第七部 トラブル
翌日、午前六時前。
パスポートや着替えなどの軽い荷物を詰め込んだショルダーバッグを担いだ浦辺と、例のごとく布によって巻かれたグリフォンの卵を抱えたイザベラが事務所から出てきた。
「それじゃあ、行ってくる。井崎警部には当分留守にすると伝えておいてくれよ」
と、浦辺は欠伸をしながら出てきた北村に言った。
「ちゃんと伝えておきますよ。あの警部、浦辺さんがいなきゃなんにもできないからきっと悲観に暮れますよ」
と、北村が笑いながら言った。
浦辺は腕時計を確認した。
「九時二十五分の羽田空港発の便に乗れば、イギリスには現地時刻の十五時三十分頃には着きます。準備はよろしいですか?」
と、イザベラを見た。
彼女は透き通るような声で「はい」と言った。
「では、行きましょう」
と、浦辺が促したときだった。
「こんな所にいやがったな」
イザベラの表情が強張った。
浦辺と北村が声のした方を向くと、棘のように尖った金髪を際立たせている男と、その背後にいるいかにもガラの悪そうな二人の男がこちらに迫っていた。
イザベラがすかさず浦辺の背後に隠れた。
「ようやく見付けたぜ、彼女。昨日はよくも平手打ちをかましてくれた上に逃げてくれたな。昨日からずっと捜し回ったせいで、今めちゃくちゃイライラしてんだ」
イザベラが卵を抱える両手に力を込め、すかさず浦辺の背後に隠れた。
(彼女が言っていたイヤな連中だな)
と、浦辺は思った。
恐らくナンパ目的でイザベラに迫ったであろう三人組は、確かに北村が言った通り自分が毛嫌いする不良そのものだった。
昔からこの手の輩を嫌う浦辺は、自然と表情を険しくさせた。
浦辺は三人を無視し、イザベラを伴って先を進もうとした。が、案の定その行く手をリーダー格の金髪が阻んだ。
「チッ、どいつもこいつも俺をスルーしやがって。お人好しな野郎を護衛にしたつもりだろうが、今度こそ容赦しねぇぞ」
「…邪魔だよ」
浦辺が言うと、金髪は眉をひそめて詰め寄った。
「あぁ? もう一回言ってみろよ、英雄気取りが」
「邪魔だと言ったんだ。こっちは君たちみたいな輩に付き合ってるほど暇じゃないんでね」
浦辺の気迫に金髪は最初尻込みしたが、背後の二人に向かっておかしそうに笑ってからいきなりナイフを取り出した。
イザベラの体が震え出した。浦辺の背中に密着していたため、その震えが彼にも伝わった。
「これでもそんな口が叩けるのか?」
金髪はニヒヒッと下劣な笑みを浮かべながら、まるで自慢するように浦辺の前でナイフを器用に操った。
浦辺がうんざりしたように深いため息を吐くと、持っていたショルダーバッグをそばにいた北村に託した。
背後で怯えているイザベラを優しく離れさせ、金髪と対峙した。
「…あーっと、君たちね。一応忠告しておくけど、あんまりこの人を怒らせない方が身のためだよ?」
と、バッグを抱えながら北村が恐る恐る言った。
そんな北村を、金髪はギロッと睨み、
「脅しのつもりか? 全然怖かねえんだよ」
「いや、本当にやめておいた方がいいよ。君たちのためと想ってーー」
「うるせぇ!」
小馬鹿にされたと思った金髪が北村に迫ろうとしたそのときだった。
浦辺がしなやかな身のこなしで右足を振り上げ、金髪が右手に持っていたナイフに強烈な蹴りを繰り出した。
金髪の手から飛んだナイフが吹き飛び、事務所の外壁に当たって落ちた。
金髪が驚きと痛みで退くと、仲間の二人が同時に浦辺に迫った。
浦辺はまず、一人を背負投で地面に叩き付けると、もう一人の腹に後ろ蹴りを食らわせた。それでも、相手は顔を真っ赤にして浦辺の胸倉を掴んだ。
少しの間揉み合ったが、浦辺はすぐさま男の顎にフックを打ち込み、手を離した相手を突き放した。
距離を離すと俊敏な速さで体を回転させ、男の顔面に強烈な後ろ回し蹴りを見舞った。
男が体を回転させながら地面に倒れた。
背負投を食らった片割れが起き上がり、言葉にならない奇声を上げながら迫ってきたが、体をくねらせた浦辺がヒョイと避けると、勢いに任せて突っ込んだ男は石段に足元を取られ、無様につまづいた。
一瞬のうちに仲間をのされてしまった金髪は、尻もちをついたまま絶句している。
そんな金髪を浦辺は無視し、北村からショルダーバッグを受け取ると、今しがた目の前で起きた光景を呆然と眺めていたイザベラを促して早々とその場を去った。
二人を見送った後、北村は唖然とする金髪を見下ろし、
「言わんこっちゃない」
と、嘲笑してから事務所に戻った。