「監査官」だの「分析」だのと虚勢を張っているだけで、その実、どうしようもない混乱と葛藤の渦中にいることを、この男は「音」で聞き取っているのだ。


「新しい物語の登場人物、というわけですね」

ふふ、と悪戯っぽく笑ったのは、先輩である星野栞だった。彼女は読んでいた文庫本にしおりを挟むと、優雅な仕草で立ち上がった。

「歓迎します、月岡くん。あなたの章が、どんな結末を迎えるのか、楽しみです」

まるで、俺という存在を一つの物語として楽しんでいるかのような、超越的な視点。分析されることはあっても、観賞されることなど、俺の人生にはなかった。


そして、最後に。

ずっと黙って俺を見ていた霞沢詩織が、ゆっくりと立ち上がった。彼女は、俺のそばまで歩いてくると、テーブルの上の入会届には目もくれず、ただ、まっすぐに俺の瞳を見た。

その大きな瞳に、驚きや喜びの色はなかった。そこには戸惑いもなく、ただ、すべてを見通すような澄み切った光が宿っているだけだった。

「そっか」

彼女は、ただ、そう言った。

そして、ふわりと、花が綻ぶように微笑んだ。

「これから、よろしくね。月岡くん」

その、あまりにも穏やかな肯定。


俺が用意してきた「宣戦布告」は、彼女のその一言で、完全に無力化された。俺は、彼女たちの感傷的な世界を分析しに来たはずだったのに。いつの間にか、俺の方が、彼女たちのルールに振り回されている。

「ささ、月岡くんも座って! お茶、淹れるね!」


彩良が、俺の腕を引いて、空いていた椅子に座らせる。俺が何か言う前に、湯気の立つマグカップが目の前に置かれた。ほうじ茶の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。


差し出されたマグカップを、俺はすぐには受け取れなかった。歓迎の言葉が飛び交う中で、自分の居場所だけがぽっかりと抜け落ちている。どこを見ればいいのか分からず、視線は手元の学生鞄の古びた金具の上を彷徨った。

俺の入会宣言は、海に落ちた一滴の雨のように、彼女たちの日常にあっさりと吸収されてしまった。


(……何だ、これは)

俺は、マグカップを、ただ見つめることしかできなかった。

(俺の分析は、ドアを開けた瞬間に、もう破綻しているじゃないか)

これから始まるのは、非合理な集団の、徹底的な構造分析。

そのはずだった。


だが、どうやら俺は、とんでもなく厄介で、面倒で、そして、底の知れない世界の扉を、自らの手で開けてしまったらしい。

そのことに気づいた時、なぜか緩みそうになる口元を隠すように、差し出されたカップに口をつけた。

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