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第三十三部 手紙

 日本に帰国した浦辺は、これまでと変わらない生活を送りながら探偵業に再び精を入れていた。

 所長不在で依頼を諦めた客が数人いたと北村に言われたとき、浦辺は危機感を覚えたが幸いにも彼を慕う地元の人たちの評判もあって客足が減ることはなかった。久しぶりの母国に戻ってきたこともあり、付き合いの深い地元の人たちとの交流に浦辺は自然と安心感を覚えた。

 しかし、日本を発つ前に事務所前で三人組の輩を叩き伏せた噂がどういう経路か定かではないが広まり、暴力的な圧力による手助けをしてほしいという依頼まで舞い込んできた。そのほとんどが市外から来たガラの悪い男たちばかりだった。

 無論、浦辺は丁重に断ったが、依頼主は不服そうにグチグチと文句を垂れながら二度来るか、と捨て台詞を残したり、役立たずの探偵事務所などと吹聴してやる、などと吐いたりしたが、浦辺は別段気にも留めずにやり過ごした。三人組の輩もそうだが、こういう誰に対しても横柄な態度を示す人間を浦辺は心底嫌っていた。

 それはある経緯で彼の助手となった北村も同じで、威圧的な相手の態度に露骨な嫌悪感を示しながら「こっちから願い下げだ」と吐き捨てた。

 その他に、浦辺の知り合いで岐阜中警察署刑事課に所属する井崎警部が携わる事件に関わるケースも多々あった。極力、警察の仕事に首を突っ込んで邪魔者扱いされないように努めているのだが、たまたま井崎が指揮を執る事件になにかしらの切っ掛けで関与してしまうため、思惑通りにはいかなかった。

 たまにだが、浦辺の父親で殉職した浦辺義彦元警部を崇拝する井崎から浦辺に助けを求める場合もあった。事件の捜査が壁にぶつかり八方塞がりに陥ったときの切り札と捉えている井崎警部だったが、彼が時折見せるジョークによく笑わせてもらっているのと、興味深い事件ということもあり浦辺は進んで協力していた。だが、中署の現刑事課長で浦辺元警部の同僚だった袴田照行は心地好く思っておらず、事あるごとに井崎を叱責しては助け舟を出す浦辺に苦言を呈していた。浦辺には今や慣れっこなのだが。

 その井崎からある日、例の三人組の輩を浦辺の不在時に傷害容疑で逮捕したと教えられた。お礼参りを恐れていた北村はホッと安堵したが、浦辺はさほど驚かなかった。素行の悪さから似たような問題を起こして捕まるのも時間の問題だろう、と思っていたからだ。

 依頼人から舞い込んだ依頼の遂行と、井崎警部から助言を求められた事件の捜査を手助けする過程で、浦辺は危ない目にも何度か遭った。比較的簡単に解決した事件もあれば、真犯人が中々浮上せず難航を極めたり、追い詰められた犯人が自暴自棄になり自殺を図ろうとしたりした事件もあった。

 中でも浦辺が厄介に思うのが、犯人が人質を取ったときだった。

 浦辺は交渉がなにより苦手だった。なんとか人質を無事に救い出そうと必死になるあまり説得に熱が入り、一度犯人の逆鱗に触れ人質の命を危険にさらしてしまったことがあったからだ。幸い、そのときは井崎警部の助太刀で人質は救助され、犯人は浦辺の得意な空手で叩き伏せられたため一件落着した。

 そんな感じで、浦辺はイギリスに出発する前とまったく変わらない日々を過ごした。

 唯一普段と違うのは、航空便によってイザベラの手紙が送られてくることだった。

 少し歪んだ日本語で書かれた手紙には、ノアとの変わりない安定した生活の模様が記されていた。森で怪我を負った野生生物の保護と治療も継続しているようで、彼女たちも普段と変わらない平和な日常を送っているのが、手紙の内容から窺えた。

 英語がダメな浦辺は日本語で書いた手紙をイザベラ宛に送った。

互いに変わらない日常について記していたが、それでも二人にとっては楽しいひと時だった。

 イザベラは手紙の中でルミウスのことには一切触れなかったが、浦辺も同じく「彼」のことは触れなかった。手紙を読む限り、イザベラは元の幸せな毎日をノアと過ごしていると窺えるが、心の奥ではやはり元の世界に帰ったルミウスのことを想い続けているだろう、と思ったからだ。

 そんな彼女の気持ちを踏まえると、浦辺も気安く「彼」の話題は持ち出せなかった。

 半年が過ぎた頃になると、彼女たちの生活にも新たな変化が現れた。

 ノアはセバスチャンの伝手で肉体労働に勤しみ、イザベラはオーバンの酒場で看板娘として働き始めたという。

 牧場を売りに出したときに得た資金がいずれ無くなる前に安定した生活を維持させるためもあるが、なによりもう子どもではない大人の自分を磨いていきたいから、というイザベラの強い意志が手紙に綴られていた。

 心なしか、手紙の筆跡も大人びたように浦辺は感じた。

 なにより浦辺が嬉しかったのは、イザベラがもう一度会いたいと書いてくれたことだった。

 浦辺も同じ気持ちだと記すと、イザベラは今どきの若い女性らしいお茶目な文章で書き記し、文字一杯に喜びの感情を表した。大人のようで子どものような彼女の可愛らしい一面に浦辺は表情をほころばせた。

 そして、イザベラたちとの別れから一年が経過した。

 勤務先から家路に向かう車やサラリーマンの姿で溢れる夕暮れ時に、仕事を終えた浦辺も事務所へと帰った。

 事務所に入る前に郵便受けを覗き、一通の手紙を確認した。

 浦辺はそれを手に取り中へ入った。

「お疲れ様です。事件はどうでしたか?」

「犯人は捕まったよ。意外な人だったな」

「誰です?」

「後で詳しく教えるよ」

「手紙、来てましたか?」

「ちゃんとね」

 と、浦辺は大事そうに持っていた手紙を見せた。

「そろそろ、あるんじゃありませんか?」

 と、北村がからかうように言った。

「なにが?」

「浦辺さんへの告白ですよ」

「バカ。彼女にはね、僕よりも相応しい相手がいるんだよ」

「だけど、その『彼』は元の世界へ戻ったんでしょう? となると、彼女もいつまでも幻想に浸っているわけにもいかないんじゃないですかね」

「それぐらい彼女も分かっているさ」

「…それにしても、グリフォンが実在していたなんて未だに信じられませんね。もしかすると、存在しないと僕たちが思い込んでいる生物も、本当は実在しているかもしれないわけですよね」

「あり得るだろうね」

「どうでした?」

「なにが?」

「グリフォンに触れたんでしょう? そのときの感想ですよ」

「またかよ。一年前も同じ質問をして答えてやったろう?」

「そうでしたっけ?」

「ああ。『感激し過ぎてハッキリ覚えてない』って」

「そういえば聞いたよな…。僕も触ってみたかったなぁ」

 と、北村はハーッとため息を吐いた。

 当初、イザベラの話を聞いた北村は彼女の話を空想と一笑に付して一切信じていなかったのだが、浦辺がスコットランドの原野で体験した出来事を語りつつルミウスから受け取った羽根を見せた途端、驚愕しながらも素直に信じることとなり、今ではドラゴンや人魚までも実在していると信じていた。

「そういえば、こんなのがありましたよね。二人の姉妹が本物の妖精に出会った瞬間を撮った写真にまつわる事件が」

「コティングリー妖精事件?」

「そうそう、それ」

「百年以上前の話だし、結局あれは撮影した姉妹の捏造として片付いたじゃないか」

「でも、ファンタジックで夢のような話じゃありませんか」

「北村がそんなロマンチストだったとはな」

 と、浦辺は笑いながらお茶を淹れた。

 その際、壁に掛けられた縦長の額縁に目をやった。

 そこには、ルミウスが自らの翼から抜いた羽根が収められていた。

 これを飾って以降、心なしか事務所に自然の香りが漂い始めたような気がし、浦辺だけでなく北村も大いに気に入っていた。

 訪れる依頼者が何処で手に入れたかとまれに尋ねるが、浦辺は貰い物でしてね、とその都度誤魔化した。あながち間違ってはいないのだが。

 お茶の入った湯飲み茶碗を置いて椅子に座ると、浦辺は封を切って手紙を取り出した。

 浦辺が静かに手紙を読んでいる間、北村は資料が乱雑に並んだ棚の整理をした。

 何気なくチラッと浦辺を一瞥した北村が「おや?」と眉をひそめた。

「どうしました?」

「…ん? ああ、ちょっとね」

「顔が嬉しそうですよ」

「うるさい」

「なにが書いてあるんですか? …あっ、もしかしてーー」

「言っておくけど告白じゃないぞ」

「じゃあなにが書いてあるんですか?」

「なんでもいいだろ」

「じゃあ見せて下さい」

「やだね」

「気になるじゃないッスか」

「それより、丁度夕飯の時間だからこれから外へ食いに行こう。手紙のことを詮索しないなら、北村の好きな所で食事してもいいぞ。僕が奢るから」

「マジですかっ。…いやいやいや、なんで急に? 怪しいな…」

 と、怪訝な顔を浮かべる北村に浦辺は苦笑を浮かべ、

「疑り深いヤツだな。ただ、今とても気分がいいだけだ。早く行こうぜ」

 と、促して事務所を出た。

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