第二十三部 絶体絶命
襟首を掴まれたまま、浦辺はロッジの前まで強引に連れられた。
ケインたちとの格闘で体力は消耗しているものの、ローガン一人に抵抗する気力は一応残っていた。しかし、端から見ても気が立っているのが一目瞭然のローガンをいたずらに刺激させるのは甚だ危険だと察し、浦辺はおとなしく従うことにした。
地面に膝を突いた浦辺は、目だけを動かして周囲を見回した。
テンガロンハットを被ったまま息絶えたティムの亡骸が目に入った。数発の銃弾を受けた背中からは、未だに鮮血が溢れ出ている。
ケインに殴られたノームが、ロッジの壁にもたれながらぐったりしていた。自力でそこまで移動してから、気を失ったらしい。
少し離れた場所に猟銃が落ちていた。格闘の最中に落ちたものがそのままになっていたらしいが、ローガンはそれには目もくれなかった。恐らく、持っているピストルの方が手頃だと思っているのだろう。
ローガンは膝を突いた浦辺に銃口を向けたまま、無様な格好で地面に倒れている弟まで歩み寄った。
「おい、起きろ」
と、ローガンは仰向けで倒れているケインの横腹を軽く蹴った。
兄の声に反応したケインが覚束無い足取りで立ち上がったが、浦辺の姿を捉えると目を血走らせて突っ込もうとした。
が、それをローガンが手で抑えた。
「まったく、情けないヤツらだ。たかが一人に三人がのされるたぁ呆れるぜ」
と、ローガンが言うとケインはすまなさそうに頭をかいた。
「す、すまねえ、兄貴。…あれ、なんでここにいるんだ? 例の物は手に入れたのか?」
と、ケインが聞くと、ローガンは森での出来事を思い出したのか忌々しそうに足元の石を蹴飛ばした。
「手ぶらだから見りゃ分かるだろ。あのアマ、卵の場所まで案内させるフリをして、この俺を出し抜きやがった。いきなり、俺の顔に土を投げ付けやがったんだ」
と、ローガンはまだ土でかすかに汚れた顔を険しくさせた。
「逃げられたのか?」
「ああ、やられた」
「なんで追わなかったんだよ」
「追ったに決まってんだろ。だが、森の奥へ逃げる小娘を追っていたら、いきなり姿をくらませちまったんだ。まるで、暗闇に溶け込むみたいにスーッとな。それに…」
「…それに?」
ケインが先を促したが、ローガンは沈黙した。
イザベラを取り逃がした直後に遭遇した森での不可解な現象を、ローガンは思い出した。
うまくは説明出来ないのだが、森が自身を追い出そうという意思を働かせたかのような錯覚をローガンは抱いた。
長い間、狩人として大自然に足を踏み入れてきたローガンだったが、あの瞬間に彼は初めて自然に対し恐怖心を抱いた。
しかし、自身をリスペクトする弟の手前、臆病風に吹かれたとはどうしても言えなかった。
二人のやりとりを眺めていた浦辺は内心でホッとした。
二人がどんな会話をしているのかは理解出来なかったが、手ぶらでかつ顔を汚したローガンが苛立った様子を見、イザベラは勇敢にも計画通りに実行し森のオアシスへ逃げ延びたと分かったからだ。
これで彼女と卵の安全は確保されたが、安心ばかりしてはいられなかった。
「それに、なんだよ?」
と、ケインがもう一度促すとローガンはチッと舌打ちした。
「今となっちゃそんなことどうだっていいんだよ。とにかく、あの小娘に逃げられたとなっちゃ卵の在り処まで行く方法は、もうこの野郎を使うしかねえ。だから戻ってきたんだ。さあ、立ちなよ。お前が案内役になるんだ」
と、ローガンが浦辺に言った。
浦辺は、相手がなにを迫っているのかの察しは付いていたが、あえて顔を俯かせて拒否する姿勢を見せた。
「…おい、聞こえないのか? 立てっ」
「兄貴、そいつ英語が分からないんだよ」
「スタンド・アップぐらいは知ってるだろうが」
「………」
「スタンド・アップも知らねえのかよ」
「………」
「これはどうだ? エッグッ!」
「………」
「いつまで意地を張るつもりだ? さっさと言われた通りに動かないなら、どっかしらの骨を折ってやってもいいんだぜ」
と、ローガンが凄味を利かせて顔を近付けたが、浦辺は俯いたまま動かなかった。
ローガンが不敵な笑みを浮かべた。
「…ほぉ、そうかい。あくまで強情を張るってわけだな。だったら、もうこうするしか方法はねえな」
と、ローガンは浦辺を横切ると、ドスドスと足音を鳴らしながらロッジへと向かった。
少しして、浦辺の背後からうめき声が聞こえた。
ギョッと振り返ると、肩を負傷したノアがローガンに無理やり歩かされていた。
浦辺の前まで来ると、ローガンは襟首を掴んだノアの頬にピストルの銃口を押し付けた。
先ほど、ケインによって撃たれた肩の傷口からは血が流れ続けており、ノアは痛みで顔をしかめていた。
「どういう状況か理解出来てるな? お前さんが素直に卵の在り処まで俺を案内しないのなら、このジジイの面が吹っ飛ぶことになるぜ」
(マズいな…)
と、浦辺は狼狽した。
なにがあろうと父親は守るとイザベラに誓ったはずなのに、それが段々と危ぶまれている厳しい状況に陥ってしまったからだ。
焦った浦辺は、なんとかこの窮地を乗り切る策を練ろうと辺りを見回した。
落ちている猟銃が目に入った。相変わらずローガンとケインはそれに見向きもしていない。
最悪、あれを使う手も考えたが、忘れてはならないのが相手もピストルを握っているということだ。
万が一、猟銃を手にすることが出来たにしても膠着状態に陥ってしまうのは目に見えている。
ただでさえ気が立っている相手と互いに銃口を向け合ったままの状態になるのが、いかに危険度を高めてしまうかを浦辺は承知していた。
ノアをロッジに避難させ中から鍵を掛けさせた後なら、なんとか猟銃を使わずとも一人でこの二人相手に立ち向かえる自信はあった。
だが、ノアを人質に取られている以上、いくら格闘戦に長けていても無闇に手を出すのは危険だった。
「面白いことになってきたねぇ」
目の前で起きている光景を眺めながらケインが意地の悪い笑みを浮かべた。
サディスティックなケインにとって、以前から目障りに思っていたノアが苦しんでいる姿は見るだけで快感なのだろう。
「早く案内しろ。でないと本当に殺すぜ」
と、ローガンがピストルを握る手に力を込め、ノアの頬にグッと押し付けた。
「ダメだ、無視しろっ」
と、ノアが日本語で浦辺に言った。
ローガンが脇腹に蹴りを入れ、ノアが苦しそうにうめいた。
「ここはスコットランドだぞ。しゃべるんなら現地の言葉で話せ。知らん言葉で話されてコソコソと作戦を立てられるんじゃフェアとは言えないからな」
「フェアだと? お前みたいな卑怯者がそんなことーー」
「やかましい、黙ってろ。偉そうに講釈を垂れるな」
「お前がどれだけ粘っても、この男は一切口を割らんぞ」
「ジジイよ、あんた自分の立場を理解してるのか? 俺に銃口を向けられていて、引き金を引けばあっという間にあの世にいけられる状況なんだぜ? この正義感気取りの日本人が果たしてそれを黙って見守り続けるかな?」
「殺すんなら、わしだけを殺せ。彼と娘には手出しするな」
「いんや、生憎そんなわけにはいかないね。こいつはもちろんだが、あんたの忌々しい小娘も森で俺を騙しやがった。顔に土をかけられたことはどうでもいいが、俺を出し抜いたことに関しちゃ到底見逃してやれないね。この際ハッキリと言っておいてやるが、こいつに道案内させて卵を手に入れたら、お前たち三人の墓を掘って並んで葬ってやるつもりだから覚悟してなよ」
ローガンのその言葉に一番大きな反応を示したのは、ノアではなくケインだった。
「兄貴、今なんて言った?」
ローガンの後ろで事の経緯を楽しんでいたケインが、真顔になって兄に尋ねた。
しかし、ローガンは弟の問いを無視した。
「『三人』って言ったか、今?」
ケインがローガンの肩に手をやって再度尋ねた。
それでも答えないでいると、ケインはローガンの体を激しく揺すった。
「なあ、答えろよ兄貴。あの女も一緒に始末するっていうのかよ?」
と、ケインが兄の体を大きく揺すった。
ローガンが苛立った様子でケインの手を払いのけた。
「いつから耳が悪くなった? こいつとジジイ、それからあの小生意気な小娘も一緒に葬ってやるって言っただろうが」
「そりゃあないぜ、兄貴」
「なんだと?」
「約束したじゃねえかよ。あのべっぴんを俺の女にするって」
「そんな約束をした覚えなんかない。やりたきゃ勝手にやれって言っただけだ」
「だけど、殺すつもりなんだろう?」
「あのアマは俺をコケにしやがったからな。生かしちゃおけない」
「そりゃあんまりだぜ。そんな勝手なーー」
俄然、ローガンがピストルを握る手でケインの頬を殴った。
鈍い音がし、倒れはしなかったもののケインは数歩後退りした。
「いい年してグチグチとガキみたいに文句を垂れるんじゃねえっ」
「納得がいかねえよっ。ジジイとこいつは殺したって構わねえさ。だけど、せめてあの女だけは生かしておいてくれよ。なあ、頼むよ。弟の頼みだろう?」
「弟ならぶつくさ言わずに兄貴の命令に従え」
「冗談じゃねえよ!」
と、ケインが大声を張り上げたときだった。
突然、猛烈な勢いで風が吹き始めたかと思えば、森の方から獣の雄叫びらしき咆哮が広大な原野に轟いた。




