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第三十二部 もう一つの別れ

 ルミウスとの別れから二日後。

 ノアの運転するジープがエジンバラ空港に到着した。

 ジープを停めたノアが車から降りると、乗っていたイザベラと浦辺も降りた。

「ありがとうございました」

 と、浦辺がノアに頭を下げた。

「本当にここまででいいのか? わざわざエジンバラでなくても、ヒースロー空港まで送り届けてもわしは一向に構わなかったんだが」

「それだと距離的に八時間近くも運転をお願いしてしまうことになってしまいますよ。さすがにそれは申し訳ありませんからね」

「最後まで謙虚な男だな、あんたは」

 と、ノアは愉快そうにワハハッと笑った。

 浦辺も釣られて笑った。

 それから、浮かない顔で俯いているイザベラを見た。

 ルミウスが元の世界へ戻った日の夕方頃、国際電話を通じて浦辺のスマホに日本の北村から電話が入った。

 所長の浦辺が不在の間に数件の依頼が事務所に舞い込んだが、所長が留守と知るや否や依頼者たちは諦めて引き上げたというのだ。

「君一人で済む案件じゃなかったのか?」

 と、浦辺が聞くと北村は露骨に不機嫌そうな声で、

「それが、どうしても浦辺さんじゃなきゃダメだと言うんですよ。失礼ですよね? 僕だってれっきとした事務所の職員なのに、揃いも揃ってやたら蔑ろ扱いするんですから。とにかく、このままだと商売に差し支えますから、そろそろ帰国してもらわないと…」

 と、言ったのだ。

 浦辺も数日事務所を空きにしていた不安も少なからずあったため、その日のうちに日本行の航空券を予約しておいたのだ。急なことだから混んでいる可能性も覚悟したが、予想に反し席ががら空きだったため助かった。

「しかし、寂しくなるな。いつも親子二人で静かに暮らしていたからか、あんたがいただけでも随分楽しかったよ。また暇が出来たらロッジへ来なさい」

「ノアさんもぜひ日本にいらして下さい。日本の歴史的な観光地を案内出来る時間の余裕ぐらいはありますから」

「それは楽しみだな」

 と言い、ノアは豪快に浦辺の背中をバシバシ叩いた。

 一方のイザベラは浦辺が帰国すると知ってから、ずっと沈んだ顔を浮かべていた。恐らく、ルミウスとの別れが重なったのもあるのだろう。

「いつまで浮かない顔をしているんだ。見送りぐらい清々しくしたらどうだ?」

 と、ノアに叱咤されてもイザベラは相変わらず地面を見下ろしていた。

 そんなイザベラに浦辺は向かい合い、

「イザベラさん。『彼』に言った言葉をもうお忘れですか? 妻であり一人の女性だから寂しくはない、と。あなたはまだ二十代半ばで僕よりも年下だけど、子を持つ立派な母親であり大人の女性に間違いありません。あなたは『彼』との別れを恐れていたが、最後にはそれを乗り越えた。その強い気持ちを忘れてはいけませんよ」

 と、優しい口調で言った。

 浦辺の言葉を聞いていたイザベラが顔を上げた。

 ノアがやれやれという感じで頭を撫でた。

 イザベラは暗かった表情を微笑に変えると、いきなり浦辺に抱き付いた。

 カーッと浦辺の顔が赤くなった。日本での挨拶はもっぱら握手で通してきた浦辺は、女性から大胆に抱き付かれるという初体験に困惑した。

 イザベラの抱き締める力が強まると、何気に豊かな彼女の胸がより一層密着し浦辺は益々顔を赤らめた。

 二人の横ではノアが朗らかな表情でその様子を見ていた。

 イザベラは離れるとからかうようにクスッとした。

「浦辺さんの顔、真っ赤だわ」

「そ、そう?」

「今にも湯気が立ちそう」

「急なことでビックリしたからね…」

「私たちは親しい人に対して友情や愛情表現を表すときにハグをするんです。浦辺さんの住む日本ではあまりなさらないんですか?」

「まあ…。露骨にやったらセクハラになりますからね」

「私には遠慮なさらなくていいんですよ」

 と、イザベラは笑顔で言ってから、

「浦辺さんのことは絶対に忘れません。昔から父の他に親しい付き合いをした人がいなかった私にとって、浦辺さんは大切な人ですから」

 と、真剣な眼差しで言った。

 探偵業を初めて以来、彼女のような清らかな心を持った女性や性根の腐った悪女にも数多く出会い、誰もが印象深い存在を残していた。しかし、今ではおぼろげな記憶となっている者もいる。

 しかし、今回関わった事件が非現実的な内容を含んでいる要素も含め、恐らくイザベラとの出会いは自分も一生忘れない思い出として残るだろう、と浦辺は思った。

「ありがとう、イザベラさん」

「こちらこそ、本当にありがとうございました」

 と、イザベラは浦辺の手を取りギュッと握った。

 ノアとも握手を交わした浦辺は二人に会釈し、空港に向かって歩こうとした。

「…あっ、浦辺さん!」

 唐突にイザベラに呼び止められ振り返った。

「私、浦辺さんに手紙を書いて送ろうかと思ってます。構いませんか?」

 と、遠慮がちに尋ねるイザベラに浦辺は笑顔を向け、

「楽しみに待っていますよ。僕も時間を見て書きます」

 と、言った。

 それから無邪気な子どものように手を振るイザベラに浦辺も手を振り返してから、人混みの中へと消えて行った。

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