婚約者の言い分と決着
嫌がらせ。
貴族社会に居たら大なり小なり経験する。ヴィオレッタはアントニーの婚約者となってから、それこそ大なり小なり様々な嫌がらせを受けてきた。
始めはびっくりしたものの、母から対処法を習ってから随分と楽になったものだ。ヴィオレッタは嫌がらせを受ける方の立場で、嫌がらせをしたことはない。ひとえに、面倒くさいからだ。
「嫌がらせ、ですか?」
本気で首を傾げた。アントニーは目を三角にして怒鳴る。
「そうだ! お前がそんな女だとは……見損なったぞ」
「それはわたくしのセリフでは?」
「何だと!?」
「わたくしという婚約者がいながら、他の女性にうつつを抜かして。そんなにも他の女性がよろしいのなら、婚約を白紙にしてからにしていただきたいですわ」
ちらりとアントニーにしがみつく彼女に目を向けてから笑顔でそう言えば、アントニーが言葉に詰まる。
婚約白紙に乗ってこない態度に、婚約破棄をしたいわけではないのかと、内心がっかりした。単に、恋愛に酔っているだけのよう。
「そ、それとこれとは別だ! 私はお前の心根の卑しさについて話している!」
「わたくし、心根が卑しいですか? では、婚約者のいる男性にちやほやされて、まんざらではないような女性はどうなんでしょう? はしたなくありませんか?」
あまりの言い掛かりに、呆れしか出てこない。
「別にちやほやなど」
「そうなのですか?」
わざとらしく目を丸くして見せた。そして、側にいる兄に首をかしげる。
「もしかして、わたくしが知らないだけで、頬を寄せ合いキスをしながら語らうのは社交の一つでしょうか?」
「そんなわけがあるか」
唸るように否定をしたのはオーブリーだ。彼は怒りを抑え込んだような険しい顔をしている。アントニーはオーブリーに怒気を向けられて、顔を青くした。
「なぜ、副団長がここに。しかもデリックまで」
今頃気が付いたのか。
オーブリーとデリックはヴィオレッタを庇うように立っているのに目に入っていないとは。よほど頭に血が上っていたに違いない。
「何故とは。私たちがいては都合が悪いのか」
「いや、その」
「アントニー殿下」
ヴィオレッタは婚約者を呼んだ。彼はどこかほっとしたような顔をしてヴィオレッタを見る。
「なんだ」
「折角の機会なので、はっきりさせませんか」
「はっきりだと?」
にこりと笑った。
「ええ。わたくし、最近の噂で気が付いたことがありましたのよ。愛もなく、政略の意味もない結婚はすべきではない、と。やはり愛する人と一緒にいた方が愛に溢れ、幸せに満ちた人生になると思います」
「は?」
「わかりやすく言えば、婚約白紙ですわね」
「ちょっと待て! 誰もそんな話は」
どうやら婚約白紙までは望んでいなかったらしい。でも、負けない。ヴィオレッタは気合を入れて、少し悲しげな顔をして見せた。
「確かにわたくし達は契約で成り立っております。愛など必要ない。でも、殿下はわたくしの言い分を聞く前に、彼女のことを信じたのでしょう? それはわたくしを信頼していないということ。長い付き合いの中で、わたくしが誰かを貶めたことがありましたか?」
「それは……お前が私を愛しているから悋気を」
「何を聞いていらしたの? わたくしたちの間に愛なんて、これっぽちもないじゃありませんか」
そんな感情、最初から持ち合わせていない。その認識を確立した五年間だった。
「……そうなのか?」
疑問の声を上げたのはオーブリーだった。先ほどの怒気を引っ込め、今度は困惑の表情をしている。実情を知らない人ならば、アントニーとヴィオレッタはお互いに想い合っていると信じていただろう。
「できるだけ仲良く、という感じですわね。ですが、それもお互いが尊重し合っているからこそ、成り立つもの。出会って浅い人の話しか聞かない人と結婚なんて、できかねますわ」
「ヴィオレッタ」
ようやく冷静になってきたのか、アントニーの顔色がどんどんと悪くなる。それもそうだろう。愛と希望の戦士のように、正義感に酔いながら糾弾したのだから。
それも、ちゃんちゃらおかしいけれども。でもこの調子であれば、婚約白紙に頷かせるのは難しそうだ。なんせ、ここでヴィオレッタとの婚約がなくなれば、アントニーは金銭的に困ることになる。
冷静にならないようにもう少し煽っておけばよかったかとほんの少しの後悔。
どうしたものかと、考え始めたところで。
「わたくし、感動しましたわ! お異母兄さま、真実の愛を応援させてくださいませ!」
どこから聞きつけたのか、目をキラキラとさせたクラリスが現れた。何故か上級文官を二人ほど連れて。
「ク、クラリス」
アントニーが顔を引きつらせる。彼はクラリスが苦手なのだ。押しが強いし、知らない間に頷かせられてしまうから。
「ヴィオレッタの襲撃の情報が入ってきていたから、もしや、と心配しておりましたが。こうして正々堂々と公の場で愛する人を守ろうとしているのです。あれは悪意のある噂だったのですね。安心いたしました」
「え、襲撃?」
アントニーがびっくりしたように目を大きく見開いた。それとは対照的に側にいる令嬢の顔色が真っ白になる。アントニーを掴む手に力が入り震えていた。
「お異母兄さまがそこまで心を決めているのです。わたくし、少しお手伝いをしようと思いまして」
さっと手を上げると、二人の上級文官が前に出た。一人は薔薇の花で飾られた持ち運び用の台を、もう一人が書類を手にしている。その書類をアントニーに差し出した。
「ちょっとまて、私は婚約白紙にするつもりなど」
「ここまで大騒ぎしてしまったんですもの。愛を貫くことこそ、お異母兄さまの愛が純真であったという証明、つまり正義になるのです」
「し、しかし。そうなるとヴィオレッタに瑕がついてしまい、行き遅れになるではないか。それはとても可哀想では」
浮気をしていた相手が、行き遅れになってしまうことを心配する。イラッとしたのはヴィオレッタだけでなかった。クラリスは笑みを浮かべつつ、こめかみに青筋を立てた。
「心配いりませんわ。わたくしの伝手でいくらでも紹介できますもの」
安心してくださいませ! と全力で請け負った。
結局、アントニーはクラリスの勢いに負け、さらには真実の愛を祝福する周囲の人たちの温かな拍手に押され、婚約白紙の書類にサインした。
「お異母兄さま、そんなにも泣いてしまうなんて……よほど嬉しいのね。これからお二人の愛が、輝かしく素晴らしいものでありますよう、陰ながらお祈りしておりますわ」
絶望に涙を流しているのに気が付いているのに、クラリスはあくまで純愛を貫いたことによる感動に持ち上げる。もちろん、周囲もクラリスに同調してお祝いを叫んだ。ちょっとした異様な雰囲気がそこにある。
ヴィオレッタはアントニーの負け姿を見つめ、緩い笑みを浮かべた。