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第五部 禁断の結晶

 ローガンという男が率いる狩猟団が、捜し求めている獲物をグリフォンと認識していないことにイザベラはひとまずホッとした。想像上の生き物なのだから当然と言えば当然ではあるが。

 しかし、正体を確かめるべくローガンたちが原野と森を行き来するようになったため、イザベラは普段のように森へ行くことができなくなってしまった。あの夜にロッジで味わった体験が未だ恐怖として残っており、極力出くわしたくなかったからだ。

 ノアもイザベラを独りでロッジに残すのが不安らしく、いつもより外出する頻度を減らした。

 イザベラはあくまで毅然と立ち向かう覚悟で構えていたが、いざ狩猟団が踏み込んできたときもそういられるかどうか自信はなかった。

 ロッジで落ち着きなく過ごしているときも、時折森の方から獣の咆哮を遥かに凌ぐ銃声が轟き、そのたびにイザベラは不安を募らせたが、

(『彼』は大丈夫。絶対に…)

 と、何度も自分に言い聞かせていた。しかし、そう信じることしかできなかった自分の無力さをイザベラは嘆いた。

 そんな生活が一ヶ月続いたある日のことだった。

 夕食を摂っているとき、突然イザベラが前屈みになった。

「どうしたんだ?」

「なんだか、お腹が痛い…」

「食あたりか?」

「違う。そんなんじゃーー」

 言い終わる前に、イザベラが椅子から床に倒れた。

 ノアが慌ててイザベラを抱き起こした。顔からは尋常じゃないほどの汗が流れており、額に手を当てるとかなり熱かった。

 一見すると風邪を引いたように見えなくもないのだが、ノアは只事ではないと焦った。

 苦しそうに息を吸ったり吐いたりするイザベラを抱えたノアは、彼女の部屋まで運びベッドにゆっくりと寝かせた。

「気分はどうだ?」

 イザベラは喘ぐだけで答えなかった。

「水を持ってくるからそれを飲みなさい。その後、わしが車で医者を呼んでくる」

 と、ノアが部屋から出ようとした。

 それを、イザベラが服を掴んで止めた。

「…ダメ」

「なにがダメなんだ。酷い顔色だぞ? 医者に診てもらわないと」

「それはダメ…」

「どうしてだっ」

 娘のためを想って言ったのだが、思わず口調が激しくなってしまった。

「分からない…。だけど、なんだか誰にも知られたらいけないような気がするの…。すぐに治ると思うからお願い…誰にもこのことは言わないで…」

 途切れ途切れだが、言葉の端々からイザベラの強い意志をノアは感じ取った。

 ノアは戸惑ったが、結局娘の気持ちを尊重し医者を呼ばないまま事を見守ることにした。

 その次の日も、症状に変化は現れなかった。

 前日の夕食後と同様、イザベラは今にも事切れそうなほど辛そうな様子で寝込み続けていた。

 ノアはやはり医者を呼ぶべきだ、と再三諭したが、イザベラの答えはノーだった。

 確かに、これまで経験したことのない異常な痛みだったが、何故か誰にも知られてはならないような気がしたのだ。どういう意味でそういう判断に思い至ったのか、イザベラ自身も分からなかった。

 しかし、その翌日の朝を迎えたとき、苦痛は唐突に去った。

 腹痛を訴えた二日後の朝、目を覚ましたイザベラはベッドから体を起こすと、お腹にそっと手を当てた。

 前日までの激痛がウソのようになくなり、元の体調へと戻っていた。

 イザベラはイザベラは大きく吐息した。

 あれは一体なんだったのだろう、という不思議な感覚に陥ってから、ノアの顔が脳裏に過った。

 心配させっぱなしだったことに気付いたイザベラは、迷惑をかけたことを謝りに行こうとベッドから立ち上がった、そのときだった。

 ゴトッ。

 床になにかが落ちる音がした。

 ドアノブを握ったイザベラの手が止まった。

 振り返って見下ろすと、奇妙な色をした得体の知らない丸い物体がコロコロと転がっていた。

 不思議な「それ」はゆっくりと壁に当たると、コツンッと音を立てて制止した。

(なにかしら、これ…?)

 イザベラは体を屈めると、恐る恐る「それ」を持ち上げた。

(…卵だわ)

 見たこともない奇妙な、しかし鮮やかな色で彩られた「それ」に触れた途端、イザベラは直感的にそう思った。

 よくある卵型の形状で、ツルツルした表面の手触りもまさに卵そのものだったが、大きさが普通の卵の数倍もある。

 イザベラはぼんやりと「それ」を見つめてから、そっと耳を当てた。

 ドクンッ、ドクンッ…。

 中でなにかが動いた。

 明らかに生命を持った生き物が、この中に存在する。しかし、その正体がハッキリしない。

 だが、イザベラは瞬時に悟った。

(まさか、私と『彼』の…?)

 信じられなかった。しかし、そうとしか考えられない。

 まさか、人間とグリフォンの間に新しい命が授かるとは…。

 遠い異国で、人がイルカや犬などの動物と結婚したという話を聞いたことがあるが、両者から子が産まれたとまでは聞いたことがない。いや、そもそもできるはずがないのだ。

(それなのに私は…)

 イザベラは愕然とした。

 さらに言えば、番の相手は実在するはずのない伝説のグリフォンである。

 この世に存在していたことだけでも信じ難いのに、あろうことかその空想上の生物と交わり、子を授かってしまったのだ。

 果たして、こんなことがあり得てよいのだろうか?

 混乱したイザベラは恐怖にかられ、卵をベッドの隅に置くとその場に座り込んで頭を抱えた。

 グリフォンとの遭遇、知らず知らずのうちに育まれた絆、そして卵。現実的に説明のつかない出来事が矢継ぎ早に発生し、頭の整理が追い付かなかった。

 ひたすら混乱し、無意識に怯えが生じる。

 壁にもたれながら身震いし、頭を抱えていたイザベラがふと顔を上げると、ベッドに乗っていた卵が勝手にコロコロと動いていた。

 アッと声を出す間もなく、卵がベッドから落ちた。

 反射的に体を起こしたイザベラが、それを受け取った。

 その瞬間、イザベラの心に『彼』と過ごした日々が浮かび上がった。

 森の散歩、空の旅、寄り添って眠った時間…。

 イザベラにとって「彼」は、もはや離れられない存在だった。

 その「彼」との間に産まれた新しい命が、今この卵の中に宿っている。

 イザベラは卵の表面にそっと手を触れ、ゆっくり撫でた。

 すると、中からか細い鳴き声が聞こえたような気がした。

 両手で抱くと、生命が存在することを示すかすかな温もりが彼女の手に伝わった。

 その卵が、不意に愛おしい存在に見え始めた。

(動いてる…ちゃんと生きてるんだわ…) 

 イザベラはフフッと微笑むと、今度は強く抱き締めた。

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