第二十四部 反撃
その場にいる彼らにとって、一度も聞いたことのない咆哮だった。
内輪揉めをしていたローガンとケインのみならず、ノアと浦辺も同時に森を見た。
銃口を押し付けられていたノアでさえ、思わず聞き耳を立ててしまうほど威厳さの中に不思議な響きを備えた鳴き声だった。
やがて、風が収まると咆哮も聞こえなくなった。
「なんだ、今の?」
「分からん。だが…」
ローガンは、さっき森の中で体験した出来事を思い出した。イザベラを見失った直後、森の中を強い風が吹き、草木が音を立てて激しく揺れたときだ。
そのときに吹いた風と、今しがた森から聞こえた咆哮に乗って吹いた風の感じが似ていたような気がローガンはした。
いつの間にか、ピストルを握る手が下を向いたが、呆然と森を見つめているローガンはそのことに気付いていない。が、浦辺はそれを見逃さなかった。
(チャンスだ)
しかし、浦辺より先に動いたのはノアだった。
ノアがピストルを握るローガンの手首を掴むと、思い切りひねったのだ。
突然の痛みにローガンは顔をしかめ、思わずピストルを落としてしまった。
浦辺はそれを蹴り飛ばしたが、異変に気付いたケインが勢いよく頭突きを食らわせてきたため、背中から地面に倒れた。
腹と背中に走る痛みに悶えていると、ケインがプロレス技のストンピングを繰り出そうと片足を上げた。
浦辺は慌てて避けて難を逃れたが、すぐにケインの強烈な蹴りが腹に食い込んだ。
咳き込む浦辺にケインは再び蹴りを入れようとした。が、浦辺はそれを両手で防ぐと、地面を着いていたケインの片脚に素早い足払いを見舞った。
ドサッという音を立ててケインが倒れた。
ピストルを失ったローガンが、掴まれていない方の手をノアの顔に当てて必死に引き離そうと踏ん張ったが、手首を握るノアの力の方が圧倒的に強かった。
ノアは牧場主だった頃に培った自慢の剛腕で、ローガンの顔を何度も殴打した。
重厚感のあるパンチを数発受けたローガンは、鼻と口から血を噴き出し大きく顔をのけぞらせた。が、彼もやられてばかりでもなかった。
ローガンは口に溜まった血を、まるで唾を吐くような勢いでノアの顔に吐き出した。
視界を遮られたノアが顔に付着した血を拭おうと反射的に手を離した。
狼狽えるノアの腹をローガンは何度も殴った。
鈍い音が聞こえ、次第にノアは苦しそうなうめき声を上げながら地面に膝を突いた。
腹の痛みで体を丸めているノアに、ローガンは蹴りを食らわそうとしたが、横から飛びかかった浦辺がそれを阻止した。
しばし揉み合いながら二人は地面を転がったが、ローガンが浦辺の顔を殴って切り離した。
浦辺は起き上がるとすぐに構えた。ローガンも隠し持っていたナイフを取り出し、互いに臨戦態勢を整えた状態で対峙した。
お互いに睨み合ったまま緊張状態が少しの間続いたが、不意にローガンが持っていたナイフを正面に向けたまま突っ込んできた。
浦辺はサッと身をひるがえしてそれを避けたが、ローガンはその動きを読んでいたかのような動作でナイフを操り、浦辺が着ている服の袖の一部を切った。
次第に腕から熱を感じ始め浦辺は顔をしかめた。どうやら切られたらしい。
袖で隠れていた部分からツーッと血が流れてきた。
「出来損ないの部下どもと同じだと見縊らないことだな。俺はあいつらとは一味違うぜ」
と、ローガンが得意気に言った。
相手の身のこなしを目の当たりにした浦辺は、ケインたち下っ端以上に慎重を期しすべきだな、と悟った。さすが狩猟団のリーダーを務める男だけあって、他の連中とは力の差が歴然としており、一筋縄ではいかないだろう。
流れ出る血を無視して浦辺は対峙し続けたが、とっさに背後から気配を感じた。
恐らく、ケインがゆっくりと背後から迫って来ているのだろう、と浦辺は読んだ。
浦辺はわざと気付かないフリを決め、絶えずローガンと睨み合った。
やがて、気配が殺気に変わった瞬間、浦辺は俊敏な速さで体を回転させ、すぐそばまで迫っていたケインの頬に裏拳を食らわせた。
まさか気付かれていたとは思わなかったのか、ケインは大きく見開いた目をより大きく開きながら吹き飛ばされた。
浦辺が回転したと同時に、ナイフを握ったローガンが突撃した。
浦辺は一旦体を後退させてから、突っ込んできたローガンの脇腹に三日月蹴りを食らわせた。
ローガンは体をくねらせて怯んだものの、すぐに体勢を整えて再び迫った。
浦辺のすぐ目の前で軽やかなステップを踏みながらナイフを振り回すローガン。
ナイフさばきが素人以上に手慣れている印象を受けるのも、獲物をさばくときなどに使用する機会が多い狩猟を生業にしてきたゆえなのだろう。
ローガンは不敵な笑みを浮かべながらナイフを操り、じわじわと浦辺に迫った。
浦辺は後退しながらなんとか反撃に出られる瞬間を待ったが、攻撃に出る余裕がないほどローガンのナイフさばきは素早く、ひたすら避けるのが関の山だった。
一瞬の隙を見、浦辺は相手の手元目がけて足を振り上げた。日本を発つ前、金髪の持っていたナイフを蹴り飛ばしたときと同じ要領で武器を手放させようと試みたのだ。
しかし、ローガンも相手がそう出るのを予測していたらしく、サッと手を引っ込めそれを回避した。
それだけでなく、地面を着いた浦辺の片脚に蹴りを入れた。
ダメージを受け再び後退した浦辺にローガンは間髪を入れず詰め寄り、また目の前で見せびらかすようにナイフを操り始めた。
浦辺は慌てず冷静に後退を続けたが、なんとか形勢を逆転しなくてはいつまでも相手のペースに乗せられてしまうと苛立った。
突然、浦辺は背後からケインによって羽交い絞めにされた。ローガンに集中していたばかりに、背後の気配が感じ取れなかったらしい。
浦辺は暴れたが、荒々しい息を吐くケインの力は怒りも加わってか相当強く、逃れるのは容易ではなかった。
「そのままにしてろよ」
ニヤッと笑ったローガンが浦辺に近寄った。
浦辺はとっさに、がっちり固定された上半身を支えられたまま下半身を持ち上げ、怪我を負っていない方の脚を大きく真上に振り上げた。
爪先がローガンの顎に直撃し、大きくのけぞりながらたたらを踏んだ。
次に浦辺は、後ろに立つケインの脚を踵で蹴り始めた。
一発、二発、三発と蹴り続け、ようやくケインが腕の力を緩めた。
緩んだ瞬間に浦辺はスルッと腕を抜け、ケインの胸に肘鉄を食らわせた。
数歩後退ったケインは再び浦辺を羽交い絞めにしようとした。
が、そんなケインの腹に浦辺は前蹴りを食らわせ、距離を離してから後ろ回し蹴りを見舞った。
ケインが体を回転させながら倒れた。
顎を蹴り上げられたローガンが鼻息を荒くしながら浦辺に切りかかった。
間一髪でそれを回避した、と思われたが頬に一筋の線が入り出血した。
ローガンが当初と同じくまたナイフさばきを披露しようとするのを、浦辺はとっさに手首にパンチを与えて阻止した。
腕に電流が流れたような感覚が走り、ローガンは思わずナイフを落とした。
浦辺が落ちたナイフを遠くへ蹴り飛ばすと、手ぶらになったローガンが闇雲に殴りかかってきた。
浦辺は器用に避けると、右手でローガンの顔を殴った勢いで体を回転させてから左の裏拳で殴った。そして、再び右の握り拳で殴るとそのまま回転して左、右、左、右とローガンの顔を立て続けに殴打した。
とある武道家兼映画俳優が編み出した独特な技だったが、打撃力の高さの他に浦辺はその人物のリスペクトも兼ねて時々発揮していた。
「この野郎、図に乗るんじゃねえ!」
今にも湯気が立ち上りそうなほど怒りで顔を火照らせたケインが、背後からいきなり浦辺の脇腹を殴った。
体をくの字に曲げた浦辺をケインは両腕の筋肉が盛り上がるほどの力を込めて持ち上げ、怒声を上げながら地面に叩き付けた。
これまでにない激痛が全身を襲い、浦辺はケインの二度目のストンピングを先ほどのように回避出来ないまま、背中に受けてしまった。
「いい加減お遊びも飽きたな。そろそろお前とジジイを片付けて、あのべっぴんを捕まえに行ってやる。ついでに、忌々しい卵をこの手で粉々に叩き割ってやる」
ヒヒヒッと半ば狂気を宿した笑いを浮かべたケインが、地面に倒れている浦辺を掴んで再び持ち上げようとした。
しかし、突然浦辺の肘打ちが顎に直撃し、ケインは手を離した。
浦辺は立ち上がるなりケインの腹、胸、顔にパンチの雨を浴びせた。
連続パンチを受けながら体を痙攣させるケインに、浦辺はトドメのアッパーを食らわせた。
のけぞったケインは足元に力を入れてなんとか踏ん張ったものの、焦点の定まらない虚ろな目でフラフラとしている。
(これが本当のトドメだ)
浦辺は体を回転させながらジャンプすると、目にも止まらぬ速さでボンヤリと佇むケインの頬に飛び後ろ回し蹴りを食らわせた。
視界一杯に火花を散らしたケインが激しく倒れ気を失った。
突然、耳を塞ぎたくなるほどの銃声が轟いた。
浦辺がハッと体の向きを変えると、落ちていた猟銃を構えたローガンの姿が目に入った。
ローガンはペッと血の混じった唾を吐いてから、
「とうとう俺も我慢の限界を越えたぜ、ミスター日本人。もう卵も獲物もどうだって構うもんか。お前をこの場で始末してからジジイと小娘と順番に殺してやる」
と、卑屈な笑いを浮かべた。
その瞳の奥に、浦辺は日本で何度か出会った凶悪犯たちと同じ輝きを捉えた。
(撃たれる)
こけおどしではなく、本気で殺すつもりだと浦辺は直感的に悟った。
なす術がなく目を閉じた。
…撃ってこない?
浦辺は目を開けた。
狂喜していたローガンの視線が浦辺の上空を捉えていたと思ったら、途端に彼の表情に変化が現れた。
困惑顔に近かった表情が、やがて恐怖の色に染まった。
なにか信じがたい物でも見るような眼差しで後退りしたかと思えばいきなり踵を返し、猟銃を落として逃げ始めた。
なにが起きたか分からず混乱している浦辺が上空を見上げたとき、頭上を「なにか」が飛び越えた。
燦々と輝く太陽の逆光により正体が分からなかった「それ」は浦辺の頭上を飛び越えると、逃げ惑うローガンに猛然と襲いかかった。
仰向けに押し倒されたローガンにまたがり「それ」は怒りのいななきを上げた。
正体を捉えた浦辺は思わず絶句した。




