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第六部 決断

 浦辺は終始、無言でイザベラの話を聞いていた。

 助手の北村も、あまりに現実離れした内容のため眉をひそめながらだが、一言も横槍を入れることなく聞き耳を立てていた。本来、書き留めるはずの手帳に一文字も書き込めず。

「『授かった』と聞いたとき、僕はてっきり誰かから譲り受けたという意味で受け止めたんですが、まさかそういうことだったとは…」

 浦辺が信じられないという顔で言った。

「それで結局、グリフォン…『彼』はどうされたんですか?」

 北村の質問に、イザベラは無言で首を横に振った。

「そのローガンというハンターたちが現れてから、あなたの前に姿を現さなくなったんですね」

「その通りです。あの日の夜、『彼』の足跡を確認したとき、無事にあの男たちから逃げ延びたんだと安心したんですけれど、あれから一度も私の前に姿を見せてくれなくなってしまって…。今、何処にいてどうしているのかがまったく分からないんです」

「それで、僕に捜索の依頼をするためにここへ来た?」

 今度は首を縦に振り、

「私は『彼』と一緒になった末に、この子を産みました。でも、いつかこの子が孵ったとき、私一人で育てていくのは難しいと思っています。無事に成長を見守るためには、『彼』が一緒でなければならないんです。ですから、どうか捜索して頂けないでしょうか? お願いします」

 と、イザベラは深々と頭を下げた。

 浦辺は顎に手をやり悩んだ。

 ここまで日本人らしい形の整ったお辞儀をした外国人に、浦辺はこれまで出会ったことがなかった。恐らく、自分たちの元へ訪れた際に無礼がないよう、事前に日本特有の律儀な儀礼を覚えてきたのだと思われる。

 そう考えると、今聞いた非現実的なストーリーも、あながちウソとはいえないのではないのだろうか、と浦辺は思い始めた。

 そもそも、一人の探偵をからかうために卵だと称して不思議な模様を描き込んだ玉を用意したり、現実から乖離した作り話を用意したりするとはとても考えられない。…とは思っても、なにせその主人公が伝説の魔物と言われているグリフォンなのだから難しい。

 浦辺が悩んでいると、突然北村が肘で小突いた。

 北村の目の動きで意図を察した浦辺は、

「ちょっと失礼しますね」

 と断ってから、イザベラを残して隣の物置部屋へと移った。

 ドアを閉めると、北村が真顔で詰め寄った。

「浦辺さん、もしかして引き受けるべきかどうか悩んでます?」

「一応ね」

「僕は反対ですね」

「どうして?」

「冷静に考えれば当然でしょう? 彼女は恐らく空想癖の持ち主か、或いは自分が考え付いたファンタジックな作品を聞かせたがる作家かなにかに決まっていますよ」

「彼女の話は与太話だと?」

「だって、グリフォンですよ。実在しない生物ですよ」

 北村は隣室のイザベラに聞こえないよう努めて声を縮めているが、すぐそばにいる浦辺にはドア越しからも聞こえていそうな気がしヒヤヒヤした。

「仮に後者だとして、どうしてそんなことをしたがる?」

「簡単ですよ。作家に限らず承認欲求の強い人間というのは、自分が生み出した作品の存在価値を他者に理解してもらいたいあまり、無遠慮に自分の作品を吹聴したがるんです」

「彼女はそんな人間じゃないよ」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「一目見れば分かる。冗談を言って人をからかうような女性じゃないよ」

「じゃあ浦辺さんは、さっきの話を鵜呑みにするんですか?」

「そうは言ってない。だけど、あくまで彼女は人捜し…いや、グリフォン捜しの依頼人なんだ。その話に信憑性があるか否かはともかく、依頼されたのならそれを引き受ける。それが探偵の務めじゃないか?」

 北村は渋い顔をしつつもその通りです、と頷いた。

 浦辺はドアを少し開け、イザベラの様子を窺った。

 彼女は二人の前に披露したときと同じく、卵の艶やかな表面を優しく撫でていた。その表情は赤子を慈しむ母親のごとく母性に溢れていた。

 北村もそっと覗き込んだ。

「本当にグリフォンの卵なんでしょうか?」

「分からない」

「本当に彼女が産んだんでしょうか?」

「分からない」

「グリフォンは本当に実在するんですかね?」

「………」

「これも『分からない』ですか?」

「そうとしか言えないだろ? これまで引き受けてきた依頼とは訳が違う奇妙な内容なんだ。そう簡単に判断したり理解したりするなんで無理だよ」

 と、浦辺は言ってから、北村と一緒に物置部屋を出た。

 二人が元のソファに戻ると、イザベラは背筋を伸ばして構えた。

「最初に尋ねた質問に戻りますが、何故遠いイギリスからわざわざ日本へ来て、僕にグリフォンの捜索を依頼されたのですか?」

 と、浦辺がさっきから気になっていた質問を再度繰り出した。

 イザベラは最初に聞かれたときと同じく、また言葉を詰まらせてしまった。

 しかし、今度はすぐに口を開いた。

「私がお腹の痛みで寝込んでいるとき、それを誰にも知られてはならないような気持ちになりました」

「先ほどのお話でそうおっしゃっていましたね」

「それが一つ目の理由です。もし、現地の探偵に依頼をすれば、あの原野で起きたことがイヤでも知られてしまう可能性が高くなる。そう思って、なるべく遠い、できれば異国の人に頼むのが最適だと判断したわけです。二つ目は、たまたまこの記事を見たときです」

 と、イザベラは小物入れから、一枚の紙片を取り出した。

 現地で発行された新聞の一部を切り取ったものだった。

 覗き込んだ浦辺と北村が同時に「アッ」と声を上げた。

 現地で発行されたため、言うまでもなく英字で書かれておりどんな内容が書かれているかは分からなかったが、そこに載っている写真に写っているのは紛れもなく浦辺だった。

「…これ、ひょっとしてアムステルダムへ旅行に行ったときのアレじゃありませんか?」

 北村の指摘に、浦辺も記憶が甦ってきた。

 数年前、浦辺は休暇を利用して念願のヨーロッパ旅行に助手の北村と出発したのだが、現地を散策中にたまたま鉢合わせた盗人を浦辺が捕まえたことがあった。

 その際、旅行者の手柄ということで大袈裟なほど取り上げられ、二人は執拗に迫る記者たちから逃れるように日本へ帰国したのだ。新聞に掲載されている写真は、そのときに写したものだろう。

「あのときは参りましたよねぇ。しつこく追いかけて来る記者のせいで折角の旅行気分が台無しになるし、記者たちの相手を僕に無理やり押し付けて浦辺さんは一人で逃げようとするしーー」

「そもそも北村が盗人一人捕まえただけで騒いだのが切っ掛けじゃないか。だからあっちこっちから寄ってたかって人が集まって…おっと、失礼しました。世間話をしてる場合じゃない。…ところで、これが二つ目の理由ですか?」

 浦辺の問いにイザベラは頷き、

「父は私用でオーバンの町へ出かけては、時々新聞を購入していたんです。私もたまにですけど目を通していたんですが、ある日浦辺さんの記事を読んでいるときに、この子が激しく動いたのです」

「卵がですか?」

「そうです。うまく説明はできないのですが、この子がこう心の中で私に囁いたような錯覚がしたのです。『この人なら見付けてくれる』と」

 浦辺は思わず拍子抜けせざるを得なかったが、表情は崩さず真剣に彼女の言葉に耳を傾けていた。

 一方の北村は、露骨に苦笑いを浮かべながら髪の毛をポリポリとかいたが、すかさず浦辺に肘で小突かれ姿勢を正した。

「父の知り合いの協力を得て、写真に写っている男の方が日本で探偵事務所を経営している浦辺さんだと知りました。極力、現地の人に知られたくなかったという思いもあり、この人しかいない、と私もすぐ思いました。それに…」

「それに?」

「今日、ここへ来る途中でイヤな男たちに追い回され闇雲に走ったつもりが、不思議なことにこの事務所の前に辿り着いたんです。きっとこの子が、私をここへ導いてくれたんじゃないかと思って…」

 イザベラはグリフォンの卵をギュッと抱き締めた。

「………」

「浦辺さん?」

「引き受けましょう、この依頼」

 北村はビックリした顔で横の上司を見た。

「あ…ありがとうございます!」

 イザベラは玩具を与えられた子どものような無邪気を笑みを浮かべ、嬉しそうに頭を下げた。

 オーバーとも思える反応を見ると、断られる可能性が高いと思っていたのだろう。

 浦辺は腕時計を確認した。

 時刻は午後三時過ぎを示していた。

「この時間じゃロンドンのヒースロー空港までの航空便は出ていないなぁ…。今からじゃ深夜便の予約も難しいですから、申し訳ありませんが明日の便で出発しても構いませんかね?」

「私は構いません。無理な依頼を引き受けて頂けただけでも嬉しいので、これ以上贅沢を言うつもりはありませんわ」

「それを聞いて安心しました」

「ところで、費用はどのくらいでしょうか?」

「あぁ、費用の方は結構ですよ」

「えっ」

「実は僕、昔からイギリスに行ってみたかったんです。依頼が完了次第、自己負担で観光も兼ねて現地を散策するつもりなので費用はいりません。それより、イザベラさんが宿泊するホテルを確保しませんとね」

「………」

「どうしました?」

「あの…浦辺さんたちがよければですが、こちらでお泊まりになることは可能でしょうか?」

「事務所に、ですか?」

 北村はびっくりしたが、浦辺は事情を察した。

「先ほどおっしゃっていたイヤな男たちですね?」

「そうです。駅を出た大きな交差点を渡った途端に、いきなり声をかけられて無視をしたんですが、この子を落としそうになって思わず頬を叩いてしまったんです」

「あのスクランブル交差点か…。確かにあの辺りはタチの悪い輩がたむろしていますからね。浦辺さんの大嫌いな」

 北村が半笑いを浮かべて見てきたので浦辺はフンッと鼻を鳴らした。

「外にいる間、またあの人たちに出会ってしまったらと思うともう…。なにより、この子のことが心配で仕方がありません」

 と、イザベラは卵を見下ろした。

 浦辺は少し迷ってから、

「僕は一向に構いませんが、事務所に泊まり込むとなると無論僕とこっちの北村も一緒に寝泊まりするということになりますが、イザベラさんはそれでもいいんですか?」

 と、聞いた。

「はい。むしろ、独りだけじゃない方が安心できますので」

「なるほど、分かりました。では、そうしましょう」

「ありがとうございます」

 イザベラはまた、深々と頭を下げた。

 こうして、浦辺と北村は帰らずイザベラと共に事務所に泊まり込むことになったが、外国人とはいえ異性と同じ屋根の下で夜を過ごすと考えると、浦辺は思わずぎこちない気分にならざるを得なかった。

 一方、鈍感な北村は事も無げな様子であった。

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