夏に接ぎ木を
私は海が嫌いだった。それは冷たいから。疲れちゃうから。体が弱いから。そして、もう死んじゃったから……。
ミンゼミがざわめく木があちこちに植えられている。街路樹とその隣に電灯とかが入り乱れ、黄昏色に今も焦がされた茶色のブロックタイルが妙に懐かしく感じる。
「ねえねえ、あそこの幽霊さん可愛い。」
「ホンマ、それ。俺好みのタイプだ!」
「へ、このロリコンどもめ!」
——宙に浮かぶ私は幽霊。茜色に染まる空を遊ぶ幽霊様だ。
アマガエルのカップル+取り巻き達が夕方にもかかわらずの暑さに耐えかねて古池や蛙飛び込む淡水浴。蓮の葉っぱで日光浴している奴はコバエを舌でとらえてパックリ。
「うむ、うまい!」
とか言って一気に飲み込む。「30回は最低噛みなさい」なんて私のママみたいに言ってやりたいものだ。何なら、誰かに頼んで看板でも立ててもらおうか悩むほどだ。まあ、その看板すらも食べてしまいそうな池の主が眠っているから無駄か。ていうか魚は看板食べないかな。
これを釣ろうといい年したオッサンが釣り糸を垂らす。バケツにはブラックバスとブルーギル達が雑居している。「死ぬー。」「酸素、酸素をくれ!」「助けてくれー!」って幽霊の私に騒ぐので少し面白おかしい話だ。ずっと私は生かされてきた人間だったのに。
BGMにセミたちはテレビで見たギターボーカルしかいないバンドを作って夏を彩る。だが夕日が沈むにつれてボーカルの声がかすれていく。羽を必死に動かしてラスさび、転調して最後のシャウト。そしてシャウトとともに観客席へダイブ。どうも、お疲れ様です。
街路樹を走る車は数台しか走っていない。その車には家族連れが多い。お盆の帰省だろうか。その車はとても騒がしい。
ある車ではしりとり大会。とある車ではアニメ鑑賞。どこもまだ大人になっていないお遊戯会。にっこにこ。その笑顔に私は嫌な記憶が今はどっかにいった脳の裏側をよぎった。
だから私は一人で車を走らす大学生の車についていくことにした。そも論、うるさいのは嫌いだし、一人が好きだし。べ、べべ、別に一人だとしても寂しくないし!
でも、やっぱり、寂しいな。一人で冷たいものに飲み込まれてたから。だれも、話しかける幽霊はいない。
車の窓にはまるで壊死したサンゴ礁が映っている。街路樹を出てしまうとあちらこちらに頂を貫かんとビルが一つ二つ三つ……。シルバーに統一されたビルディングは思わず青看板に書いてある銀座という町の由来を勘違いしそうな、自然への裏切りに大先輩の太陽が人類に天誅を下しているような。
横に座る彼の夢が壊れた臭いを今もかもしだしている。
運転手は輝くような日差しをサングラスで無視してハンドルを握る。お気に入りの邦楽はなんだか、聞いたことがあるような、ないような。それにしてもクーラーが病院の中みたいに静かで涼しい。
信号で車体を止めると懐かしそうにスマホを覗く。そこには運転手を体現したよ焦げ茶のショートヘアーと、ちょこっとやんちゃな性格が黒髪から現れる高校生が映っていた。しかもどっちも水着で。ほんと、このロリコンめ。少女の肌はまるで霜のようで、少しやせていた。でも、笑顔だった。口元が緩んだ、その顔を見るとロリコン大学生はそっと目を閉じた。
信号が変わり、人がいない都市道路を走る。にしてもこんなにも人がいないものだろうか。銀座はもっとうるさく、派手で、スクランブル交差点が毎朝映し出されるほどの人々の活動場所ではないのだろうか。あ、でもこれ多分、渋谷の方だ。
車がいない世界。この異変、高速道路入り口に入ってのことを知る。
「うわぁ……。」
そう大学生が声を漏らすのもしょうがない。だって私だって同じ反応するもの。そこにあるのはまるでモザイクアートの車達なのだ。どこもかしこからクラクションが飛んでくる。ああ、セミが家の壁に引っ付いたようなうるささ。おまけに寝起きで不機嫌な赤ちゃんが「んぎゃー!!!」って泣き出す地獄に溶岩を垂らしたような光景。
それが幸運にも反対車線。イライラする対向車線に頭をへこへこしながら次のICで高速を辞める。
町田の道は銀座に比べて少し車が多いが少しずつ静岡へ。少しずつ自然へ、少しずつ緑の木々へと帰化していくと車の数もまた指の数くらいになっていった。まあ、私が阿修羅なら少し表現を違えたけど。
とある真っ暗なトンネル。邦楽が遮断される。走行音が反響する。高重力地帯といっても信じれる音と空間。遮断された音が吹雪のようで、それともラスボス前の威圧感のようで。トンネルを抜けると音に耐えかねてか、白銀都市鏡が割れた。山に囲まれて富士の山が見え始める。
霊峰富士。初めて見た。
そういえば、病院で読んだことのある本にこんなのがあった。
『富士山でかぁ。
そこにゃあ、神がおると嘘をついたもんがいたん
や。つーても、神がいたら日本ちゅう国は地震雷火
事親父で困ることはねぇさ。んでも、信仰が少ねぇ
からのぉ。相変わらず、人使いの荒え神や。信仰せ
んかったら天誅やって? 地震や噴火一つで文明は
一つ消えるもんや。
んで、復興が始まるんやが、復興つーても復元され
た何かであって不要なものは直されへん。
帰って来んへんのんや。』
森の方へ、海の方へ。自然の桜花に飲み込まれるように、誰かが私を誘うようにアクセルを強く踏む。
少しずつ日は傾き始める。蝉も少しずつ眠気に負けて鳴くのをやめる。かごの中のトノサマバッタは夕日を悲しそうに見つめる。その代わり、コオロギたちがSオーケストラのチューニングを始めだす。飛び回る子虫も街灯に熱狂的プロポーズ。まあ、初恋は実らないだから、まあ、お気の毒だ。
まだ太陽が沈み切っていない。あたりを照らす夕暮れ模様にひこうき雲が一つ。星々はまだ寝起きのようでぼやけて、月だけがキッチリ役をこなしている。そんな時間になって彼はやっと車を止めた。
車を降り、荷物を持って「こんばんは。予約していた桐沢です。」と受付を澄ませると大きな砂浜に出た。臨海しているが回れ左すればなんと富士まで見えるのだ。そんなパンと御飯が一緒に出た食卓みたいに1人の大学生はため息を大きくついた。
ロリコン大学生こと桐沢は受付から薪を漫画盛に持ってきた。薪を一人ジェンガでもするように積み上げていく。海のさざめきが何とも言えないBGMになり、後ろからコオロギたちの大合唱。さざめく海の中で独り言を述べる。
「バカみたいな話だな。今、朔良がいるような感覚がするなんて。」
波はいつも一定に打ち上げる。花火が咲いたような眩しさを沈みかけの太陽がトランジスタとなって哀愁を思わせる。
スマホを開くとメールが一通。
『すまん、明日バイトのシフト頼む!』
そう煌とかいうやつからのメールに桐沢はため息をついた。というか夏休みというのにバイトなんて相当の社畜だろうか。
『わかった。』
リプに既読が付きまた一つ。
『ちな今どこ?』
『海浜公園。』
『お、告るのか?』
『そうだよ。文句あんのか?』
『いやー。うまくやれよー、海琴くーん。じゃ、明日は任せた。』
『りょーかい。』
そうメールを打ち返し、スマホをポケットにしまう。ロリコン大学生こと桐沢こと海琴は少し笑っていた。友達とのメールだった。でもその笑顔がちょうど陰になってよく見えない。空は妙に明るい。
それでも時間だけは従順で誰もいない砂浜を照らす太陽は水平線の彼方へ沈んでいった。
にしても夜に光源は神威的なものしかない。月というのは宇宙の塵に過ぎない。宇宙の端くれである地球の誰かいつか決めた神様のおかげで世界は成り立っている。
その神が新しい世界を作り宇宙人が文明を築いたとする。そうしても、どうあがいても壊れる世界になるのは理だ。復興はしても忠実に再現されない。忠実に復元されたなら今も私はこの人の前で楽しく話していても、入院で寂しく眠っていても、おっさんの横で釣っていてもおかしくないのだ。なんならアメリカのどこかで自由にパーリーピーポーしていてもおかしくない。
薪のパチパチという音だけが辰巳の独り言を歓迎する。周りには誰もいない。どこかの親族の元へ皆は裸踊り。それができないのがこの海琴という青年だった。
「俺は霊感が強いんだ、朔良。」
海琴が火に薪をつっこむ。朔良というのは先の写真で見た少女のことだろうか。焦げ茶色のショートヘアーに前髪そろえて切った感じのやんちゃそうな少女。目も同色で少し大きめで、やんちゃそうな、でも内面はおとなしそうな、そんな印象を受ける少女のことだろう。
そう、私なのだ。
海琴は星空に手を伸ばした。
「今日は告白に来たんだ。なんで今日かって、春先の地震さえなければ今日じゃなかったさ。だから俺とここにいる朔良にだけ思いを伝える。」
「俺はお前が好きなんだ。」
涙が焚き火に照れされる。カラの手を握る。海琴の手はとっても大きくて、とっても暖かくて、とっても懐かしくて……。
いつも私は夏に咲く桜だった。
生まれつきの低体温症。風邪ばかり引くし、体調がいい日の方が珍しかった。運動はてんでだめ。勉強から始めた人生はそううまくいかなかった。教科書とは関係ない本とテレビばかりの毎日……。
入退院を繰り返したから友達なんていなかった。高校もどうにか使えない頭で入学した。でもやっぱ、小さい頃からのグループがすでに形成されていて、いわくつきの場所なんてなかった。おまけに手を握られると「うわ、冷た!」って毎回のように言われる。それがとても嫌だった。雪女のような目で、奇怪な目で見られるのが嫌だった。無理な気遣いが私の周りを渦巻いている状態がとても嫌いだった。結局、私は雪崩に突っ込んでしまった。排他的な生活をあと少し生きて私は死ぬ。ただそれだけの人生だと思っていた。
高3の夏に、海琴に会った。海琴はとっても明るいのに面白いくらいに人付き合いが苦手。相手を親切にしないといけないと空回りする不器用。今思えば、なんで嫌われていたのかなぁ??? って思うくらいのコミュ障。
でも彼の性格が私を海まで連れてきた。お互い金槌のくせに。私がずっとうるさくて忌避していた夏の海に。海琴も熱いの嫌いなくせに。そこで水遊び。大の高校生のくせに、やっと私は笑顔になれた。
やっと雪が溶け始めた。やっと春が来たんだって、キンキンに冷えたスイカを口にした瞬間に感じた。でもその後日焼けで肌荒れがひどかったし、そのあと疲労で入院しちゃったけど海琴も毎日会いにいてくれた。
冬にはプレゼントされたマフラーに身につけて街灯のイルミネーション。そこでまた綺麗だねって二人で言い合った。時々、足がもつれたりとか、海琴が突然の腰痛に倒れたけど色々なことが続いた。
こんな人生が一生続いてなんて言わない。だって、私がこの体のせいで先立っちゃうから。先に海琴にごめんねを言っちゃうから。
でも、こんなにも早く「ごめんね」っていうことになるなんて、思ってもいなかった。
大きな揺れとともに、倒れていく大切なもの。揺れ続け、風邪をひいていた私は地震の惨禍に飲み込まれていった。
そう……。
南海トラフが起きたのだ。
クラスのみんなや、家族はみんな逃げれたけど……。
「私だけ」が津波に飲み込まれていった。
津波は冷たかった。
一人だった周りの空気以上に、とてつもなく冷たかった。
何より、彼の心までも飲み込んでいってしまったから。
私は神が嫌いだ。
いるなら守ってくれてもよかったんじゃないの。なんで、私以外の多くの人を巻き込んだの?
それと同じように私自身も嫌いだ。
私がしっかりしていれば、海琴の心を飲み込んでいくことなんてなかった。私が海琴を変えてしまった。
海琴は私の低体温症を治すために医師になるって言ってくれた。でも災害のせいで、受験ができなかった。そこから変わってしまった。私がいたせいだ。私を好きになったせいだ。そのせいで、生きる意味を見失った。
後悔に明け暮れる志望校とは違う大学。夢も希望も見失った彼は、これ以上にない深い傷を、生き地獄として過ごしているのだ。今の海琴にあの頃の面影はない。
ちょこっとやんちゃな性格が黒髪から現れる高校生の姿は津波が攫っていったのだ。
本当は、本当は、海琴に謝らないといけない……。人生を狂わしてしまったから。だから何度でも、何度でも……。
でも、なんで、こんな、こんな私を愛してくれるの?
焚き火の音が激しくなった。寒いといえる乾ききった突風だ。海琴の髪が乱れる。長かったその前髪から初めて彼の目を直視した。瞳に霊となった私が映る。その物体に気づいたのか、どうなのか。笑顔で手を握り返し、私を包み込む。
「ありがとうな。」
それが私の初恋でした。
あふれんばかりに涙が出る。私の体を抱きしめる。幽霊だということも忘れて、海琴の暖かさを肌に感じる。懐かしくて、ずっと、ずっとこのままでいたい。
でもここにいるのは過去に死んだ私と今を生きる海琴。
成仏という体が消えていく現象。ずっと、ずっとこのままでいたいのに……。
まだ、思いを伝えていないのに……。
私はまた、神様が嫌いになりました。
届けたいこの想い。それができないこの爆ぜている感情、もどかしい感情を何と言おうか。どうやって伝えようか。
いつか、彼が私の分まで生きてから、一緒に名前を付けよう。
Title:夏の接ぎ木
ご愛読、ありがとうございました。