文香の伝統引き継ぎ編
一年で最も過ごしやすい生徒会選挙シーズン。
今年もまたこの季節がやって来た。
綾小路文香の残る生徒会活動の内容は、新任の文化委員長への引継ぎと、弁論大会の出席だけとなった。
文化委員長担当の片山先生から、いきなり声を掛けられた。
「桐生って奴が近いうちに綾小路のところに来るから、よろしく頼むよ」
文香は、初め要領を得なかった。
私が訳も分からず立ち尽くしていると、先生が言い直す。
「文化委員長の応援演説のことだよ。桐生が依頼に来るから受けてやってくれ」
「そういうことですか」
まさか、先生から、このようなやり取りがあるとは思ってもみなかった。
職員室組ではない文香は、なぜ先生がそんなことを言うのか全く分からなかったが、そういうものらしいということが後になって分かる文香なのだった。
その日の放課後、いかにもモテそうな美形の男の子が、フラッと生徒会室に一人で入ってきた。この子が桐生耀だと当たりをつけた文香が、その男子生徒の前に歩いていく。背の低い文香から見ると顔の位置が一つ以上上にあり、かなり見上げないといけなかった。
「綾小路文香先輩いるっすか」
「私だけど」
「初めまして、オレは桐生耀と言います。今度文化委員長に立候補するんで、応援演説をお願いしたいんすけど」
「耀君か。カッコいい名前だね」
「文香だって結構可愛い名前すよ」
「ありがとね。じゃあ私のことは名前で呼んでいいよ。苗字は呼びにくいと思うから」
「やりぃ。流石は文化委員長。話がわかる~。文香ちゃん」
いきなり砕けた物言いに文香は、ぷっと吹き出してしまう。
それにしても、片山先生が事前に教えてくれていて本当に助かったとしみじみ思う文香だった。
何の前触れもなく、いきなりこんなカッコいい男の子が現れて応援演説を依頼してきたら、そんなこと考えもしなかった私はうろたえていたかも知れなかったのだった。
「うん。大丈夫だよ。じゃあ耀君のこと少し教えてくれるかな」
「教えるっていっても、特にないかな。見たまんまっす」
「うんそうだね。見るからにカッコよくてすごくモテそうだというのは良くわかるよ。それになんていうのかな~。もう既に過去の大先輩に匹敵する文化委員長の風格が漂っているね。でもとりあえず、明日もう一度来てくれるかな。その時にどうするか決めるね」
翌日、生徒会に顔を出した耀君からいきなり先制攻撃されてしまった。
「文香ちゃんは五十嵐先輩と付き合ってるんすか」
「なに言ってるのよ。そんなのただの噂だよ」
「そうなんすね。今年の文化委員と生徒会の繋がりの関係からそう思っている人は多いっすよ」
「確かに五十嵐君は凄く頼りになるから、大分助けてもらってるのは事実だけどね。全然そういうんじゃないよ」
「お、この反応はまんざらでもないって感じなんじゃないの」
耀は、冷やかすような目線を向けるのだが、文香は一向に動じなかった。
「耀君。怒るよ」
「ちょっとふざけ過ぎっすか。でも当の五十嵐先輩はどう思ってるんすかね」
「五十嵐君が私に?そんなことあり得ないよ」
「いやいや、有りっすよ」
「そんなことどうでも良いって。それより耀君だよ。耀君って凄いんだね。成績も優秀で、クラスの人気も上々。それに何と言ってもカッコいいしね。下手したら学年一カッコいいんじゃないかな。うん分かったよ、耀君の応援演説を引き受けることにするよ」
「良かったっす。なんでも数ある生徒会の委員長の中でも文化委員長だけは、前任の文化委員長が応援演説をしてくれないと当選できないって噂なんで」
「良く知ってるね。「前任の文化委員長が応援演説をするとその候補者は必ず当選する」これは文化委員長の伝統なんだ。だから耀君も、私が応援演説を受けた時点で当選が確定したね」
「もし、文香ちゃんが俺でなく他の候補者を応援したとしたら、どっちが勝つっすか」
「私だよ」
「即答っすね。冗談すよね」
「本当にそう思う?」
「・・・いや。これ以上は止めておくっす」
「そうだね。その仮定はもうなんの意味もないね。だって私は耀君を応援するって決めたから」
「でも、どうして伝統になったんすかね。普通に元の文化委員長が応援演説をしたらそれだけで大分有利すよね。たったそれだけでそんな語り継がれることになるなんて信じられないっす」
「ううん、ここの文化委員長だけは全然違うんだ。本当は私はね、先生の紹介なんかじゃない予定外の候補者だったの。しかもその時の選挙の対戦相手は今の副会長をしている五十嵐君だったから敗戦濃厚って感じでね。でも、元文化委員長の優也先輩がそんな私の応援演説を引き受けてくれて勝ことができたの。私はその時に、初めてその伝統の話をきかせてもらったんだけど初めは私も全然信じられなかった。でも今ではその伝統がなぜそんなに強いのか私にはわかるんだ」
「あの五十嵐先輩と戦ったんすか。しかも勝ったってことっすか」
「そうなの。あの時、優也先輩から、文化委員長の伝統だから絶対に私が勝つって言ってくれたんだけど。私は全然自信がなかったの。でも優也先輩は物凄かった。私は何もしない内に、本当に訳も分からず勝たせて貰っちゃったんだ。私が文化委員長になれたのは全て優也先輩のおかげなんだ。私はそんなとんでもない優也先輩の跡を継いでしまっただけなんだ。でも私は全然凄くないけれど、どうしても優也先輩から受け継いだ伝統を絶対に守らなければいけないってわけなの」
「俺も、文化委員長になったら、その伝統を受け継ぐってことっすね。なんかカッコ良いっすね」
「そうだね。文化委員長の伝統はカッコよすぎるから、耀君にぴったりだね」
「それにしても、そんなにその「元文化委員長の優也先輩」って凄い人だったんすか」
「なんというか。神様みたいな。いやそれ以上かな。もう凄すぎてとても一言では言い表せないよ」
優也先輩の話をしている文香ちゃんの顔を見ている内に、桐生耀は、文香のことを理解してしまうのだった。
綾小路文香は、「五十嵐先輩ではなく優也先輩に恋している」ということを。
生徒会選挙が終了し、桐生耀は文化委員長に当選した。優也直伝の伝統の強みを存分に発揮した元文化委員長の文香の応援演説により、桐生耀は、なんと菊池優也が樹立した伝説の902票を越え、903票を獲得してしまった。
文香ちゃんは、応援演説の際、全校生徒の面前で、「耀君のファンクラブの会員第一号になる」と言ってくれたのだった。もちろんリップサービスであるのは分かっているが、他にそんなことを言う応援演説者はいなかった。
そんな文香の応援演説と耀本人の人気も相まっての903票なのだった。
耀が文化委員長になって初めての週末の弁論大会。
文香ちゃんが弁論大会のために準備した原稿を堂々と読み上げる。過去の文化委員長と同じく、当然その演説時間は規定の五分を大幅に超えていた。
文香ちゃんとはのべ四日しか会っていないが、こんなにも印象が変わった女性は初めてだった。
初めに話した時の印象とは大違いだ。毎回、文香ちゃんを見るたびに耀は驚かされてしまうのだ。
初めて会った日は人当りの良い優しい感じのちょっと可愛い普通の女の子の印象だったが、二日目に会った彼女は、優也先輩に恋するいじらしいかなり可愛い女の子の印象に変わっていた。
三日目の生徒会選挙の彼女の応援演説が凄かった。あのキリッとした表情、その堂々とした立ち振る舞いは、他の生徒の比ではなかった。耀は初めて彼女が生徒会の役員であるという凄さを理解したつもりでいたのだ。
そして四日目の今回、耀はそんな今までの文香ちゃんの印象すらも何もかも全てが吹っ飛んでしまった。
弁論時間の規定の五分を越えても尚、熱く原稿を読み続ける文香ちゃん。その立ち姿は、今まで自分が漠然と従ってきたルールの殻を完全に叩き割ってしまうのだった。
弁論大会における唯一といっていいルールの制限時間。
通常の参加者は、このルールの中でしのぎを削り競い合っている。
そんな中、文香ちゃんだけは、その枠にとらわれなかった。いや逆だ、文香ちゃんは、敢えてルールを破り、枠の外に飛び出した。そして、存分に自分の想いの丈をぶつけている。こんなに綺麗で生き生きとした彼女を見たのは初めてだった。
本来、弁論大会においての時間超過は、大幅な減点対象となる。しかし、そのルールを守っていては、仮に優勝したとしても、こんなにも人に感動を与えることは出来ないだろう。文香ちゃんは、この弁論大会において、人に感動を与えるとはどういうことかを語っているのだ。
はたして何人の聴衆がこの内容を汲み取ることが出来ているだろうか。いやそうではない。それは、間違いなく現文化委員長の“俺に”向かって語っている。
文香ちゃんは、弁論大会で優勝できる力を持っているにも関わらず、優勝と引き換えにして、俺に文化委員長の伝統を引き継いでくれていると言うことが分かるのだ。
耀は、この世の中に破ってもいいルールがあるのだということを思い知らされた。耀はこの瞬間、一回りも二回りも大きく成長したことを実感したのだ。
これが、文化委員長の伝統の引継ぎだと言うことだった。
そして耀にとって、その行為を敢えて選んだ彼女の弁論が、とても崇高で魅力的に思えてならない。
耀は、まさかこんな地味な弁論大会で、こんな感動が味わえるなんて思ってもみなかった。
完璧だった。
いや完璧以上だ。
耀は、もう平常心ではいられなかった。
文化委員長の伝統の前には、一人の例外もいなかった。一見文化委員長に似合わないような桐生耀ですらも過去の文化委員長と同様の想いを、その感情をその心に抱いてしまうのだった。
そんな耀は、すぐさま行動を開始する。
大会後のファミレスにて、文香に告白してしまうのだった。
「文香ちゃん。俺、文香ちゃんのこと、好きになっちゃいました」
「えっ」
「だから、好きなんだって」
「まさか、本気じゃないよね」
「大マジだから」
「・・・駄目だよ。私なんか」
「あの演説。感動したっす。もう俺にはこの人しかいないって」
「・・・ウソ」
「マジ」
文香が口元を手で隠しながら、信じられないという顔をしている。
過去に例を見ない「文化委員長の早すぎる告白」だった。
自分のイメージを
AIイラストを用いて作成しました。
文香が桐生耀耀の告白を受けて口を隠している所です