死にたくても死ねない私
暗闇のなか幾度考えたかも解らぬ問いに思考を浸す
私はきっと、産まれてくるべきではない人間だったのだろうと
それは他人から言われた言葉てもなくましてや家族から言われた言葉でもないただ、自分の脳裏にべっとりとこべりついて離れない言葉である
それは、過去が証明してきたし恐らくこの先未来が証明して行くことだろう。
生き恥を晒しながらこの先を生きて行くことだろう。
そもそも私は何故この世に産まれてきたのだ?
何も成さず誰も救えず、生きているだけで恥をこの世に晒し続ける。
そんな命になんの意味がある、だれが赦しをあたえると言うのだ。
生きるのには許可が必要だと私は常々思う。
周囲に生きる人からの許しは勿論だが自分自身にも許可を与えないと人は生きる事ができない。
何故なら、他人の評価等やはり何処まで行こうがお世辞や色眼鏡、環境やその時の気分で左右されるようなあやふやなものだ。
それだけで判断するには早すぎる。他者の期待に押し潰されてしまう
故に自らに生きていても良いわたしがいることで少しでもこの花がキレイに咲いてくれるなら、それだけで自らに与える生きる許可にあり得るのだろう
私にはその所謂自己肯定感とやらが著しく欠落しているのではないのなかろうか
故に生きる意味を見出だせず連綿とこの世にしがみつきさ迷い続ける
そしてそれでも死ぬことを自分の手で選択する事すらできない。
人間の根元的な恐怖の一つ無知で有るから死は忌避する物だ
誰しも人間死んだこと等、有りはしない
そして、有りはしないのだから知りもしない
知らないものは、怖いものである。
そのなかでさえ恐怖に打ち勝ち自らの一生を終わらせる
一種それは、才能であると私は認識している。
どれほど死にたくても気が狂いそうな程死を求めて手を伸ばしても一寸届かずその決断をする事が出来ずに自らの命を天に任せ他人が私の命を終わらせてくれる時をただ待つだけの私とは違い、自らの手で絶った人達を私は尊敬したい。