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第二十七部 「彼」の悩み

〈来ると思っていたよ〉

 と、「彼」は現れたイザベラに言った。改めて聞くと、水のように透き通り風のように爽やかな響きを備えた綺麗な声だった。

 イザベラは微笑んでから、彼のそばに座り巣の卵を持ち上げた。

「浦辺さんがあなたにお礼を言いたいとおっしゃっていたわ」

 少しの間があってからイザベラは口を開いた。

〈ウラベ…。君たちを救った例の黒い髪をした勇者のことだね〉

 と、「彼」が言うとイザベラはクスッと笑った。

〈どうして笑うんだ? この世界には、我々の世界にいるような勇者は存在しないのか?〉

「あなたの言っているような勇者は恐らくいないわね。だから、聞き慣れなくてつい笑っちゃったの。…でも、私たちのことを命懸けで助けてくれた浦辺さんは、確かに勇者かもしれないわね」

〈私が見てきた勇者たちは誰もが剣や弓、そして魔術を駆使する者たちばかりだが、彼はそれらを一切使わず素手のみで敵に立ち向かった。武器を使わず己の肉体のみであれほどの戦力を発揮した人間を、私はこれまで見たことがない。彼はまさしく勇者だよ〉

「浦辺さんが聞いたら照れるわね」

 と、イザベラが微笑みを浮かべながら言った。

 そんな彼女を見た「彼」が、

〈君は、そのウラベという勇者を心底信頼しているようだね〉

 と、言った。

「ええ、信頼しているわ。初めてあなたの話をしたとき、浦辺さんは中々信じてくれなかったけど、最後には信じてくれた。父と私、そして卵を守るために闘ってもくれた。それに、この子は始めから浦辺さんを信じていたような気がするの」

 と、イザベラは抱いている卵を見下ろした。

〈それは何故?〉

「浦辺さんの所へ向かうとき、私はとても怖い男たちに追われていたの。卵を守ろうと必死だった私は、見ず知らずの土地をひたすら走って逃げたわ。でも、不思議なことに浦辺さんがいる場所に辿り着くことが出来たの。そのとき、私はこの子が浦辺さんの所まで私を導いてくれたんじゃないかと思ったけど、今ではそうに違いないと信じているわ」

 と、イザベラは優しく卵の表面を撫でた。

〈ならば、私からも彼に言わなければならないな。大切な者を守ってくれたお礼を…〉

「フフッ、そうね」

 と、イザベラは微笑んでから卵に頬を寄せた。

 そんな彼女の様子を「彼」は愛おしそうに見つめた。

〈君はまさに聖母だ〉

「聖母?」

〈私にはそう見えているよ〉

「…私の母の話はしたかしら?」

〈聞いたよ。君と父親を残していなくなってしまったのだろう?〉

 イザベラは頷き、

「私ね、将来母親になったらこうはならないって誓ったの。父とは生涯を一緒に過ごすと約束したのに、性格が合わないというだけで簡単に私たちを捨てていった母みたいにはならないってね」

〈初めて君からその話を聞いたとき、私たちが暮らす世界の人間たちのことを思い浮かべたよ。我々の世界でも、伴侶として一生をともに過ごすと固く誓い合った夫婦が、ふとした諍いや一方の身勝手な都合で容易に関係を断ち切ってしまうのをよく見かけた。つくづく、人間というのは悪い意味で自由な生き物だと思ったよ〉

「私もそう思うわ。…でも、私は家庭を築いて夫と子どもを持ったとき、永遠の伴侶として一緒に生きていくと固く誓っているわ。例え、それが私と同じ『人間』でなくても…」

 イザベラの言葉を聞いていた「彼」の眉がピクッと動いた。

 少しの間があってから、イザベラは尋ねた。

「もう一度尋ねるわ。お願いだから正直に答えてほしいの」

 イザベラは立ち上がって「彼」の正面に立つと、抱えていた卵を目の前に掲げた。

「この卵に宿っている命は、私とあなたとの間に授かった子で間違いない?」

「彼」は目を閉じると小さく吐息し、そして答えた。

〈紛れもなく、私と君の子だ〉

「本当に?」

 思わずイザベラは尋ねてしまった。

〈間違いないよ。この子の父親は私で、母親は君だ〉

 求めていた答えを聞いたイザベラは感極まった。

〈すまない、イザベラ。私は君が真実を知ったとき、酷く落ち込むのではないかという不安で一杯だった。果たして、グリフォンと子を成したと知った君が、冷静にその事実を受け止めてくれるものかどうか、私はとても心配していた。真実を知った君が動揺し、私の元を去ってしまうのではないかと考えてしまったんだ〉

 と、「彼」は頭を俯かせて言った。

 そんな「彼」に向かって、イザベラは語調を強めて、

「そんなはずないじゃないっ。私はあなたと初めて出会って森で一緒に過ごしてから、いつしかあなたに対して特別な想いを抱いていたわ。ハッキリ言うと、恋をしたの。グリフォンという空想上の生物がもし実在していたらどれほど素敵だろう…、という幼少期から抱いていた願望も合わさって、私はあなたから離れられない気持ちになってしまったの。だから、むしろこの子があなたとの間に産まれた子と知って、私はとても嬉しいのよ」

〈本当なのか?〉

「ウソなんて吐かないわ。私は、あなたを愛してるから。夫として受け入れる覚悟も出来ているし、この子も大切な我が子として大切に育てていく決意も固めているわ。…だから、お願い。私と一緒にここで暮らしましょう」

 と、イザベラは哀願した。彼女自身も、ここまで本気になって相手に詰め寄ったのは初めてだった。「彼」がイザベラを失うのを恐れたのと同じく、イザベラも「彼」を失うのが恐ろしかったのだ。

 しかし、「彼」は難しい顔を浮かべてから小さくつぶやいた。

〈それは無理だ〉

 愕然としたイザベラだったが、卵を抱えたまま地面に座り込むと苦笑を浮かべた。

「ごめんなさい。私ったら、自分の都合ばかりしか考えてなかったわ」

〈………〉

「戦争が終息したら、あなたは元の世界に戻らなければならなかったのよね。そして、私と出会ったからもう二度とこの世界へ来てはならない。そう教えられていたのに、私ったら勝手なことをーー」

〈イザベラ、聞いてくれ〉

「?」

〈戦争が終わりを告げ元の世界へ戻ることになっても、私は里を追放されるだろう〉

「なんですってっ」

 驚きのあまりイザベラは思わず立ち上がった。

〈今君が言った通り、我々の一族にはこちらの世界の人間と接触してはならないという掟があり、その掟を破れば二度とこの世界に足を踏み入れてはならない。しかし、その掟以上の禁忌を私は犯してしまった。…そう、異なる世界の人間と子を成したことだ〉

「………」

〈あの晩…ハンターが森に現れ君が駆け付けてくれたあの日以降、私はこのオアシスで身を潜めていた。そのとき、群れの長がオアシスへやってきた。突然現れた長に私は驚いたが、そこで聞かされた言葉を聞いて私はなお驚いてしまった〉

「それが、あなたの子を私が身籠ったということ?」

〈そうだ。長は、この世界から感じ取れるはずのない魔力を感知し、不審に思い独自に調べられたらしい。そして、君がお腹に私の子を宿していると知った。図らずも、君と私は交わってしまったのだ。それはつまり、この世界に二度と訪れることが許されないだけでなく、故郷であるグリフォンの里から永久的に追放されるのを意味していた〉

「それじゃああなたは、ここから元の世界に戻れても帰る場所がないまま国をさまようしかないというの?」

〈その覚悟は出来ている。今の私にあるのは苦悩だけだ〉

「苦悩?」

〈君と深く触れ合い、不本意ではあったが子を作ってしまった。その瞬間、私はこれまで抱いたことのない感情に囚われたのだ。里の掟は絶対で決して破ってはならない。それは今でも重々承知している。だが、一方で私は掟を破ってでも君と子どもと一緒に過ごしたいとも思い始めたのだ。恐らく、これが家族を持った者の気持ちというものだろう〉

「あなたは里を追放されるわけでしょう? だったら、掟に縛られずにこっちの世界にとどまって私たちと暮らしましょうよ」

〈追放された身となっても、群れの長がそれを許さないだろう〉

「でも、あなたは私たちとの暮らしを望んでいるんでしょう?」

〈だから悩んでいるんだ…〉

 と、「彼」は組んだ前足の上に顎を乗せ、深くため息を吐いた。

 向こうの世界での活躍について、「彼」は自ら語ることはしなかった。イザベラが聞きたいと言えば話してくれたが、それ以外では自分から自慢気に語るようなことは一切しない。そんな謙虚さも含め、イザベラは「彼」が優秀な判断力とカリスマ性を兼ね備え、仲間たちからの人望も厚いグリフォンだと認識していた。

 しかし、今の「彼」は違っていた。

 故郷と呼ばれるグリフォンの里の掟に忠実に従うことを重んじている「彼」は、あろうことか異世界の人間と結ばれてしまった。それが掟を破る以上の禁忌であり、この世界へ二度と足を踏み入れられないばかりか故郷の里から追放されることを意味していると知っていてである。

 だが、「彼」は重んじている掟を無視してでも、結ばれたイザベラと授かった子どもと一緒に暮らしたいという願望も抱いている。

 掟を重んじるべきか、家族との暮らしを選ぶか。その葛藤にさいなまれ苦悩する優柔不断な「彼」の姿を、イザベラは初めて目の当たりにした。

(ここまで『彼』を悩ませてしまった原因は…)

 イザベラは卵を巣に置くと、そっと「彼」に寄り添い、囁くように小さく言った。

「ごめんなさい」

〈何故君が謝るんだ?〉

 と、「彼」が顔を上げて聞いた。

「ここまであなたが悩む原因を作ってしまったのが私だから…。私があなたと一緒に過ごしたばかりに、子どもを作って結果的に迷惑をかけてしまったから…。こんなことになるのなら、子どもを作るべきじゃーー」

〈そんな言い方はやめるんだ〉

 と、「彼」が叱るように言いイザベラはビクッと身震いした。

〈私はね、むしろこのように初めて一生懸命悩んだおかげで、知りたいと思っていた人間の本質を知る機会が得られたと思っている。しかし、醜い部分についてまでは知りたいとは思わない。出来心で子を宿した親が、愚かにも自らの立場を優先して幼子の命を平然と奪う醜悪な本質、そして折角授かった命を重荷としか捉えられない本質まで私は知りたいとは思わない〉

「ご、ごめんなさい。私、そんなつもりで言ったわけじゃ…」

〈大丈夫、分かっているよ。君は清楚でお淑やかだが、時折感情的になる一面があるからね。気持ちが高揚したあまり、思ってもいない言葉が口から出てきてしまうのは、わずかだが一緒に過ごしてきて私も気付いていたよ〉

 と、「彼」は落ち込むイザベラを慰めるようにフッと笑った。そんな「彼」の優しさにイザベラはまた救われた気持ちになった。

 それからイザベラと「彼」は、巣にある卵を一緒に見た。

〈私と君の子か…。尊いものだな〉

 と、「彼」が慈悲深い眼差しで見つめながら言った。

「とても愛おしくて手放したくない存在…。これが母性なのね、きっと」

〈君は母親としての素質が備わっているが、私は父親として備わっているかどうか…〉

「備わっているわよ」

〈そうだろうか? 私にはまだ自信がないんだ…〉

「そんな心配をするなんて、あなたらしくないわ」

〈父親になる日が訪れるなんて、考えてもみなかったからね。それも、同じ種族ではなく人間の女性の夫になるなんて〉

「それなら、私だって同じよ。まさか、人間の男性ではなくてグリフォンと結ばれるなんて思ってもいなかったもの。…でも、私はあなたのその立派な嘴と、雄々しいハクトウワシの顔、そして優しい心に惹かれたの。だから、なにも不安がることはないわ。異世界での活躍を私に聞かせてくれたときみたいに自信を持たなくっちゃ」

〈それは君が聞きたいと言うからーー〉

 慌てて弁解しようとした「彼」の頬に、イザベラはそっとキスをした。

〈今のは一体…?〉

 と、「彼」がポカンとした顔でイザベラを見つめた。

「今のはキスというの」

〈キス?〉

「そう。私たち人間のする愛情表現よ」

〈愛情表現…〉

 とっさに判断が追い付かなかった「彼」だったが、どういう意味かを察すると動揺した様子で目を泳がせた。

 その動作があまりに人間的だったので、イザベラは思わずクスッとした。

〈知らなかった。人間というのは、そうやって互いの愛を示すんだな〉

「あなたたちグリフォンは、どうやってパートナーに愛を示すの?」

〈以前、私の仲間がメスのグリフォンと番になってね。そのとき彼は、大抵のグリフォンではとても敵わない魔物を狩って、その肉と心臓を差し出していた。それを、メスと一緒に食すんだ〉

「聞かなければよかった」

 と、イザベラはブルッと身を震わせた。

「彼」はフフッと笑うと、

〈すまない、冗談だよ。実を言うと、我々にはさっき君が言ったキスというのに似た愛情表現は存在しないんだ。番となるメスを見付け、結ばれ、そして子を産む。その間、互いの愛を示す行為は一切行われない。それは、グリフォンが永遠の伴侶と認めた者とは、死すまで片時も離れないからだ〉

「つまり、私たちの世界でいう離婚がないわけね」

〈そういうことだ。人間と違ってグリフォンは夫婦愛が強いから、互いに愛を確かめ合う愛情表現をする必要性がないんだ〉

「………」

〈イザベラ?〉

 ふと、暗い顔を浮かべたイザベラを見て「彼」は心配したが、すぐにハッとした。

〈すまない。君にとって辛い過去を思い出させてしまった〉

「…いいの。あなたが言ったことは間違っていないわ。人間って、好き勝手なことをやって生きている生き物なの。だから、あなたたちグリフォンとは違って夫婦の間に築かれた絆を、いとも簡単に絶ってしまう。私の母も私とパパを置いて出て行ってしまったわ。そんな母の血が、私の体にも流れているのよね。さっきなあんなことを言ってしまったけど、やっぱり私には…」

 と、イザベラは弱々しい笑みを浮かべた。

 そのとき、突然「彼」がイザベラに覆いかぶさった。

 仰向けに倒れ困惑顔を浮かべるイザベラの目の前に、巨大なハクトウワシの顔が近付いた。

〈君がなにを言いたいのか分かっている。行方をくらませてしまった母親の面影を自分自身に投影し、私の妻として、そして卵の母親として相応しい女性になれるかどうか不安を抱いたんだろう。だが、そんな心配はしなくてもいい。慈悲深い聖母である君は、必ず私たちを最後まで支えてくれると信じている〉

 と、「彼」は言ってからおもむろにイザベラの口元を舐め、ゆっくりと彼女を包むように体を伏せた。

 身動きが取れず困惑するイザベラの口元を「彼」は舐めながら、大きな翼で彼女を包み込んだ。

 翼の中でイザベラと「彼」の眼と眼が合った。緊張に満ちた眼差しを向け合っていたが、しばらくして笑みをこぼし合った。

「いきなり驚いちゃったわ」

〈すまない。だが、どうしても…〉

「…いいわ」

 イザベラが「彼」のフサフサの首に両手を巻き、ゆっくりと抱き締めた。

 彼女に応えるかのように、「彼」は目を閉じながら身を委ねた。

(イザベラ…。私も愛しているよ)

「彼」は心の中で囁いた。

 月光が降り注ぐオアシスで、人間のイザベラとグリフォンの「彼」は激しい情熱に燃えた。

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