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第三十一部 涙の別れ

 翌朝、浦辺は誰かに体を揺すられて目を覚ました。

 起き上がると、すぐかたわらにイザベラが立っていた。

「おはようございます、浦辺さん。起こしてしまってすみません」

「おはようございます。構いませんが、どうされましたか?」

「…外へ来て頂けませんか?」

 と言うなり、イザベラはロッジの外へと出た。

 まだ寝惚けている浦辺は意味が分からなかったが、眠そうな目をこするとソファから起き上がりロッジから出た。

 腕時計の針は午前六時過ぎを示していた。

 日の出からまもない原野には、朝の訪れを示す鳥のさえずりが心地好い音色を奏でていた。が、浦辺の耳に聞こえたのはそれだけではなかった。

 聞き覚えのある咆哮が森の方から聞こえたのだ。

 完全に目を覚ました浦辺は耳をすませた。

「この鳴き声…。ひょっとして?」

「そうです。『彼』が呼んでいるんです」

「ということは…」

「…はい」

 イザベラは胸の前でギュッと拳を握りながら頷いた。

 とうとうこのときが訪れたのである。

「…浦辺さん、私と一緒に森へ行って頂けませんか?」

「僕もですか?」

「はい。どうしても、『彼』に浦辺さんのことを紹介したいんです」

 と、イザベラは言った。

 浦辺は困惑したが、彼女がそう頼んだ以上なにか理由があってのことに違いないと思い、一緒に行くことに決めた。

 森へ入り、そよ風が吹く森の中を進んでいるとかつて浦辺が足止めを食らったあの場所に辿り着いた。

 浦辺は唖然とした。以前、立ち塞がるように並んでいた木が無くなり、本来行き止まりだった場所に一本の道が続いていたからだった。

「浦辺さんがグリフォンを信じているという証拠ですね」

 と、イザベラが嬉しそうに言った。

 驚嘆した浦辺は言葉を発せないまま、イザベラとともにオアシスへと続く道を進んだ。

 早朝にも関わらず薄暗い道を進む二人の視線の先に、朝の陽光が射し込むオアシスが目に入った。

 オアシスに足を踏み入れたとき、イザベラの後ろにいた浦辺はゴクリと生唾を飲んだ。

 燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光に浴びたグリフォンであるルミウスが、神々しい存在感を放ちながら待ち構えていたからだ。

 神秘的なオーラを放ちつつ厳かな佇まいを一切崩さない「彼」の姿に、浦辺は自然と緊張してしまった。

 ルミウスのそばにある巣には、ちょこんとイザベラたちの子である卵が置かれていた。

〈来てくれたね、イザベラ〉

「ええ、もちろん」

〈…正直、君は私との別れを恐れて来てくれないのではないかと不安だった。昨日、君が私に見せた悲しみに満ちた顔が、今でも脳裏に焼き付いていて離れない。どれほどのショックを与えてしまったかと思えば思うほど、胸が締め付けられる気持ちに陥ってしまった。本当にすまない〉

「あなたはなにも間違っていないんだから謝らないで。謝るのはむしろ私の方。あなたと子どもとの別れが辛いあまり、最後の一日を一緒に過ごすのを拒んでしまった。私の心が弱いばかりに…ごめんなさい」

 イザベラはルミウスに近寄り、ゆっくりと『彼』に頬を寄せた。

 心の弱さから身勝手な行動を起こしたために、ルミウスに寂しく哀しい想いをさせてしまったか…。

 そう後悔しているイザベラが示した正真正銘の謝意だった。

 悲壮感を抱きながらイザベラの後ろ姿を見届けたルミウスは、彼女の誠意に満ちた姿勢を見て胸が熱くなった。しかし、露骨な気持ちを表に出すのも照れ臭かったので、「彼」はいつものようにフッとクールに笑って健気な妻を見つめた。以前にも増して人間臭くなった自分に対する嘲笑の意味も含めて。

 ルミウスの視線が浦辺に向けられた。

 浦辺は思わず身を強張らせた。

〈彼は…確かウラベという名前の?〉

「ええ。あなたが勇者と称えた浦辺さんよ」

「勇者?」

「そうですよ」

 イザベラはクスッとした。

 ルミウスが浦辺に歩み寄った。

 浦辺が反射的に後退ると、

「怖がることはありません。『彼』は浦辺さんにお礼が言いたいんです」

 と、イザベラが安心させるように言った。

 その言葉で足を止めた浦辺に、ルミウスはゆっくりと顔を近付けた。

 通常のハクトウワシよりも遥かに大きな顔から伸びた黄色い立派な嘴が目の前に迫り、鋭い眼光を放つ猛禽類特有の瞳に見つめられた浦辺は体を硬直させた。

 少しして、ルミウスは一歩身を引いた。

〈異世界の勇者、ウラベよ。我が妻、イザベラと私たちの子を命懸けで守り抜いたお礼を込めて、貴殿に心から感謝を申し上げる〉

 男性的だが、透き通るような美しい響きを備えた女性的な声が脳内で突然聞こえ、浦辺は驚いた。

「今のは…」

「『彼』が浦辺さんの心に語りかけたんです。ルミウスは直接会話が出来ないので、私にも常に心を通じて話をするんです」

 と、イザベラは言った。

「驚いたなぁ。でも、勇者はちょっと大袈裟のような…」

 と、浦辺が頭をかくとイザベラはフフッと笑った。彼が予想通りの反応を示したからだ。

「………」

「浦辺さん?」

「いえ…。あのときのお礼が言いたいんですが、どう声をかけたらいいのか迷ってしまって」

 と、浦辺が困り顔で言った途端、目の前でルミウスがゆっくりと頭を下げた。

「彼」の意図を察したイザベラが、

「頬に触れてみて下さい」

 と、浦辺に言った。

 浦辺は最初躊躇したが、意を決すると恐る恐るだがルミウスの頬に手を伸ばした。

 暖かい温もりを掌に感じた瞬間、目を閉じたルミウスがもっと撫でられるのを望んでいるかのように首を傾けた。

 本来、この世に存在するはずのないグリフォンに触れているという体験に浦辺は内心で感動すると同時に、胸の奥から優しい気持ちが込み上げ、自然と笑みがこぼれた。

 浦辺が手を下ろすと、ルミウスがイザベラに頷いた。

「浦辺さんの気持ちはしっかりと『彼』に届いたようです」

「本当ですか?」

「ええ。『彼』はそう感じたとおっしゃっています。ね?」

〈ああ、感じたさ。他者への感謝の気持ちを常に忘れない心がけをしているとても義理堅い勇者じゃないか。ありがとう、イザベラ。この世界を発つ前に、君と同じ純粋無垢で穢れのない人間と出会う機会を与えてくれて。君が言った通り人間に対する我々の認識に偏見が含まれていたことが、今になってようやく気付いたよ〉

「言ったでしょう? そうなるのを私は願っているって」

〈ああ、そうだったね〉

 ルミウスは、イザベラと出会って間もない頃に森でした会話を回顧した。

 破壊的欲求を満たすために悲劇的な戦争を繰り返す人間たちを愚かな人種と見なし続けていた自分に、イザベラは全ての人間がそうではないと反論した。そして、ルミウスはこの世界を発つ前に彼女のいう人間に出会ってみたいものだと言った。

 あのとき、ルミウスはイザベラの心を傷付けないつもりでそう言ったため、実際のところ彼女のいう人間など存在するはずがないと思っていた。

 しかし、彼女は確かにここへ連れてきた。

〈正義を貫くという信念を持つあまり、見境のない戦争を勃発させ甚大な被害と悲劇を生み出す人間たちとは違い、彼は一個人として君と君の父親、そして私たちの子どもを守ってくれた〉

「あなたの言う通り、浦辺さんは私たちの勇者よ。でも、この世界の何処かにも浦辺さんと同じような人が確かに存在するの。それを知ったとき、あなたたちグリフォン一族が人間に抱く誤解はきっと解けるはず。私はそう信じているわ」

 イザベラの言葉にルミウスが頷いたときだった。

 オアシスの池が突然さざなみ始め、ルミウスがイザベラたちを呼んだときに放った咆哮に似た鳴き声が、水面の揺れと同時に聞こえた。

〈長と仲間たちが呼んでいる。そろそろ行かなくては〉

 懐かしい仲間たちとの再会が目前に迫ったルミウスの表情は嬉しそうだが、かすかに哀愁を帯びているかと思えば動かずにじっと体を固めてしまった。

 長の言葉通り、里の戦争で傷を負った仲間たちを労うために元の世界へ戻らなければならない、とルミウスは自分に言い聞かせる一方で、これがイザベラと最後の別れになると分かってもいるため、自然と「彼」の心に躊躇いが生じてしまったのだ。

 ルミウスが中々動かずにいると、「彼」の帰りを待ちわびている仲間たちの鳴き声が一層強くオアシスに轟いた。

 そんなとき、巣に置かれた卵を抱えたイザベラがルミウスの前に出た。

 イザベラは、最後の別れを惜しむように寂しそうな表情で卵に頬ずりしてからルミウスを見上げた。

「お願いがあるの。私はこの子の母親だけど、あなたたちの世界へは行けない。だから、この子が無事に孵ったらあなたのような力強くて凛々しいグリフォンに成長するまで、しっかりと面倒を看てあげてほしいの。それが妻である私が夫のあなたに送る最後の言葉よ」

 と、イザベラはルミウスの目をじっと見つめて言った。

 昨日のイザベラは、我が子との別れを頑なに拒んで不貞腐れた子どものように駄々をこねたが、今目の前にいる彼女の瞳にはそんな無邪気で甘えん坊な子どもではなく、一人の母親としての並々ならぬ強さを秘めた光が輝いているのをルミウスは捉えた。

 彼女の言葉で、ルミウスは優柔不断な自分の背中をイザベラが押してくれたような気持ちになり、胸の奥が熱くなった。

 誓いを結んだ男女の絆がいかに脆いものかを、異世界の人間たちの生活を見てきたルミウスは理解していた。それは、互いの距離が離れれば離れるほど拍車をかける。

 しかし、例え異なる世界の者同士でこれから生きようと、イザベラとの間に築かれた絆は決して断ち切ることはないだろう、とルミウスは確信を持った。

 ルミウスは震える心を悟られないようフッと笑うと、イザベラの額に自分の額を当てた。

〈君の血を引く特別な存在に恥じないよう、必ず一人前の立派なグリフォンに成長を遂げるまで育てるとも。約束する〉

 と、ルミウスが言ったとき、一粒の雫が卵に落ちた。

 卵の表面を伝う雫を見たイザベラはドキッとした。

 常にクールで気高いが、仲間たちから厚い支持と尊敬の念を抱かれる異世界での活躍ぶりを決して誇示しない紳士的な一面を持つルミウスが、イザベラの前で初めて見せた涙であり、彼が生涯で初めて泣いた瞬間でもあった。

「ありがとう。…最後に聞かせてほしいの」

 イザベラが額を当てたままつぶやいた。

〈言ってごらん〉

「…私を愛してる?」

〈もちろん、愛しているさ。これからもずっと…〉

「嬉しい…。私もずっとあなたを愛しているわ」

 イザベラは目を閉じ微笑んだ。

 その瞳から涙が零れ、卵に落ちた。

 涙を拭ったイザベラがルミウスに卵を託すと、「彼」は大きな翼を広げ器用に包み込んだ。

 それから、じっと見守っていた浦辺に体を向け、

〈異世界の勇者、ウラベよ。貴殿は信頼の置ける人間の一人として、永遠に私の記憶に残るだろう。我が妻と子どもを救ったお礼と信頼の証を込めて、これを授ける〉

 と、ルミウスはもう片方の翼から一本の羽を嘴で抜くと、それを浦辺に差し出した。

 羽根ペンのような大きさのそれは、鳥類に詳しくない浦辺でさえ見惚れてしまうほど美しかった。

「ありがとうございます」

 浦辺は会釈をしてから受け取った。

〈彼にはこれからもぜひ、君を守る騎士としてそばにいてもらいたいものだ〉

「それはちょっと難しいわね。浦辺さんはここから遥か遠い日本という国からいらっしゃったもの」

〈ニホン…。それが彼の故郷なのか?〉

「ええ、浦辺さんが生まれ育った遠い異国よ」

〈…寂しくはならないか?〉

 ルミウスが心配そうに聞くと、イザベラは首を左右に振った。

「私はあなたの妻であると同時に大人の女性よ? 寂しくなんてないわ。それに、父も一緒にいるもの。だから、あなたはなにも心配しないで早く仲間の元へ戻ってあげて」

 ルミウスは頷くと、卵を翼で包んだまま池の方へ進んだ。

 前足を水に浸けたとき、イザベラに振り返った。

〈ありがとう、イザベラ。君と出会えて私は幸せだった〉

 その言葉を最後に、ルミウスはゆっくりと池の中へと沈んでいった。

 水面のさざなみが収まるとさっきまで聞こえていた咆哮も聞こえなくなり、やがて静寂だけが漂う元のオアシスに戻った。

「…浦辺さん」

 イザベラがポツリと言った。

「はい」

「『彼』は…ルミウスは本当に私と出会えて幸せだったんでしょうか?」

「何故そう思うんです?」

「もし私と出会わなければ、こんな辛いお別れをすることもなかったわけですから。ルミウスは幸せだったと言ってくれましたが…」

「『彼』はそう言ったんですか?」

「はい」

「でしたら、『彼』のその言葉を信じてあげましょう」

 と、浦辺は笑顔で言った。

「…はい。そうですね」

 ぼんやりと池を眺めていたイザベラは、涙こそ流したものの明るい表情で頷いた。

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