エピローグ&第1話 糸杉菜乃華
これは、私が10代の頃に体験した不思議な出来事である。
厳密に言うと、10代だけではなくその前から始まったことで、私が生きている限りずっと続いていく話なのだが。
当時の日記を読み返しながら、家族の証言を参考にしつつ、記憶を辿って書いていきたい。
菜乃華とローズマリーの人生を、生きていた証を、まだ覚えている今だからこそ、ここに記しておきたい。
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私は、糸杉菜乃華として生まれた。
両親と、私が4歳のときに生まれた妹との4人家族だ。
私が生まれた頃は、お金持ちではないが普通よりは少し裕福な家庭だった。
少し裕福というくらいなので、豪邸に住んでいるとか、お受験をするとかそういうわけではなく、ごく普通の価値観をもって育てられた。
両親が言うに、私はよく笑って、声が大きく、元気っ子という言葉がよく似合うような子だったみたいだ。
とても活発な子で、親の目を盗んでは危ないことをしでかしていたそうだ。
確かに、私は近所の子と裸足になって走り回っていた記憶がある。
そして、当時は全くそう思っていなかったのだが、危ないことをしていたなと今思い返すとそう思うことがよくあるのだ。
登ることのできるところには、すぐに登りたくなり、本来の遊び方とは違った遊び方で遊具を使用してしまっていた。
某アンパンのヒーローの車のカタチをしている、ツルツルとした外見の遊具が幼稚園にあったのだが、通常は梯子を使用して上段へと上がるところを、わざわざツルツルとした外見の方から登っていたのだ。
滑り台では、滑っては滑ってきたところを登り、を繰り返して遊んでいた。
だからだろうか、あんな事故を起こしてしまったのは。
私、菜乃華が4歳のときの事である。
その日は、昨日大雨が降っていたとは思えないほど雲ひとつない、よく晴れた日だった。
私は幼稚園が終わってから、妹を抱いた母と公園へ行き、待ち合わせるわけでもなく公園で会った近所の子と一緒に遊んでいた。
まだ遊具に、昨日の雨の名残が見えていたが、濡れることなんて全く気にしていなかった。
私は、いつものように滑り台の滑る部分を下から登って遊んでいると、ツルツルと滑って膝を打ってしまい、危ない遊び方をしないようにと母から叱られてしまう。
叱られてからは、そこら辺に落ちていた木の棒を使い、水たまりの端に線を引いて、その線に水が伝っていく様子を見て楽しんでいたのだが、すぐに飽きてしまった。
そして、私は一緒に遊んでいた子とジャングルジムでどちらが速く登れるか競争をしようと持ちかける。
今思うと、そんな危険な遊び方をするなと過去の自分を叱りたくなるのだが、当時の私にそんな考えはなく、ガシガシと登ってしまう。
ほとんど自分と同じような速さで登る相手に負けたくないという思いが強く、次の段へと登れる準備が整う前に、腕を上に伸ばしてしまった。
バランスを崩して持ち直そうとしたが、濡れている遊具に対してそれは難しく、私は地面へと落下していった。
そして、菜乃華の記憶は、そこで途絶えたのだった。