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第二十八部 揺らぎ

 きらめく太陽の光が射し込む森のオアシスで、鳥のさえずりを聞きながら「彼」は目を覚ました。

 眠気を覚ますように首を振ってから、自身に寄り添いながら眠るイザベラを見た。

 翼に覆われたイザベラはスースーと可愛らしい寝息を立てていた。長いブロンドの髪が太陽に光を浴びて美しく輝いていた。

 イザベラの寝顔を眺めていると自然と温かい気持ちになったが、すぐに「彼」は厳しい表情を浮かべた。昨夜の葛藤が再び甦ったからだ。

(いつまでも悩んでいる暇はない)

 と、「彼」は内心で自分に言い聞かせた。

 そのとき、オアシスの池が突然さざなみ始めた。

「彼」がハッと池の方を見た。

 さざなみを立てる池の中から、一体のグリフォンが姿を現した。

 水中から現れたにも関わらずその体は水気を含んでおらず、一滴の水滴を滴らせることなくグリフォンはゆっくりと地面に足を着いた。

〈長!〉

「彼」は目を大きく見開いて叫んだ。

 グリフォン一族を束ねる長の突然の訪問に驚いた「彼」が、とっさに身を起こそうとしたのを長が翼を広げて制した。

〈そのままでいい、ルミウス。彼女に私の姿を見られてはマズい〉

〈あっ…〉

 頭を下げた「彼」…ルミウスは畳もうとした翼で再びイザベラを優しく覆った。

〈どうやら、無事に産まれたようだな〉

 と、長は巣に置かれた卵に視線を移した。

〈はい。彼女と産まれた子がともに無事なのは、神がお守り下さったおかげだと思っています〉

〈人とグリフォンが交わり子を成したという話を、私はこれまで一度も耳にしたことがない。しかも、彼女はこちらの世界の人間。異世界で、かつ異種族の者同士の交配は危険を伴うものと思われていたが、母子ともに無事なところを見ると、確かに神がお前たちに加護をもたらしてくれたのだろう〉

〈はい〉

 と、ルミウスは言った後に顔を俯かせた。

〈どうした? 元気がなさそうだが〉

〈…長、昨日は申し訳ありませんでした〉

 ルミウスの言葉の意味をすぐに察せず首を傾げた長はややあってから、

〈あのことか。済んだことだ、気にするな〉

〈いえ、そんなわけにはいきません。私が無思慮だったばかりに、長と仲間たちに迷惑をかけてしまいました〉

〈お前は昔から仲間想いだな。心配はするな、彼らも事情をくみ取ってくれた〉

〈…今、里はどんな状況ですか? まさか、また負傷した仲間がーー〉

〈まあ、落ち着きなさい。実は、それに関してお前に報告があって私はここへ来たのだ〉

〈報告、ですか?〉

〈戦争が終結したのだ〉

〈本当ですかっ〉

 と、驚くルミウスに長は頷いた。

 故郷であるグリフォンの里の自然を破壊し、多くの魔物や群れの仲間たちを苦しめた憎むべき戦争がようやく終息を迎えた…。

 ルミウスはホッと安堵の息を吐いて喜んだが、すぐにその表情は曇ってしまった。

〈悪夢のような戦争が終わりを告げたのは喜ばしいことだが、お前の気持ちを考慮するといささか心苦しいのも事実だ。しかし、先祖の代から伝わってきた掟に逆らってはならないことは、お前も重々承知しているだろう?〉

〈もちろんです〉

〈では、私と一緒に元の世界へ戻ろう〉

〈しかし…〉

 と、ルミウスは切なげな眼差しでイザベラを見た。

 ルミウスたちグリフォン一族の間では、彼らの世界とは異なる別の世界の人間とは絶対に関わってはならず、もしそれを破り異世界の人間と交流を持ってしまった場合、二度とその世界に足を踏み入れてはならないという掟が存在する。

 先祖代々から伝わるこの掟は絶対であり、イザベラと出会ってしまったルミウスは自分が掟通り、二度とこの世界へ訪れられない立場であるのをしっかり理解していた。

 しかし、彼女との間に禁断の愛が芽生え、その結果子どもが産まれてしまった。

 生まれて初めて、一頭のオスとして守らなければならない存在が出来てしまったルミウスは、掟に従順すべきかどうかで深く悩んでいた。

 長が小さなため息を吐いた。

〈お前が悩むのも仕方がないだろう。愛する家族と離ればなれになることがいかに辛い選択か、私も充分理解している〉

〈長もそう思われるでしょう? それでしたらーー〉

〈ダメだ〉

 長が間髪を入れず言い放った。

 ルミウスは悔しそうに目を閉じうなだれた。

〈お前にとっては残酷な通告になるが、戦争が終わりこの場所にとどまる理由が無くなった以上、私と一緒に元の世界へ戻るのだ。そして、二度とこの世界へ訪れてはならない。無論、その女性との逢瀬も今日が最後になるだろう〉

〈私たちの子はどうされるおつもりですか?〉

〈当然ながら、我々と一緒に元の世界へ連れて行く。いわずとも分かっているだろうが、その卵には人間ではなく我々と同じグリフォンの姿をした赤子が宿っている。無論、グリフォンが存在しないこの世界で孵化させるわけにはいかない〉

〈しかし、そうなるとイザベラはどうなるんです? 彼女は母として献身的にこの子を守り続けてきたのです。連れて行くと知ったら彼女はきっとーー〉

 と、必死に説得を試みるルミウスを長がキッと睨んだ。

〈先ほどから聞いていれば、お前は我々や里のことよりも彼女の気持ちを案じているように捉えられるぞ〉

〈………〉

〈家族との別れがいかに辛い選択なのか、私も理解していると言っただろう。しかし、里の掟は絶対なのだ。どんな理由があるにせよ、叛くことは許されない。そろそろそれを弁えるのだ〉

〈…分かりました〉

 苦渋の決断を迫られたルミウスはうなだれたまま、しかしハッキリと長に聞こえるように返事をした。

 言い過ぎたと思ったのか、長は語調を和らげて言った。

〈一族の者もお前に会いたがっている。お前の事情をくみ取った彼らも必死に戦ったが、深手を負った者も大勢いる。戻って、労ってやってほしい。だから、今は彼らのことを想ってやってくれ〉

〈…イザベラと少し話をした後でもよろしいでしょうか?〉

 と、ルミウスが聞いた。

 長は少し考えてから、

〈いいだろう。しっかりと彼女に事情を説明し、納得してもらいなさい〉

〈はい、分かりました。…あの、長。愚問ですが、私はやはり里を追放される身になるのでしょうか?〉

〈…当然だ。実は、私の跡を継ぐ者としてお前に期待をかけていたためにとても辛いのだ。だが、この世界の人間と結ばれた以上は里にとどまらせておくわけにはいかない。我々がなにより重んじる掟を破る以上の過ちを犯してしまった者を里にとどまらせておけば、我らグリフォンが守り抜いた里の秩序はもちろん、魔物たちの身も危なくなる可能性がある。そのためにも、気の毒だが里からは出て行ってもらう。よいな?〉

〈分かりました…〉

 長は頷き、先ほど現れた池の方へと体の向きを変えた。

 前足を水に沈めたとき、足を止めた長が小さくため息を吐いた。

〈明日の朝〉

〈えっ〉

〈明日の朝までは、ここにとどまることを許そう。今日一日は彼女と子どものそばにいて支えてあげなさい〉

 と、長が言った。

 ルミウスは感極まったが、ゆっくりと深くお辞儀し、

〈お心遣い感謝します、長〉

 と、言った。

 長はなにも言わないまま、池の中へと体を沈めていった。

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