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第九部 昔話

 ノアとイザベラが暮らすロッジに着いたとき、時刻は午後九時半を示していた。多少、交通渋滞の都合も含んでいるが、ほぼノアが言った通りの時間が経過した。

 かすかな風が吹き、なにもない暗くて静かな辺鄙な土地には虫の鳴き声や、草木が風にあおられてなびく音しか聞こえてこない。

 七月の暑い時期には気持ちいい風だが、少し寒い気もする。恐らく、北側に位置する土地だからだろう。

 ノアがロッジから少し離れた場所にジープを停めた。

 お礼を言って下車した浦辺は、夜の原野に流れる爽やかな空気を思い切り吸い込んだ。空港とは違った自然の味が体の隅々に行き渡り、長旅による疲労と体の怠みが一気に吹き飛んだような気がした。

 イザベラに誘われ、浦辺はロッジへ入った。

 全体的にログハウスを彷彿とさせる作りで、時折隙間風が自然の香りを乗せて室内に吹き込んでくる。

 イザベラが食器棚から木製の皿とコップを人数分準備し、同じく木製のテーブルの上に並べた。

 ノアがオーバンで調達したパンとミルクを用意し、浦辺に勧めた。

 ノアとイザベラが祈りを捧げるように両手を握り俯いた。浦辺も反射的に同じ仕草をした。

 簡素な食事ではあったが、アムステルダムへ旅行した際に現地の料理が口に合わなかったことがあり、それ以来浦辺は海外の料理を食すことに抵抗感を抱いていた。そのため、むしろパンとミルクだけというシンプルな食事が、浦辺には有り難かった。

 食事を終えたとき、時刻は午後十時を示していた。

 ノアは先に寝るといい、自室へと引き上げた。

「もし連中の気配を感じたら、真っ先にわしを起こすんだぞ」

「分かってるわ、パパ。おやすみなさい」

 ノアが部屋から姿を消すと、イザベラは面白そうにフフッと笑った。

「昔からなんですけど、あのことがあってから父ってば私の心配ばかりしているんです。過保護もいいところでしょう?」

「娘想いのいい父親じゃあありませんか。それに比べたら、僕の父親なんてうるさいだけでしたからね」

 と、浦辺は苦笑してから、

「イザベラさんは眠らないんですか?」

 と、聞いた。

「浦辺さんは?」

「僕はまだ起きてます。どうも時差ボケの影響で…」

「では、私も起きてますわ」

 と言い、イザベラは窓側の椅子に乗せていたグリフォンの卵を抱くと、そばの椅子に腰かけた。

 卵は毛布にくるまれていた。

 暖炉の火がパチパチと音を立てるだけの静寂のみが支配する部屋で、浦辺とイザベラは互いに口を開くわけでもなく、じっと座っていた。

 森から獣の咆哮らしい鳴き声が響くごとに、イザベラは卵を安心させるかのように撫でた。

 不思議な色で彩られた表面は暖炉の火を反射させ光っている。

「…あの、浦辺さん」

 沈黙に耐え兼ねたのか、イザベラが口を開いた。

「不躾でしたら申し訳ないんですが、聞いてもよろしいですか?」

「なんでしょう?」

「どうして探偵になられたんですか?」

 参ったな、と浦辺は苦笑し頭をかいた。

「あっ、もしお話ししたくないのであれば私はまったく――」

「いえ、そうじゃないんです。どうも昔から身の上話をするのが照れ臭いというか慣れないというか…。別に不快な気持ちになったとかじゃないので。いい時間潰しにもなるしお話ししますよ」

 と言ってから、浦辺は小さく息を吐いた。

「僕が空手道に進んだ理由はお話ししましたよね?」

「空港でおっしゃっていましたわね。確か、父親に無理やり入門させられたとか…」

「そうです。探偵になったのは、その父が関係していましてね」

「お父様が?」

「父が死んだんです」

 イザベラは動揺した。

「ごめんなさい…」

「いえいえ、いいんです。むしろ、あまり人に話したことがない話ですから聞いてもらいたいな」

 浦辺はあえて作り笑いを浮かべてから話を続けた。

「僕の父は刑事でした。地元の警察署に勤務する刑事で、映画やドラマによく出てくる上司の命令を無視して行動する典型的な猪突猛進型でした。僕はそんな父に憧れて当時は警察官になろうと夢見ていたんですが、その父がある日、張り込み中のトラブルが原因で命を落としてしまったんです」

「…なにがあったんですか?」

「深夜、父が同僚の刑事と張り込みをしていた最中、ホームレスが近付いてきたんです。ホームレスは酔っ払っていて、父たちは張り込みの妨げになると思い追い返そうとしたんですが、いきなり相手が機嫌を損ねて大声を張り上げたんです。その結果、監視していた建物から犯人が飛び出てきて、無作為に拳銃を乱射したんです。父は心臓を撃ち抜かれて、ホームレスは額を撃ち抜かれて死亡。同僚の刑事も軽い怪我を負いました」

「まあ…」

 イザベラは口に手を当てて驚いた。

「母親は悲観に暮れ、当時大学生で独り暮らしをしていた僕になにも告げず行方をくらませてしまいました。未だに音信不通です。僕も激しいショックを受けましたが、これを期に父の遺志を継いで絶対に警察になろうと意気込みました」

「でも、それならどうして探偵になられたんですか? お父様の遺志を継ぐのなら、警察になるべきだったんじゃ…」

「それについては今から説明します」

 浦辺がコップに残っていたホットミルクを飲み干した。

「父は張り込み中にホームレスに絡まれ、犯人に気付かれて殺されたと思ったんですが、実は違っていたんです」

「えっ」

「ホームレスが絡んできたのは、父と一緒に張り込みをしていた同僚刑事が、父を陥れるために仕組んだ罠だったんです」

「………!」

「そいつは柳沼という男だったんですが、父とは常にコンビを組んでいた刑事でした。が、コンビゆえに日頃から父と比較されては、力の差を常に思い知らされていたようです。やがて、自分より実力を備えている父に対して一方的な憎悪を抱くようになり、張り込みで失態を犯させてやろうと罠を仕掛けたんです。ところが――」

「想定外なことにお父様は死んでしまった…」

 イザベラが言うと、浦辺は頷いた。

「それから数日後、死んだホームレスの仲間の証言で柳沼が示し合わせて父を陥れたことが判明しましたが、僕は柳沼を責めるつもりはありませんでした」

「どうしてです? お父様が亡くなってしまった原因を作った人なんでしょう」

「それは間違いありません。でも、僕は柳沼が日頃から、父と比較されては周囲の人間に見下されていたのを知っていました。あの人が凶行に走ったのは、言ってしまえば力の差を勝手に比較し、一方的な判定を下した周りの人間のせいなんです。だから僕は父が死んだとき、柳沼よりもむしろ二人を比較した警察内部に憤りを覚えました」

 と、浦辺は言った。

「…それでそのヤギヌマという人はどうされたんですか?」

 浦辺は小さなため息を吐いてから続けた。

「ホームレス仲間の証言で警察を辞めた柳沼でしたが、僕はさっきも話した通りあの人に憎しみは抱いていなかったのでなにをどうしようとも思いませんでした。でも、あることがきっかけで僕は柳沼の行方を追う決意をしたんです」

 暖炉の火が弱まってきた。

 イザベラは断ってから立つと抱えていたグリフォンの卵を椅子に乗せ、火が弱まってきた暖炉の中に新しい薪をくべた。

 瞬く間に暖炉の中でもうもうと燃え上がり、薄暗かった部屋が再び明るくなった。

 イザベラがグリフォンの卵を抱え座ったのを見計らい浦辺は続けた。

「ある日、大学から帰宅途中の僕にホームレスが近寄ってきたんです。彼は冬の公園で寒さを凌いでいたとき、父が厚いコートを譲ってくれたことに今でも感謝していると話してくれました。彼も、死んだホームレスの仲間の一人で、二人は一緒にいるところを柳沼に協力者になってほしいと声をかけられたと教えてくれました。そのときの柳沼が二人に放ったのが『その程度の役にしか立たない命なのだから』です」

「そんなひどいことを…」

「それを聞いた途端、僕は柳沼に同情していた自分を恥ずかしく思いました。あの男は警察官でありながら、ホームレスの命を使い勝手のいい道具としか捉えていなかっただけでなく、計画の失敗が死を招くということも承知の上だったんです」

 浦辺は空のコップを弄ってからまたテーブルに戻した。

「でも、そう気付いたときには既に柳沼は行方をくらましていました。当時、大学生だった自分は講義に出席しつつ、度々抜け出しては柳沼の情報を得ようと歩き回りました。地元の人間でしたから、歩き回ればなにか手掛かりでも見付かるかもしれないと思ったからです」

「それで浦辺さんは見付けられたんですか?」

 イザベラが身を乗り出して聞いたが、浦辺は首を横に振った。

「悔しいことに未だに柳沼は見付かっていません。でも、僕は絶対にあいつを許さないし、いつか必ず父と、道具のように扱い死なせたホームレスの墓前に跪かせて謝罪させるつもりです。だけど、近年腐敗が横行する警察組織に頼るつもりも、コネで属するつもりもない。僕は僕なりに、個人で柳沼を追い詰める。それが、探偵を選んだきっかけです」

 一通り話し終え、浦辺は大きく息を吐いた。

 もうもうと燃える暖炉の火が浦辺とイザベラ、そして毛布から少し顔を覗かせているグリフォンの卵を照らした。

 気まずい沈黙が流れた後、浦辺が急に笑った。

「なんだかしんみりしちゃいましたね。えっと時間は…もう一時を回っちゃってますね。ただでさえ時差ボケで頭が混乱してるのに」

 淀んだ空気を吹き飛ばそうとする浦辺の露骨な態度に、イザベラは思わずクスッと笑みを零した。

 イザベラは自身の部屋を浦辺に教え寝室代わりに使ってくださいと言ったが、浦辺は慌てて遠慮した。

「最悪、外で寝ることも出来るので」

 と言い、最後までイザベラを笑わせたが、結局ロッジに存在する家具の中で唯一木製でないソファで眠ることになった。

 浦辺はあっという間に眠りに落ちた。

 よほど長旅で疲れていたのね、とイザベラは微笑んだ。

 部屋には眠っている浦辺を除いて、椅子に座る彼女とグリフォンの卵だけが残った。

 暖炉の火が衰えることなく燃える部屋で、イザベラは自身の家族の顔を思い浮かべた。

 牧場主だった父とは今でも一緒に暮らしているが、母親は性が合わないという理由で別の男を作り、二人を残して何処かへ行ってしまった。

 浦辺の母親は突然夫を亡くしたショックのあまり、浦辺になんの連絡もなく独りで何処かへ行ってしまった。

 身勝手なことには変わりないが、明らかに自分の母親とは差があり過ぎる。

(私は絶対、母のようにはならない。『彼』を愛しているから)

 イザベラはグリフォンの卵に頬を寄せ、ゆっくりと優しく抱き締めた。グリフォンであり愛する夫である「彼」を思い浮かべて。

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