『 名古屋へようこそ』
『 名古屋へようこそ』
「直美ちゃん、忘れ物はない?」
母親の声に、直美は慌ててリュックの中身を確認した。着替え、洗面用具、お小遣い…。そして、リュックのサイドポケットに修学旅行のしおりを滑り込ませた。
「大丈夫!ばっちりだよ!」
緊張と期待が入り混じった声で直美は答えた。小学6年生の5月、親戚の家以外に外泊するのは初めてだ。クラスメイトと一緒に寝るなんて、考えただけでドキドキする。
「行ってきます!」
玄関を飛び出す直美の背中に、母親の声が追いかけてきた。
「ちゃんと先生の言うことを聞くのよ!」
## 1日目:名古屋への旅立ち
静岡駅のホームは、同じ赤白の制服を着た小学生たちでにぎわっていた。担任の木村先生が大きな声で呼びかける。
「みんな集まって! これから名古屋へ行きます。新幹線は静かに乗るように。他のお客さんの迷惑にならないようにね
「はーい!」と元気な返事が響く。
「直美、席どこ?」
同じクラスの美咲が駆け寄ってきた。美咲は直美の親友で、いつも一緒に下校している。
「え~と、12号車の窓側だって」
「やった!私も12号車!隣に座れるかも!」
二人は、手を取り合って嬉しそうに飛び跳ねた。
東海道新幹線が静岡駅に滑り込んでくると、子どもたちから歓声が上がった。開業から十数年しか経っていない新幹線は、まだまだ珍しい乗り物だった。銀色の流線型の車体は未来を感じさせる。
「わあ、かっこいい!」
「すごーい!こんな速い電車に乗るの初めて!」
子どもたちの興奮は収まらない。木村先生と数名の引率の先生たちは、子どもたちを整列させるのに苦労していた。
「列を作って、押さないでね。順番に乗りましょう」
新幹線に乗り込むと、直美と美咲は窓側と通路側の席に座った。座席の間には小さなテーブルがあり、二人は顔を見合わせて笑った。
「これから名古屋だね!楽しみだな~」
「うん!テレビ塔からの景色とか、すごく見たい!」
車内アナウンスが流れ、新幹線がゆっくりと動き出した。窓の外の景色がだんだん速くなっていく。
直美は窓の外を眺めながら、しおりを取り出した。
「1日目のコース。朝は静岡駅から東海道本線新幹線で名古屋へ移動、約2時間。午前は名古屋テレビ塔見学…」
美咲が身を乗り出してきた。「テレビ塔ってどれくらい高いの?」
「えっと…」直美がしおりをめくる。「180メートルくらいだって。展望台からは名古屋市内が一望できるんだって」
「うわぁ、高そう!怖くない?」
「ちょっと怖いかも…でも、景色はきっとすごいよ!」
新幹線は予定通り、約2時間で名古屋駅に到着した。ホームに降り立った子どもたちは、初めて見る名古屋駅の大きさに圧倒された。
「みんな、はぐれないようについてきてね」
木村先生の後について、子どもたちは駅を出た。バスに乗り込み、最初の目的地である名古屋テレビ塔へと向かった。
バスの窓から見える名古屋の街並みは、静岡とは少し違う雰囲気だった。
「あんなに高いビルがたくさんあるんだね」と直美。
「名古屋って大きな都市なんだね」と美咲も感心している。
名古屋テレビ塔に到着すると、その高さに子どもたちは首を傾けた。
「うわぁ~、本当に高い!」
「頭がクラクラするよ~」
「みんな、集合写真を撮るよ。テレビ塔をバックに並んで」
木村先生の声に従って、クラスのみんなが並んだ。「せーの、チーズ!」
写真撮影の後、クラスごとに分かれてテレビ塔の中へ。エレベーターで展望台まで上がると、そこからは予想以上の景色が広がっていた。
「わぁ、名古屋の街が全部見える!」
「あれが名古屋城かな?」
「どこどこ?見せて!」
子どもたちは窓ガラスに顔を押し付けるようにして、名古屋の街を見下ろした。直美も美咲も、こんな高いところから街を見るのは初めてで、興奮していた。
「すごいね!小さな車や人が動いてるよ!」
「まるでおもちゃみたい!」
展望台では、名古屋の歴史や地理について学ぶコーナーもあり、社会見学としての意義も感じられた。
「名古屋は徳川家康の息子が治めていた町なんだって」
「へぇ、そうなんだ」
テレビ塔の見学を終えると、次は団体食堂での昼食タイム。大きな食堂に入ると、すでに何校かの修学旅行生たちが食事をしていた。
「今日の昼食は、名古屋名物の味噌カツだよ」と木村先生。
「味噌カツ?」と直美。
「豚カツに甘い味噌だれがかかってるんだよ。名古屋の人は甘いものが好きなんだって」と、すでに調べていた隣のクラスの健太が教えてくれた。
「へぇ~、楽しみ!」
テーブルごとに配られた味噌カツは、想像以上に甘くて濃厚な味だった。
「うわ、こんな味初めて!」
「甘いけど、おいしい!」
「でも、ちょっと濃いかも…」
様々な感想が飛び交う中、直美は一生懸命に味わった。「名古屋の人は、こんな味が普通なんだね」
昼食の後は、バスで名古屋港へ移動。広大な港に着くと、大きな船や、コンテナを運ぶ機械が目に入った。
「ここは工業港として日本の輸出入を支えているんだよ」と案内してくれたガイドさん。「あそこに見えるのは自動車を運ぶ専用船です」
「わぁ、すごく大きい!」
「車がいっぱい積めるんだね!」
港内の見学施設では、船の模型や、港の歴史を学ぶ展示があった。教科書で習った「貿易」という言葉が、ここで実感として理解できた。
「日本は島国だから、こういう港がとても大切なんだね」と直美。
「うん、外国との行き来は船に頼ってるんだ」と美咲も感心していた。
名古屋港での見学を終えると、いよいよ旅館へ。バスは市街地を抜け、少し郊外へと向かった。
「今日の宿は『なごや旅館』です。みんな、荷物をまとめて」
旅館に到着すると、和風の立派な建物に子どもたちは感動した。
「わぁ、すごい!旅館って初めて!」
「温泉あるのかな?」
玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると、旅館の女将さんが出迎えてくれた。
「ようこそ、静岡の皆さん。ごゆっくりお過ごしください」
部屋割りが発表され、直美と美咲は同じ部屋になった。他にも4人の女子と一緒の6人部屋だ。
「荷物を置いたら、これから入浴の時間です。男子と女子で交代で入ります。女子が先ね」と木村先生。
大浴場は、ほとんどの子にとって初めての経験だった。
「お風呂、広すぎ!」
「プールみたい!」
キャーキャー言いながらも、みんな楽しそうに湯船に浸かった。
夕食は大広間での会食。旅館の人たちが次々と料理を運んでくる。
「わぁ、こんなにたくさん!」
「天ぷらもあるよ!」
「お刺身だ!」
普段は家で食べる量よりも多い豪華な食事に、子どもたちは大喜び。木村先生は「残さず食べられる分だけ取るように」と注意していた。
夕食が終わり、部屋に戻ると、旅館のスタッフが布団を敷いてくれていた。
「みんな、22時には消灯です。それまでに準備を済ませておきましょう」と木村先生。
先生たちが巡回に来るたびに、「はい、もう寝ます!」と言いながらも、先生が去ると布団をかぶってヒソヒソ話をする子どもたち。
直美と美咲も、布団に潜り込んで小声で話した。
「今日、楽しかったね」
「うん!テレビ塔からの景色が一番よかったな」
「私は味噌カツが印象的だった。あんな甘いカツ、初めて食べた!」
「明日は何が楽しみ?」
「トヨタの記念館かな。車がどうやって作られるか見てみたい」
「私は明治村!昔の建物って、なんか不思議な感じがするよね」
「あと、絵付け体験もあるよね。何を描こうかな」
「うーん、まだ決めてない…」
部屋の電気が消え、先生の巡回が終わっても、布団の中では小さな会話が続いていた。初めての修学旅行の夜は、友達との秘密の話で更けていった。
## 2日目:歴史と文化を学ぶ
「起きてー!もう朝だよ!」
美咲の声で目を覚ました直美は、一瞬どこにいるのか分からなくなった。そう、ここは名古屋の旅館だ。修学旅行2日目の朝。
「何時?」と直美。
「もう7時だよ。朝食は7時30分からだって」
急いで顔を洗い、着替えを済ませると、大広間に集合。朝食は和食膳で、味噌汁や焼き魚、納豆などが並んでいた。
「いただきます!」
みんなで声をそろえて食べ始める。昨日の疲れもあってか、朝から食欲旺盛な子が多かった。
「今日は何時に出発するの?」と直美。
木村先生が答える。「9時にバスが来るから、それまでに荷物をまとめて、チェックアウトの準備をしておいてね」
朝食後、部屋に戻って荷物をまとめる。昨日よりも上手に荷物をまとめられる子が多く、成長を感じる場面だった。
「忘れ物はないかな?」
「歯ブラシは?パジャマは?」
お互いに確認し合いながら、旅館を後にする準備を整えた。
9時、バスに乗り込み、次の目的地「トヨタ産業技術記念館」へ向かった。
「今日行く記念館は、日本の自動車産業の歴史が学べる場所です」と木村先生が説明。「日本の『ものづくり』について考えてみましょう」
トヨタ産業技術記念館に到着すると、その大きさに驚いた。レンガ造りの立派な建物は、かつての工場だったという。
館内には、自動車が作られる過程を示す展示や、実際に動く機械などが展示されていた。
「見て!こうやって車のボディを作るんだって」
「エンジンってこんなに複雑なんだ…」
「この機械、全部人が考えたの?すごいね」
子どもたちは熱心に展示を見学し、日本の工業技術の発展について学んだ。
「昔は手作業だったものが、今は機械でどんどん作れるようになったんだね」と直美。
「そうそう、技術の進歩ってすごいよね」と美咲も感心していた。
記念館の中には、トヨタが最初に作った織機の展示もあった。
「トヨタって最初は布を織る会社だったんだって!」と驚く子どもたち。
「そうなんだよ。そこから自動車を作るようになったんだ」とガイドさんが説明してくれた。
直美は「どうして布から車になったんだろう?」と不思議に思った。
「布を織る技術と、車を作る技術には共通点があるんだよ」とガイドさんが優しく説明してくれた。「どちらも精密な機械が必要で、細かい部品を組み合わせるんだ」
「へぇ~、そうなんだ!」
記念館の見学を終えると、昼食の時間。今日は弁当を持って、屋外で食べることになっていた。
「みんな、弁当を持って集合!」
美味しそうなお弁当が配られた。中には名古屋名物の「きしめん」や、小さな味噌カツが入っていた。
「また味噌カツだ!」
「でも昨日より小さいね」
青空の下で食べるお弁当は、格別に美味しかった。
昼食後は、いよいよ明治村へ。バスで移動すると、そこには江戸時代の終わりから明治時代にかけての建物が立ち並んでいた。
「わぁ、タイムスリップしたみたい!」
「本当に昔の日本に来たって感じ!」
明治村では、明治時代の学校や、郵便局、教会などが保存されていた。昔の学校の教室に入ると、木の机と椅子が整然と並んでいた。
「昔の子どもたちはこんな机で勉強していたんだね」と直美。
「黒板も今と全然違う!」と美咲。
ガイドさんの説明を聞きながら、明治時代の日本が西洋の文化を取り入れていった様子を学んだ。
「明治時代は日本が大きく変わった時代です。それまでの江戸時代の文化から、西洋の文化を積極的に取り入れていきました」
「洋服を着た人が増えたり、電気が使われるようになったんだね」
「鉄道も作られたんだよ」
明治村の中を歩きながら、教科書で習った「文明開化」や「近代化」という言葉の意味を体感した。
「歴史って、こうやって実際に見ると面白いね」と直美。
「うん、教科書で読むよりずっとわかりやすい!」と美咲。
明治村の見学を終えると、バスで瀬戸市へ移動。ここからは「陶磁器」について学ぶ時間だ。
瀬戸市陶磁器会館に到着すると、様々な陶磁器が展示されていた。
「瀬戸物って、こういうのを言うんだね」
「こんなにたくさんの種類があるんだ!」
案内してくれたスタッフが、瀬戸が日本の陶磁器産業でどれだけ重要か説明してくれた。
「『せともの』という言葉は、瀬戸で作られた物という意味なんですよ」
「へぇ~、そうだったんだ!」
そして、いよいよ絵付け体験の時間。一人一つ、小さな皿か湯呑みを選び、思い思いの絵を描くことになった。
「何を描こうかな…」と直美は考えた。
「私は花にしようかな」と美咲。
「私は…そうだ、名古屋城を描いてみよう!」
直美は、昨日見た名古屋の街並みを思い出しながら、皿に絵を描き始めた。絵の具の扱いは難しかったが、何とか形になっていく。
「みんな上手だね!」と木村先生が見て回った。
「先生、これでいいですか?」
「とても素敵よ。名古屋の思い出になるわね」
絵付けが終わると、スタッフがそれを焼き上げるために回収した。
「焼き上がったら学校に送りますね。約1ヶ月後にはお手元に届きますよ」
「やった!自分の作品が届くの楽しみ!」
瀬戸市での体験を終え、バスで名古屋駅へ向かった。帰りの新幹線に乗る前に、お土産を買う時間が少しだけあった。
「何を買おうかな」と直美。
「私はきしめんを買うよ。家族に食べさせたいな」と美咲。
直美は考えた末、小さな名古屋城の模型と、家族へのお菓子を買った。
新幹線に乗り込み、静岡への帰路についた車内は、行きとは違う雰囲気だった。疲れて眠る子、まだ興奮して話している子、様々だ。
「2日間、あっという間だったね」と直美。
「うん、でもすごく楽しかった!」と美咲。
「また名古屋に来てみたいな」
「うん、今度は家族と一緒にね」
新幹線は順調に進み、やがて静岡駅に到着した。ホームには迎えに来た家族たちの姿が見えた。
「ただいま!」
「おかえり!楽しかった?」
「うん、すっごく楽しかった!」
直美は家族に抱きしめられながら、心の中でつぶやいた。「初めての修学旅行、一生の思い出になったな」
## 高校生になって
「え?直美ちゃんの修学旅行って名古屋だったの?」
高校一年生になった直美は、新しいクラスメイトとの自己紹介で驚きの声を上げられていた。
静岡市内の高校には、市内各地からだけでなく、県内の様々な地域から生徒が集まっていた。そして、自己紹介で「小学校の思い出」という話題になり、修学旅行の行き先が語られていた。
「うん、名古屋だったよ」と直美は答えた。「テレビ塔とか、トヨタ産業技術記念館とか、明治村とか行ったんだ」
「へぇ~、変わってるね。みんな東京じゃない?」
クラスの多くの生徒が口々に言った。
「私たちは東京タワーに登ったよ!」
「国会議事堂も見学したよね」
「私たちも東京!羽田空港見学したよ」
直美は驚いた。どうやら静岡市内のほとんどの小学校は、修学旅行で東京に行っていたらしい。
「なんで?どうして私の学校だけ名古屋だったの?」
新しい友達の鈴木さんが言った。「でも名古屋って、静岡からだと東京より近いんじゃない?」
「うーん、そうかな…でも、みんな東京に行きたがるよね」
休み時間、直美の周りには好奇心旺盛な同級生たちが集まっていた。
「名古屋って、そもそも何があるの?」
「うーん、名古屋城とか…」
「でも、結局名古屋城には行かなかったんだよね?」と直美。
「なんで行かないの?名古屋で一番有名なのに」
「さあ…プリントに書いてなかったから」
隣の席の山田くんが面白がって聞いてきた。「名古屋に2日間もいて飽きなかった?」
「飽きるってことはなかったけど…でも、みんなが東京に行ってたって知ったら、ちょっと損した気分」
「東京タワーとか、国会議事堂とか、見たかったでしょ?」
「まあね…」
直美は、なぜ自分の小学校だけが名古屋だったのか、本当に不思議に思った。
次の日、直美は中学時代の友達、美咲と放課後に会った。美咲は別の高校に進学していたが、週末はよく一緒に過ごしていた。
「ねえ、美咲。私たちの修学旅行って、なんで名古屋だったと思う?」
「え?いきなりどうしたの?」
直美は高校での出来事を話した。
「へぇ、他の学校は東京だったんだ。知らなかった」
「そうなんだよ。だから、なんでうちの学校だけ名古屋なのか気になって」
美咲は考え込んだ。「そういえば、私のいとこも東京だったって言ってたかも」
「でしょ?みんな東京なのに、なぜか私たちだけ名古屋」
二人は考えを巡らせた。
「もしかして、予算の問題?」と美咲。
「でも、東京と名古屋って新幹線代はそんなに変わらないでしょ?」
「じゃあ、木村先生が名古屋出身とか?」
「それも聞いたことない…」
直美は、ある日思い切って、小学校時代の担任だった木村先生に会いに行くことにした。木村先生は今でも同じ小学校で教えていた。
「あら、直美ちゃん!高校生になったのね。すっかり大きくなって」
「木村先生、お久しぶりです。ちょっと聞きたいことがあって」
「何かしら?」
「私たちの修学旅行、なんで名古屋だったんですか?他の学校はみんな東京だったみたいで…」
木村先生は少し驚いた表情をした後、笑った。
「あぁ、それね。実はね、直美ちゃんたちが6年生の前の年に、うちの学校の修学旅行は東京だったのよ」
「え?じゃあなんで変わったんですか?」
「あの年、東京のホテルが全部予約でいっぱいで、学校の予約が取れなかったの。修学旅行シーズンは人気だから」
「そうだったんですか!」
「それで、急遽名古屋に変更になったのよ。でも、教育委員会と相談して、名古屋なりの社会見学プランを立てたの。名古屋テレビ塔や、トヨタ産業技術記念館は、とても教育的価値が高いと評価されたのよ」
「なるほど…」
「それが好評だったから、次の年も名古屋コースが続いたのかもしれないわね」
直美はやっと謎が解けた気がした。ただの偶然と、予約の問題だったのだ。
「ありがとうございます、先生。モヤモヤしてたんですけど、すっきりしました」
「修学旅行、楽しかった?」
「はい、とても!」
「それならよかったわ。行き先よりも、友達と過ごした思い出が大切なのよ」
その通りだと直美は思った。確かに東京に行けなかったのは少し残念だったが、名古屋での思い出も楽しいものばかりだった。特に、友達と布団の中でヒソヒソ話したことは、今でも鮮明に覚えている。
高校に戻ると、直美は修学旅行の話題で盛り上がるクラスメイトたちに混ざった。
「実は、私の学校が名古屋だった理由がわかったんだ」
「え?なに?」
直美は木村先生から聞いた話を伝えた。
「なーんだ、ただのタイミングの問題か」
「でも、それでよかったんじゃない?人と違う経験ができたし」
「そうだね。みんなが東京タワーの写真を持ってても、名古屋テレビ塔の写真を持ってるのは直美ちゃんだけだもんね」
「それに、名古屋って意外と面白そうじゃん。私も行ってみたいかも」
直美は笑った。「うん、名古屋、侮れないよ。味噌カツとか、きしめんとか、おいしいものもたくさんあるし」
「今度の休みに行ってみようかな」
「行くなら案内するよ!名古屋駅からテレビ塔までの道、完璧に覚えてるもん」
クラスメイトたちが笑う中、直美は少し誇らしい気持ちになった。確かに東京には行けなかったけれど、それはそれで特別な経験だったのだ。
その日の放課後、直美は日記を書いた。
「今日、高校で面白い発見があった。みんなの小学校の修学旅行先は東京だったのに、私たちの学校だけが名古屋だったらしい。最初は『なんで?』って思ったけど、木村先生に聞いたら単なる予約の問題だったみたい。でも今思うと、それはそれで特別な経験だったな。
名古屋テレビ塔から見た景色、トヨタ産業技術記念館での発見、瀬戸での絵付け体験…。どれも今でも鮮明に覚えている。確かに東京タワーや国会議事堂は見られなかったけど、その分、他のクラスメイトとは違う思い出ができた。
それに、もし東京だったら、あの夜に美咲や友達と布団をかぶってヒソヒソ話したあの瞬間はなかったかもしれない。修学旅行って、どこに行くかより、誰と行くかの方が大事なのかも。
そういえば、瀬戸で絵付けした湯呑み、今でも家で大切に使っているな。あれには名古屋城を描いたんだっけ。実際には行けなかったけど、想像で描いた名古屋城。いつか本物を見に行ってみたいな。
来週末、美咲を誘って名古屋に行こうかな。今度は自分たちで行きたいところを選んで。きっと、また新しい発見があるはず。」
日記を書き終えると、直美は本棚から小学6年生の思い出アルバムを取り出した。そこには名古屋テレビ塔をバックにした集合写真や、旅館での夕食風景、絵付け体験の様子など、楽しかった思い出がぎっしりと詰まっていた。
写真を眺めながら、直美は小さく微笑んだ。「やっぱり、あの修学旅行は特別だったな」
## 名古屋再訪:高校生の週末旅行
「本当に行っちゃうの?名古屋?」
美咲は直美の提案に驚いた様子だった。二人は休日を利用して、小学生以来の名古屋訪問を計画していた。
「うん、行こう!今度は自分たちで自由に回れるし。それに、前回行けなかった名古屋城も見たいし」
「確かに。あの時は忙しくて、名古屋城に行く時間なかったもんね」
二人は週末の計画を立て始めた。今回は日帰りで、新幹線の往復と市内の交通費、それに食事代と入場料。小学生の時と違って、すべて自分たちで手配する必要がある。
「新幹線の往復で…市内の地下鉄一日券が…お城の入場料が…」
計算しながら、直美は小さくため息をついた。「結構かかるね」
「でも、バイトで少し貯金あるし、行けるでしょ?」と美咲。
「そうだね!行こう、名古屋!」
週末、二人は朝早く静岡駅に集合した。高校生になり、制服ではなく私服での旅行。なんだか大人になった気分だ。
「懐かしいね、この新幹線」
「でも、前と違って先生も引率もないから、自分たちの責任だね」
二人は少し緊張しながらも、名古屋に向かう新幹線に乗り込んだ。
「前回の修学旅行の時と同じ12号車に乗れるか聞いてみたけど、今日はダメだって」と直美。
「そりゃそうだよね。あの時は学校が予約してたもんね」
車窓から見える景色は、6年前と変わらない。でも、二人の見方は少し大人になっていた。
名古屋駅に到着すると、まずは駅構内で名古屋の地図を手に入れた。小学生の時は先生が引率してくれたけれど、今回は自分たちで移動しなければならない。
「まずは名古屋城に行こう!」と直美。
「そうだね!前回の『行けなかった場所』から攻めよう」
地下鉄に乗り、名古屋城へ向かう二人。
「あれ?前と違う気がする…」と美咲。
「そうね。小学生の時は観光バスだったから、地下からは見てなかったね」
名古屋城に到着すると、その立派な姿に二人とも息をのんだ。
「わぁ…想像以上に立派!」
「私が湯呑みに描いた城と全然違う…」と直美。
天守閣に登ると、名古屋の街が一望できた。
「あそこに見えるのがテレビ塔かな?」
「そうだね!懐かしい…」
名古屋城内を見学しながら、二人は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など、戦国時代から江戸時代にかけての歴史を学んだ。小学生の時よりも歴史の知識が増えていたので、展示品の意味がよく理解できた。
「小学生の時より、断然面白いね」と美咲。
「そうだね。歴史の授業で習ったから、つながりがわかるもんね」
名古屋城を後にして、次に向かったのは前回訪れた名古屋テレビ塔。
「あ、ここは覚えてる!」と直美。
「そうだね。あの時はみんなで集合写真撮ったんだよね」
テレビ塔に上がると、小学生の時と同じ景色が広がっていた。でも、見る目は少し違う。
「前よりも高く感じないね」
「そうかな?でも、やっぱり眺めはいいね!」
展望台からは名古屋城もはっきりと見えた。
「あ、さっきいた場所だ!」
「不思議な感じだね」
お昼時には、名古屋名物のひつまぶしを食べることにした。
「ひつまぶし?初めて聞いた」と美咲。
「うなぎをご飯にのせて食べるんだって。名古屋の人に聞いたんだ」
店に入ると、美味しそうな香りが漂っていた。
「わぁ、これがひつまぶし?」
「食べ方が3通りあるみたい。そのまま、薬味をのせて、お茶漬けにして…」
「へぇ、面白い!」
二人は名古屋グルメを堪能した。
「前回は団体食堂だったから、こういう本格的な名古屋料理は食べられなかったね」
「うん、大人になった特典だね!」
午後は、大須商店街に足を運んだ。ここは前回の修学旅行では訪れなかった場所だ。
「わぁ、すごい賑やか!」
「若者向けの店がたくさんあるね!」
古着屋や雑貨店、カフェなどが立ち並ぶ大須商店街は、高校生の二人にとって天国のような場所だった。
「こんなところがあったなんて!」
「修学旅行で来れなかったのは残念だけど、でも、あの時来てたら買い物する余裕もなかったかも」
二人は小さなアクセサリーやキーホルダーなど、思い出の品を購入した。
時間が許す限り名古屋を楽しんだ後、夕方には名古屋駅に戻ってきた。
「帰るの名残惜しいね」と美咲。
「うん。でも、今度はいつでも来れるよね」
新幹線に乗り込む前に、二人はお土産を購入した。味噌カツソースやきしめん、小倉トーストのお菓子バージョンなど、名古屋らしいものを選んだ。
「前回はお小遣いの範囲だったけど、今回はバイト代で好きなもの買えるね」
「大人になった気分!」
帰りの新幹線の中で、二人は今日の思い出を振り返った。
「やっぱり名古屋って面白いね」
「うん。みんなが東京行ってる間に、私たちは名古屋のこと知れて、結果オーライだったね」
「今度は、東京に行ってみる?」と美咲。
直美は少し考えて、笑った。「うーん、でもその前に、瀬戸にまた行きたいな。あの時の絵付け、もう一回やってみたい」
「そうだね!次回は瀬戸コースにしよう」
静岡に戻ると、二人はそれぞれの家に向かった。
「また明日、学校で!」
「うん、写真見せ合おうね!」
直美は家に帰り、家族にお土産を渡した。
「お母さん、これ名古屋の味噌カツソース。あの時の修学旅行で食べたやつだよ」
「あら、懐かしいわね。あなたがあの時、『すごく甘いカツがあった!』って言ってたのを覚えてるわ」
「うん、また食べに行きたくなって。今日、美咲と名古屋に行ってきたんだ」
「そうだったのね。楽しかった?」
「うん、すごく!」
その晩、直美は再び日記を書いた。
「今日、美咲と名古屋に行ってきた。小学生の時の修学旅行以来だけど、全然違う感じがした。あの時は団体行動で、決められたコースを回るだけだったけど、今回は自分たちで行きたいところを選べて楽しかった。
名古屋城は想像以上に素晴らしかった。あの時行けなかったのは残念だったけど、今の方がもっと歴史を理解できてよかったかも。テレビ塔からの景色も、前と同じなのに違って見えた。
大須商店街は高校生の私たちにぴったりの場所で、もっとゆっくり見たかったな。
結局、修学旅行が名古屋だったのは単なる偶然だったけど、それがきっかけで、今日またこうして名古屋に来ることができた。もし東京だったら、きっと『また名古屋に行こう』なんて思わなかっただろうな。
人と違う経験って、最初は『なんで私だけ?』って思うけど、それが特別な思い出になったり、新しい発見につながったりするんだね。
そういえば、あの時一緒だった健太くんは今、工業高校に行ってるんだっけ。彼にとっては、トヨタ産業技術記念館の見学が将来のきっかけになったのかもしれない。
次は瀬戸に行って、また絵付けしたいな。今度は上手に描けるはず。
そして、いつか東京にも行こう。でも焦らなくていいかな。私には名古屋という特別な場所があるんだもの。」
日記を閉じると、直美は窓から夜空を見上げた。どこかで名古屋の友達も同じ空を見ているかもしれない。小学6年生のあの修学旅行が、こんな風に高校生になった今も自分の中で生き続けているなんて、当時は想像もしていなかった。
「名古屋、ありがとう」
直美はそっとつぶやいて、ベッドに入った。明日は学校で、名古屋旅行の話を友達にたくさんしようと思った。もう、東京に行けなかったことを残念に思う気持ちはなかった。代わりに、名古屋という宝物を見つけた喜びでいっぱいだった。
## 卒業前の思い出話
高校三年生の冬、卒業を控えたクラスでは思い出話に花が咲いていた。
「みんな、小学校の修学旅行って覚えてる?」と誰かが言い出した。
「うん、東京!国会議事堂見学したよね」
「私たちも東京。東京タワーから富士山見えたよ」
直美の周りでは、やはり東京の思い出話が多かった。
「直美ちゃんちはローカル線の名古屋だったんだよね?」とクラスメイトの健太が冗談っぽく言った。一年の時に直美から聞いた話を覚えていたのだ。
「そうそう、名古屋修学旅行の唯一の生き残りです」と直美も笑った。
「でも、名古屋って実はどうだった?マジで面白かったの?」と別のクラスメイト。
直美は真剣な顔で答えた。「うん、実は本当に面白かったよ。私、高校に入ってから友達と何回か名古屋に行ってるんだ」
「えっ、マジで?」
「うん。最初は『なんで東京じゃないの?』って思ったけど、今は名古屋に行けて良かったって思ってる」
クラスの雰囲気が変わった。みんな、本気で聞きたそうな顔になっていた。
「何がそんなに良かったの?」
直美は少し考えて、答えた。
「みんなが東京に行ってる間に、私たちは名古屋っていう別の場所を知れた。それって、貴重な経験だったと思うんだ。東京って、テレビでもよく見るし、修学旅行以外でも行く機会あるでしょ?でも名古屋は、あの修学旅行がなかったら、わざわざ行こうとは思わなかったかもしれない」
「確かに…」
「それに、名古屋には名古屋の魅力があるんだ。名古屋城は予想以上に立派だし、街並みも独特。そして何より、食べ物が美味しい!味噌カツ、きしめん、ひつまぶし…」
「ひつまぶしって何?」と誰かが聞いた。
「うなぎをご飯にのせたもので、食べ方が三通りあるの。面白いよ!」
「へぇ~、食べてみたい」
「今度行ってみようかな…」
そう言って、何人かのクラスメイトが本気で名古屋旅行を検討し始めた。直美は少し誇らしい気持ちになった。
「私たちの修学旅行、結局どうしてみんなと違ったのか謎だったけど」と直美は続けた。「調べたら、単なる予約の都合だったみたい。でも、それのおかげで特別な思い出ができた。みんなが『東京』って言うなか、私だけが『名古屋』って言えるのは、なんかちょっと誇らしいかも」
「なるほど~」
「いいね、それ。みんなと違う経験」
休み時間が終わり、授業が始まったが、直美の話は多くのクラスメイトの心に残ったようだ。
放課後、健太が直美に声をかけてきた。
「直美、さっきの話、すごく心に残ったよ」
「え?何が?」
「みんなと違う経験の話。実は僕も似たようなことあったんだ」
「へぇ、何?」
「中学の時、吹奏楽部だったんだけど、顧問の先生がすごく変わった人で、普通の曲じゃなくて、あまり知られてない現代音楽ばかりやらせられたんだ」
「それは大変だったね」
「うん、最初はみんな不満だったよ。でも今思うと、あれのおかげで音楽の幅が広がったし、他の学校とは違う経験ができた。今、音楽の専門学校に行こうと思ってるのも、あの時の影響かも」
「そうだったんだ。素敵な話だね」
「だから、さっきの直美の話、すごく分かる気がしたんだ」
二人は放課後、学校の屋上で名古屋の話、音楽の話など、たくさん話した。
「直美って、物事の見方が前向きだね」と健太。
「そうかな?でも、一年生の時は『なんで東京じゃないの?』って結構ネガティブだったんだよ」
「でも、その経験から良いものを見つけ出せたじゃん」
「そうだね。たぶん、高校生になって視野が広がったのかな」
その日の夕方、直美と健太は一緒に下校した。
「そういえば、直美は大学どうするの?」と健太。
「まだ決めてないんだ。でも、観光関係の仕事も面白そうだなって思ってる」
「へぇ、それって名古屋の影響?」
「かもね。修学旅行の時、いろんな人に案内してもらって、『こんな仕事もあるんだ』って思ったし」
「すごいね、小学生の修学旅行が将来につながるなんて」
「まだ決まったわけじゃないけどね。健太は?」
「さっき言った通り、音楽の専門学校。でも、その前に名古屋に行ってみたいな」
「えっ、本当に?」
「うん。直美の話聞いてたら、行ってみたくなった」
「じゃあ、案内するよ!名古屋のこと、けっこう詳しくなったもん」
「マジで?ありがとう!」
その後も、直美の名古屋修学旅行の話は、クラスの中で少しずつ広がっていった。誰かが「卒業旅行で名古屋に行こうよ」と言い出し、実際に計画を立て始めるグループもできた。
直美は、自分の体験が他の人にも伝わっていることが嬉しかった。
卒業アルバムの「思い出の場所」というコーナーには、みんながそれぞれの修学旅行の思い出を書くことになった。直美はもちろん、名古屋について書いた。
「私の修学旅行は名古屋だった。当時はなぜ他の学校と違う行き先なのか不思議だったけれど、今は感謝している。あの体験があったからこそ、新しい場所を知るきっかけになり、高校生になってからも何度か名古屋を訪れた。時には人と違う道を歩むことで、特別な宝物が見つかるのかもしれない。」
そして、卒業式の前日。クラスの打ち上げで、健太が直美に報告した。
「直美、卒業旅行の計画立てたよ。行き先は…名古屋!」
「えっ、本当に?」
「うん。みんな、直美の話を聞いて興味を持ったんだ。君が名古屋の魅力を教えてくれたから」
直美は感動した。自分の体験が、こんな形で実を結ぶなんて。
「名古屋、案内するね。全力で!」
「楽しみにしてるよ」
高校生活最後の日記に、直美はこう書いた。
「小学6年生の時、『なぜ私たちの学校だけが名古屋なのか』という疑問から始まった物語が、高校卒業の今、クラスメイトと一緒に名古屋へ行くという形で実を結ぶなんて、人生って不思議だ。
あの時のちょっとした偶然が、今の私の価値観や考え方に影響を与えている。そして、それをクラスメイトに伝えることで、また新しい輪が広がっていく。
人と違う経験をするということは、時に不安や寂しさを感じることもある。でも、その先には誰も知らない宝物が眠っているかもしれない。大切なのは、その経験をどう受け止め、どう生かすか。
名古屋の修学旅行は、私にとって大切な宝物になった。これからも、たくさんの『名古屋』を見つけていきたい。」
春の陽気が感じられる3月の終わり、直美たちは卒業旅行で名古屋へ向かった。車窓から見える景色は、6年前の修学旅行の時と変わらないのに、見ている自分は大きく成長していた。
直美は、小学6年生の時に「なぜ名古屋?」と思った疑問が、今や誇りに変わっていることを噛みしめていた。そして、これからの人生でも、「みんなと違う」ことを恐れずに、自分だけの道を歩んでいこうと決意した。
名古屋へようこそ—その言葉が、直美の心に再び響いた。