薔薇と百合の造花に見せかけた桜並木
なろう初投稿です!よろしくお願いします!
桜の花が満開に咲いた、とある四月のはじめの日。
「きゃ~! おうじ~~~! こっちむいて~~~~~♡」
「ルカく~~~ん! 今日もかっこいい~~~しゅきらぶ~~~♡♡♡」
「おはようルカ♡ 今日こそその制服の第二ボタンを心臓ごともぎ取ってやるんだから!」
僕が一歩学園に足を踏み入れれば、そんな黄色い歓声が校門前からも、中庭のテラスからも、奥にある校舎の窓辺からも巻き起こる。
「あはは、だーめ。今日は卒業式じゃなくて、一年生の入学式でしょ? それに僕のハートは僕だけのものだから、ね?」
「「「きゃ~~~~~~~~~~!!!」」」
うっすらと開いた唇に人差し指を当てて、ばちっ☆ とウインクを決めれば、女の子の群れは瞳孔をハート型にして鼻血を噴き出して卒倒した。
現場は大量殺人鬼が、大量に通ったあとかな? って感じの血の池地獄である。
「ふふ。あ~かっこよく生まれてこれてマジラッキー♪」
血みどろの地面を鼻歌交じりでスキップし、おびただしい数の死体(気絶してるだけ)で装飾された校舎へと笑顔で向かう。
これこそが、僕――ルカ・エウカリスの日常……だったん、だけど…………
「あーやばいやばいやばいやばい。ぜーんぶ思い出した!!!!!! ここあれだ!!!!!! 乙女ゲーム『しゅきめろ♡聖もえもえらぶきゅん学園♡ぱーとわん♡』の世界だ――って、痛”っだぁ!!!」
誰もいない男子トイレで手を洗っていたところ、唐突に前世の記憶がインストールされまして、勢いのまま前のめりになった結果、正面の鏡でおでこをぶつけました。ルカくん17歳です。おでこが赤くなっています。かわいいですね。
「っ、すぅ~~~~~、はい落ち着いて落ち着いて。みんな落ち着いてー。いや僕しかいないんだけど、落ち着いて~。ひっひっふ~~~~~。……よし。いったん状況を整理しよう」
僕は深呼吸をして手洗い場の両端に手をつき、目の前の鏡に向き直った。あらやだ、僕ってばイケメソ☆
「サラツヤの黒髪前下がりセンターパートに、ビー玉みたいに透き通った鳶色の瞳。色白の肌と、白桃色の唇……あと、下唇んとこのえっちいほくろ。……すっごい。ほんとうにルカ・エウカリスになってる……」
前世プレイしていた乙女ゲームの中で一番ドハマりしたやつ。主人公が聖なる力に目覚めるところから物語が始まる系。
主人公は見た目から何から何まで自由だし、攻略対象もいっぱいで女の子を攻略することもできるし、グラフィックも気合が入っていて、エンディングの数がとにかく多い。
そんな近年稀に見る自由度の、タイトル以外は良作な乙女ゲーム――しゅきめろ♡聖もえもえらぶきゅん学園♡ぱーとわん♡……長いな。『しゅきめろ学園』に出てきたキャラの中で一番好きだったのが、何を隠そう、このルカ・エウカリスなのだ。
中世ヨーロッパ風の世界観の中で、なぜか韓国アイドルみたいなルックスをしていたキャラ。学園の王子様で、主人公の一歳上。ちょっとダウナー系で、ここぞって時にはアンニュイな雰囲気を醸し出したりもする、見るからに女を殴って泣かせていそうなクズ。
え? こんなやつのどこを好きになったんだって? それはそう。実はね――
「――実はルカくん、女、なんだよねぇ……」
シャツの第一ボタンを外したことであらわになった胸のさらし。鏡に映ったイケメン女子(僕)は眉根をへにょりとまげて襟元に指をひっかけ、困ったような笑みを浮かべていた。
そう。女の家に入り浸ってタバコを吸い、勝手に私物を置いていき、でも最後には「それ全部捨てといて? 笑。じゃ」つっていなくなりそうなクズことルカ・エウカリスは、学園に性別を偽って通っている――さっき言った、攻略できる女の子、なのだ。
いやほんと、性癖がこじらされますことですわよね?? ね??
性別を偽っているのにはこれまた深~い理由があったり……とかはなくて単純に女の子にモテたいからなのだが、まあこの学園の王子様的男装イケメン女子に前世でしこたま脳を焼かれたのは懐かしい思い出だ。
「だってしょうがなくない? みんな好きでしょ? ダウナー系イケメン男装クズお姉さんに、一回くらい抱かれてみたいな~って思うでしょ? ……女の子だったらさ」
鏡の中で、イケメンがしゅん……と下を向いた。クッソ絵になるな……。
……てことで、はい。みなさん待望、驚きの新事実のコーナーぱーとつー。なんと僕、前世はぴちぴちの女子高生ですいぇい。
え、なになに? お前は前世から僕っ娘だったのかって? んなわけあるかい。普通に私つってましたわよ。
ただ今更変えるとややこしいから、僕はこれからも僕を貫き通します。文句は受け付けません!!
「てかほんと、いつの間に死んだんだ? たしか登校中、工場前を遅刻ギリギリで友達と一緒にチャリで爆走してて、横からフォークリフトが突っ込んできてグサッと――ぎゃーーーーーーーー!! いたいいたいいたいいたい!! 血がぶっしゃーってなってたーーーー!! 思い出したくないこと思い出しちゃったよ~~~~~~(涙)。フォークリフト運転してたお兄さんと、一緒に登校してたダチはトラウマもんだよね~~~~~~ごめんね~~~~~~~~~~!!!」
光り輝くイケイケの顔面を両手で覆ってイナバウアーしつつ、ずるずると座り込む。ほんとうに、あの時のお兄さんと目の前でグロシーンを見せられたであろう友達には申し訳ない。お兄さんとはよく通学路で会うから仲良くなり始めたところだったのに。どうか無罪が認められますように……。
というか、なんだよフォークリフト転って。ガチでなんなんだよ、その死に方。痛いしダサいし、いいことない……。
「クソ恥ずい……死にたい……いやもう既に死んだ後だったわ……むりぽよ……」
「…………なにやってんのん、ルカ。こんなとこで。そろそろ式始まんで?」
「はっ、そのいかにも裏切りそうなうさんくさい狐っぽヴォイスは、わが友アンリ・ルナールではないか!?!?」
「……なに言うてんのん? ひょっとして頭――て、あ、それは元からやったな、すまんすまん」
「ぐっ、辛辣っ!!」
先にちょっと注釈を入れさせてもらうが、原作のクズキャラなルカくんと違って、この世界のルカ・エウカリスは中身が僕なもんで、お察しの通りのポンコツキャラ扱いなのです。トホホ。
まあ何はともあれ、とりあえずこの、しゃがみこんだ僕を見下ろす、狐耳の生えた新手のイケメン――アンリ・ルナールの解説をしよう。
中世ヨーロッパの世界観なのになぜかケモ耳+関西弁男子という属性を付与されている、僕と同じ『しゅきめろ学園』の攻略対象の一人。
少し傷んでプリンになった明るめの茶髪ハーフアップに、狐っぽい糸目(ちなみに開眼時は金色)。ふさふさの狐耳としっぽ。めっちゃ鋭い八重歯。あといつも……てか今もいちごオレの紙パックを飲んでいる極度の甘党(なんでこの世界にいちごオレとか紙パックがあるんだ、みたいなことは考えてはいけない)。
一部の裏切りそうなCVが大好きな層にぶっ刺さる、僕とは属性の異なるイケメンだ。ま、僕のほうがモテるんだけどね!!!! ドヤァ……!!
「ふふん♪」
「うわ。なんなんその顔。なに考えてるかはわからんけど、めっちゃ腹立つな」
「ひどいなー、僕イケメンなのにぃ……。てゆーか、アンリくんはなんでここに? あ、ひょっとして、僕のこと好きすぎて探し回ってたとか!?」
「…………ちゃうわ」
「だよね~~~~」
アンリくんは照れ照れして、赤らめた顔をぷいっと背けてしまった。こころなしか尻尾も不機嫌そうにぶんぶん揺れている。(あっちから見れば)男同士なんだから、そんな照れなくてもいいのになぁ~。ま、僕の美しすぎる顔面は、老若男女問わず効果抜群だからしょうがないね。
「ええからはよ移動すんで」
「え、どこに?」
「ホールに決まっとるやろ、入学式やねんから。ほらルカ、手」
「え、あ、うん……わわっ!」
伸ばされた骨太の手を取れば、ぐい、と上体を引き上げられて、いつの間にか地に足をつけて立っていた。さすがは男の子だ。その筋力をちょっと分けてほしい。主に体力育成の授業とかで。あれがちしんどい。
「ほんとありがとね、アンリくん。僕を探しに来てくれて」
「ん~……、おう」
「よし、それじゃあいこうか! 入学式に!」
「お前が仕切んな」
「あいてっ」
◆
――結論から言うと、僕は式典に参加するべきではなかった。
「新入生代表――ノエル・キルシェ」
「はぁい♡」
僕は忘れていたのだ。今日が、ヒロインの代の入学式であることを。ヒロインが新入生代表挨拶をすることを。
ショートパンツから伸びた真っ白な足が、ステージの中央で静止する。桜色の長い髪が、スポットライトを浴びて燦然と輝く。新緑の色をした淡い瞳が、こちらを捉えてきゅっと細まる。その仕草に、嫌な予感がぞわりと背筋を駆け上がった。
「満開の桜が見守るこの良き日、新入生代表としてご挨拶させてさせていただけることを光栄に思いまぁす♡ ――それと、これは私信なんですけどぉ。。。二年生のルカ・エウカリスくーん! あとで面貸してね♡」
先生方が、隣のアンリくんが、その場にいた全員が僕のことを振り返る。そのうち何人かの女の子は美しい僕を見て卒倒した。
「えと、その……」
「ね?」
「ひえ……」
……嫌な予感は見事に的中した。こんな展開は、こんなセリフは、ゲームに存在しなかったのに。
◆
「約束通り、一人で来てくれたんだねぇ~。いやぁ感心感心」
広大な中庭の、テラスの一角。学園で最も巨大な桜の木の下で、ノエル・キルシェはにこりと笑った。風が吹き、僕とノエルの髪が風下に流れる。その風はやけに生暖かく感じた。
「まあね。熱心な僕のファンの子たちとアンリくんを振り切るのは大変だったよ。……それで、僕になんの用なわけ」
「ん~。。。なんてゆーか、めんどいから結論から言うんだけどさぁ、オマエに今すぐここからいなくなってほしいんだよね」
「――っ!」
ノエルの目が睨み据えるように細くなる。それはまるで獲物を捉えた蛇のようで、僕の足は一瞬ですくんで動かなくなった。
「どーせだから言っちゃうんだけどぉ。。。あたしも転生者なんだよねぇ。このゲームも前世すっごいやり込んでて、そん時からオマエの――てか、ルカ・エウカリスのことが大嫌いだったの。なんでかわかる~?」
がさ、がさ、と一歩ずつ、もったいぶる捕食者みたいにどんどんノエルが近づいてくる。なんで、“あたしも”なんて言い方をするんだろう。なぜ、僕が転生者であることがバレている?
「ねえ、聞いてんの? 無視?」
「……お、女、だから、とか?」
「そ! だいせいか~い♡ ぱちぱちぱちぱち~~~」
乾いた拍手が空気に浸透する。にへら、と歪んだ彼女の口は真っ黒に見えて、瞳は怖いくらい笑っていなかった。
「ほんとは女なのに、それ隠してほかの攻略対象くんたちと仲良くしてんのがまずきめぇし、ほんと乙女ゲームにヒロイン以外の女の子なんて存在しないでほしいの。オマエも、オマエの取り巻きの女どももみんな大嫌い」
「……」
それは前世、ネットでもよく見かけた口コミだった。ルカ・エウカリスは圧倒的な人気を誇る一方で、最も過激なアンチが湧いていたキャラだった。僕はイケメンが男装女子だったというギャップに心臓を撃ち抜かれたたちだ。けれど、それを受け入れられない層は事実として一定数存在する。
「でも別にそれだけならよかった。それだけだったら別に、目障りだけどまだ許せた。関わらないようにするだけで、何かしようとは思わなかった」
「え」
「あたしね、この物語のヒロインだからさぁ。。。聖なる力とか、使えちゃうの。だからさ、魂が――前世が見えるのね? だからさっき入学式で目が合った時、オマエらの前世がアタシをめちゃくちゃにしたヤツだって気づいて、ほんとどうしてやろうかと思った♡」
「それって、どういう……」
「オマエ、前世フォークリフトに刺し殺されて死んだでしょ? あれ運転してたの、あ・た・し♡」
「…………は?」
冷蔵庫のプリン食べちゃったてへぺろ、みたいなトーンであっけらかんと言い放ったノエルに、僕は文字通り絶句した。
いやおい、待て待て待て待て。それにしても情報が多すぎる。つまりだ。あのフォークリフトを運転していたやつがこいつの前世。と、いうことは――
「――え、もしかして、ノエルさん、男???」
「そうだけどぉ? 見てわかんない。。。?」
いやわかるかーーーーーーー!!! というツッコみを飲み込んだ僕を、どうか全校生徒の女子諸君で褒めたたえてもらいたい。腰まで伸びた桜色ロングヘアーに、きゅるっとした黄緑の瞳。ショートパンツから覗く真っ白な美脚。あと甘ったるい地雷女って感じの喋り方。どこをどう切り取っても女子。これで女装してる気がなさそうなのが不思議すぎる……。
確かにね、『しゅきめろ学園』は主人公の性別も自由だし、キャラクリも自由自在な神ゲーでしたよ?? だからって目の前の美少女が美少女♂だとは思わないじゃん。
「あのぉ……」
「なぁにぃ?」
「一応聞かせていただくんですけど、今世も男ですか? 生えてるんですか??」
「男だし生えてるよん。というか、最初の質問がそれでいいわけぇ。。。? オマエ、ひょっとしてお馬鹿なの?」
「ぐぬぅ……」
否定が一ミリもできないので、とりまぐうの音だけ出しておく。ぐぬぅ。
「……いや、だってさ、」
「なに?」
「僕を轢き殺したせいで人生がめちゃくちゃになったんだったら、責任を感じざるを得ないし……恨まれたり、もう一回殺されたりしてもまあしょうがないかなって……」
「ふぇ? なにそれ」
「え? 違うの?」
「違うけど? あたし、一回も人生がめちゃくちゃになったなんて言ってないよぉ。。。? それに殺したいとかも思ってないし、言ってない」
「たし、かに……?」
ノエルさんがきょとんと首をかしげるのに合わせて、ボクも同じ方向に首を傾ける。
「……いやならさ! なんで僕のこと目の敵にするわけ? 意味わかんないんだけど!!」
「だからぁ、オマエが前世、あたしの情緒を恋でかき乱してめちゃくちゃにしたから、誰かにとられる前にってフォークリフトで刺し殺したんだよ。。。? 責任もって、今世では他の人間に惚れられることなく、あたしと添い遂げてほしいの♡ だから、オマエを好きなやつがいーっぱいいるこの学園からはやいとこいなくなって♡」
「はあぁぁぁぁぁぁぁ!? 新手のヤンデレかよふざけんな!!!!! しかもフォークリフトの件はわざとかよ!!!!! トラウマになってないかなとか、無罪が認められますようにとか心配してた僕の純情を返せ!!!!! ばーーーーーーーーーーーか!!!!!!」
え、じゃあなに?? こいつ、僕の後を追ってこっちの世界に転生してきたわけ?? こわすぎるってばよ……。
「え、なら僕なんも悪くなくない?? もう帰っていい??」
「なんで。。。? 悪いのは全部オマエだよ? あたしに話しかけてきたのに、仲良くしてきたのに、惚れさせてきたのに、ほかのやつと一緒に登校までするなんて。。。こんなの裏切り行為だよね。。。?」
「いや彼は単なる男友達だし、一緒に登校くらい普通……」
「なーんだ。。。やっぱり、気づいてないんだ。オマエってほんと、鈍いよね。そんなわけないじゃん。あたしはアイツにこr――」
「――――はーい、そこまで。これ以上はさすがに見過ごせんなあ」
「アンリ、くん……?」
ぶわっと桜の花びらが竜巻のように舞い上がって、僕の背後にアンリくんが現れた。バックハグをするみたいに僕の両肩に腕を乗せて、顎をずんと左肩に乗っける。
珍しく開かれた金色の瞳を歪めてにやりと笑うその横顔は、正直ちょっと心臓に悪いくらいかっこいいけれど、アンリくんは僕が女だって知らないんだもんな。これが、男子高校生の距離感……尊い……。
「チッ、なんで入ってこれたのかなぁ? アンリ・ルナールくん。化け狐の邪魔が入らないよう、聖なる結界まで張ったのに」
「え、そんなんあったん? 全然気づかんかったわー。しゃぼんの膜の間違いとちゃう? 笑」
「うっざぁ。。。ほんとオマエ嫌ぁい」
「お互いさまやな~、俺もお前大っ嫌ぁい♡」
腕を組んでイライラとつま先をパタパタし、ノエルがアンリくんを睨みつける。アンリくんはニコニコと余裕の笑みでノエルに笑いかける。
一方、蚊帳の外な僕は現実逃避のため、お空を見上げた。わぁい、ちょうちょさんが飛んでる~~~ばたふらいえふぇくと~~~。
「……このまま睨み合っとってもらちが明かんし、今日のとこは見逃したるわ。さっさと去ね」
「うざぁ。。。見逃してやるってんの、こっちのセリフなんですけどぉ。。。? あたしがその気になったら、いつでもオマエのヤバさを露呈させることができるって、わかんない?」
「そんときはそんときや。また何回でも全部リセットすればええだけのことやん?」
「まじこわぁ。。。ほんとにやべーやつじゃん。。。ねえ、」
「え、僕? なに?」
ノエルが僕に向き直り、再びゆっくりとこちらに近づいてくる。でもその雰囲気に敵意は感じ取れなくて、アンリくんが全身の毛を逆立たせる中、僕はきょとんと小首をかしげた。目の前まで来たノエルの白い指先が、すーっと僕の頬をなぞる。
「あたし、ぜーったいオマエを諦めないから。いつか、そんな奴けちょんけちょんにしてかっさらってあげるから。だから、それまで待っててね」
「……? え、どゆこと? なしてそこでアンリくんが出てくるの?? わかんぬい」
「はあ!? おまっ、」
「あははっ、アンリくんなんかアウトオブ眼中だってさ? ざまぁないねぇ~。ならあたしの方が一歩リードって感じかなぁ。えいっ」
「ふえ!?」
ちゅ、と唇の柔らかい感触が頬に触れた。カアァ……! と自身の頬が紅潮していくのを感じながら、そっと触れられた箇所を右手で抑える。ノエルは後ろで手を組んで軽やかに数歩後ずさった。
「またね、ルカちゃん♡」
儚げで満足そうな笑みを浮かべ、ノエルは桜吹雪に溶けるようにして消えていった。残されたのは僕と、僕にバックハグをしたまま不機嫌そうなオーラを出しているアンリくんだけ。
「……」
気まずすぎる。こあすぎて後ろを振り返れない。
「……」
「…………、なあ、ルカ」
「ひゃいっ!」
あ、やべ。声裏返ったし、ベロ噛んだ痛い。
「ルカ」
「にゃんですのん……」
「ルカ」
「返事してるって。どしたの? アンリくん。さみしんぼかぁ~~~?」
「…………そう、かも」
「なっ、──って痛っ!」
瞬間、鋭い痛みが左頬に走った。ぎょっとしてアンリくんを見れば、鋭利な八重歯が頬に刺さっていて、真っ赤な血が顎まで伝っていた。
……か、嚙んだ。嚙まれた。アンリくんに。左頬を。
これ、男子高校生の距離感とかじゃ、ない、よ、ね……?
「え、な、なに? ほんとになに? いたいん、だけ、ど……」
「……ルカ」
「あ、やっと離れた。なぁに?」
「……ごめんな」
そう言ってアンリくんはツー……ッと頬の歯形を爪でひっかき、月のない日の夜みたいな顔で痛そうに笑った。
「コン」
短く鳴いて、アンリくんが姿を消す。蜃気楼か白昼夢のように、一瞬でアンリくんはいなくなった。でも頬の痛みが、傷跡が、僕に今日の出来事が夢じゃなかったことを刻みつけてくれる。
「ほんともう、いたいなあ……何がしたかったんだろ、アンリくん」
呟いても桜の枝が揺れるだけで、応えてくれる人はいない。
「アンリくん」
もう一度、声に出して彼の名を呼ぶ。自分の頬がノエルの時とは比べ物にならないほど熱くなっていることには、気づかないフリをして。
「さすがの僕も気づいちゃうよ、これは。僕のこと好きなんだって、うぬぼれても、いいんだよね……?」
今自覚したんだけど、僕もきっと、アンリくんのことが好きになりつつある。まだ完全に好きだとは言い切れないけれど。
でも一見両想いに見えるこの恋には、最大の難点がある。
「たぶんアンリくん、男の子が好きなんだろうなぁ……どーしよ……なんか三角関係っぽくなってるし、薔薇と百合と桜の化合物みたいなわけわかんないことになってきちゃったよ。トホホ」
BLが薔薇でGLが百合なのは有名だけど、実はNLには明確にたとえられる花はない。隠語にする必要性がないからだ。けれど、NLを桜と呼ぶこともあるって、前世誰かが言っていた。誰だっけな。もう思い出せないけれど。
ただ今、僕の目の前にはものすごく立派な桜の木がある。この木に恋愛成就的な効果はないだろうけど、とりま祈っておくのもいいかもな、と少し思った。
「よし。……神様、仏様、桜の精さま! どうか今世こそ恋愛がらみでヤバい死に方をしませんよーに――」
「うっ、うわ~~~~~~~~~!!! どいてどいて~~~~~~!!!!」
「ちょ、ま、はあ!? なんでこんな中世ヨーロッパをホイールローダーが爆走してんだよ!!!! ふざけんなーーーーーーー!!!!!!」
爆速クラウチングスタートを決めた僕の背を、猛スピードで追いかけてくる暴走ホイールローダー。車内で目を回している、見ず知らずの運転手くん……あれ、やっぱあの顔『しゅきめろ学園』で見たことあるかも……?
何はともあれ、僕が轢き殺されるまであと5メートル。
神様、さっきのあれは恋愛がらみでなけりゃヤバい死に方をしてもいいって意味じゃありませんよ!?!?!?!?
「誰か助けて~~~~~~~!!!」
「――まったくもう」
僕の無様な絶叫が青空にこだまする。このあと僕が九死に一生を得たかどうかは――まあ、ご想像にお任せするとしよう。