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第二十二部 「彼」の願い

 ケインが撃った拳銃の発砲音は、乾いた銃声となって森全体に響き、森のオアシスで卵を抱えながらひっそりと身を固めているイザベラの耳にも届いた。

 続けざまに聞こえる銃声にイザベラはそわそわした。浦辺と父親の身に悪いことが起きているような予感がしたからだ。

 六発目が聞こえたとき、イザベラは思わず立ち上がった。

 そのまま、森を出てロッジまで駆け出したい衝動にかられたが、彼女はグッとこらえた。

 グリフォンの存在を信じる人間だけが辿り着ける森のオアシス。現在、この場所を自由に行き来出来る唯一の人間は、イザベラのみだった。

 それを思い出した浦辺が、安全な場所としてここを指定した上で、計画を立てた。

 浦辺は、卵を手に入れることに執念を燃やすローガンは、森に卵を置いたと聞けば十中八九そこへ案内しろと指図すると読んだが、案の定、ローガンはそう指示をした。

 その際、ローガンとイザベラが二人だけで森へ向かう必要があったが、それも都合よく進んだ。

 そして、グリフォンの存在を信じているかどうかを試されるあの場所で足止めを食らったローガンは激怒し、イザベラに詰め寄った。

 あのとき、イザベラは毅然としていたが、実際は恐怖心による体の震えを必死に抑えていた。

 そうなることを覚悟していたにも関わらず彼女が計画の遂行を実行に移せたのも、とにかく大切な我が子を守らなければならないという彼女なりの母性本能が働いたのだと言える。

 ローガンを出し抜く際、彼女は彼にグリフォンを信じるかどうかを尋ねたが、それはイザベラがとっさに働かせた機転だった。ローガンが本当にグリフォンを信じているのかどうかを確かめる意味もあったが、若干興味があったのも事実だった。

 ローガンは一笑に付したが、イザベラは満足した。

 だが、彼がグリフォンのことを「気色の悪い生き物」と吐き捨てたことに対し、彼女は並々ならぬ怒りを覚えた。信じないのは仕方が無いにしても、バカにはされたくなかったからだ。

 彼女にとって、グリフォンを侮辱することは、大切な家族を冒涜されたも同然だった。

 グリフォンを罵倒された怒りと子どもを守り抜くという母性本能の両方が糧となり、イザベラはローガンの顔面に掴み取った土を払いかけた。

 怒り狂って追いかけるローガンに怯えながらも、イザベラは森のオアシスに着いた。

 無論、グリフォンなど実在しないと言い切ったローガンは、辿り着けなかった。

 浦辺の立てた計画通り、イザベラと卵はなんとか安全を確保した。しかし、事が済み浦辺がここへ戻ってくるまでは、決して抜け出してはならないと彼から釘を差されていた。

 衝動的にここを抜け出してしまったら、ローガンに見付かり再び危険な立場に置かれてしまうのは目に見えている。そうなってしまったら、浦辺が折角立てて遂行した計画を結局無駄にしてしまい、彼に迷惑をかけてしまうかもしれない、とイザベラは思い、どうにか今にも駆け出したい気持ちを抑制したのだ。

 イザベラは卵を抱えたまま、再び地面に座り込んだ。

 発砲音は収まり、森のオアシスを静寂が支配した。

 イザベラは卵の上にそっと頬を乗せてから思った。

(浦辺さんは本心から私を信じてくれた)

 と。

 もしも彼が森のオアシスの秘密を信じていなかったら、イザベラとローガンを二人だけで森へ向かわせるような真似はしないし、彼女に大胆な行動を起こさせローガンを逆撫でさせるような危険な指示を与えるはずがなかったからだ。

 グリフォンを信じないローガンが決して足を踏み入れられない森のオアシスの秘密を信じたからこそ、浦辺はこの計画を考案したのだ。

(『彼』は浦辺さんをどう思ってくれるかしら?)

 イザベラは、森で「彼」と語り合った日を回想した。

 森のオアシスで怪我を負い苦しんでいた「彼」を治療し、交流を深めてから間もない頃だった。

 森を散歩しながら「彼」は、イザベラの心に向かって語り始めた。

〈人間というのは野蛮で常に心に凶暴さを秘めている。例え、洗礼された心を持った者であっても、些細な切っ掛けさえあれば瞬く間にその心は黒く染まってしまう。とても恐ろしい存在だ〉

「それは、私が暮らす世界の話?」

〈いや。この世界と我々の世界とは大きく異なる。だが、一つだけ違わない部分がある。どちらの世界の人間も、共通の考え方を持っていることだ〉

「どういうこと?」

 と、イザベラが尋ねると、「彼」は足を止めおもむろにその場で体を伏せた。

 イザベラもそばの切り株に座り「彼」の言葉に聞き耳を立てた。

〈我々の世界の人間たちは、常に王都や民のためと宣っては戦を勃発させている。しかし、所詮それらは言い訳に過ぎない。人間たちは心の奥底に知らず知らずのうちに抱く破壊的欲求を満たしたいがために、もっともらしい理屈を並べては無意味な戦争を繰り返しているに過ぎない。それにより豊かな土地は荒れ、絶たれる必要のない尊い命が奪われている。それでも人間たちは、愚かな戦を決して止めようとはしない。我々は常日頃からそんな人間の汚れた一面を目の当たりにしながら王国を見守り続けてきた〉

「この世界の人間も、あなたの世界の人間と同じだと言うの?」

〈我々のような若いグリフォンは、実際にこの世界の人間たちの暮らしを見たわけではない。遥か昔、異世界の情勢を探ろうと訪れた我々の祖先たちから、この世界も我々の世界と同じく、人間たちの醜い争いが度々引き起こされていると聞かされながら育った。その教えは後世にも伝わり、グリフォン一族の間では人間というのは違う世界の者同士であろうと、自らの欲求を満たすためならば己の生きる世界の秩序と平和を平気で乱すのもいとわない危険な存在なのだと、我々は揃って認識している。人間はどの世界でも同類だ〉

「違うわ」

 と、イザベラはキッパリと言った。

〈違う?〉

「確かに、この世界でも過去に沢山の戦争が起こったわ。互いに正義の戦いを主張し目を背けたくなるような悲惨な殺し合いが、私が生まれる遥か昔から繰り返されてきたわ。恐らく、あなたの言う通り真っ当な理由とは異なる野心的な理由で戦った好戦的な人間もいたと思うの。でも、決して全ての人間がそういう人種とは限らないわ。争いを無くそうと必死に活動している人間たちもこの世界には存在するの。だから、同類と言うのならあなたの世界にも同じ平安を望む人は存在すると私は思うの」

〈…そうなのかもしれない〉

「え?」

 イザベラは「彼」があまりにもすんなりと認めたため拍子抜けしてしまった。

〈君との触れ合いで、私は生まれて初めて人間と深い交流をし、そして思った。君と出会ったことで、私は今まで人間に対して抱いていた認識に誤りがあったのではないかと〉

「私と出会って?」

〈君は森で苦しんでいた私を見付け、傷の手当てをしてくれた。この世界では我々グリフォンは存在せず、空想上の生物として語られているだけだと知っていた。普通ならば近付くのも躊躇うのが当然の心理だ。それにも関わらず、だ。そして、君が私の頬に優しく触れ、慈悲に満ちた眼差しで私の目を見つめた。あのときの君の瞳に映った輝きは、忘れられないほど清楚で美しく私は胸を打たれた。我々が思い描いていた人間の中に、君のようなあらゆる生物を慈しむ心の清らかな人間が存在していたとは思わなかった、とね〉

 淡々と心の中で語りかける「彼」の言葉を聞いていたイザベラの頬が、次第に赤くなっていった。自分でも照れているのだと自覚していた。

 赤く染まる頬を隠そうとイザベラが両手で顔を覆った。

〈なにを赤くなっている?〉

 と、彼がハクトウワシの大きな顔をイザベラに近付けた。

 見抜かれていた。

「べ、別になんでもないわよ。…それより、これから私以外の人間とも関わりを持ってみるのはどうかしら? そうすれば、きっと人間に対するあなたたちの見方はもっと変わると思うわ」

 気持ちを悟られまいとイザベラが慌てて言うと、「彼」は少しの間を置いてから答えた。

〈そういうわけにもいかない〉

「え?」

〈元来、我々はこの世界へ無闇に足を踏み入れてはならないのだ。君と出会ったあの日、我々が暮らす里に突然、剣士と魔導士によって組織された軍勢が押し寄せた。領土の拡大を視野に入れた戦争が勃発していた最中だったが、国王は我々の里も手中に収めるために目を付けたらしい。その土地には我々の他にも多くの魔物たちが跋扈していたから、妨げになる彼らを一頭残らず排除するため軍勢を寄越したのだろう。私たちはなんとか食い止めようと立ちはだかろうとしたが、人間たちを刺激しこれ以上闘争心をかき立ててしまえば、また新たな戦争を誘発させてしまうかもしれない、という里の神からの命を受け、一時的に里を離れることにした。その際、私は不覚にも魔導士が放った攻撃を受けてしまい、慌ててこの世界へと逃げ延びた。魔導士たちが駆使する魔力には肉体を状態異常に陥らせる効果が含まれているものなのだが、あくまで領土を住処にする魔物の徹底的な討伐を目的としたためか、今回は特に即効性があった。傷は浅かったが、あのままなにもせずにいたら、私はそのまま息絶えていただろう。だが、心優しい君が私を見付け、もはや治す術のない怪我を見事に治してくれた。君の優しさには本当に感謝している〉

 と、改めて「彼」からお礼を言われたイザベラはまた顔を赤くした。これまでの人生で、ここまで相手から感謝されたのは初めてだったのもあるが、なにより「彼」に対し特別な感情を抱いてもいたからだ。

 イザベラは気を取り直してから、

「でも、本当なの? あなたがこっちの世界の人間と関わってはならないというのは?」

 と、聞いた。

「彼」はゆっくりと頷いた。

〈君が森のオアシスと呼ぶあの場所。あそこは、我々の世界とこちらの世界を結ぶ唯一の境界なのだ。ゆえに、あの場所は特殊な魔力によって守護されていて、我々の存在を信じる者だけしか立ち入れられない領域となっている。必然的に、私はこの世界の人間に見付かる心配はないと安心していたのだが、驚いたことに君はそこへ現れた。今でも、何故君があの場所に辿り着けたのかが分からない〉

「それはきっと、私の幼少期が関係していると思うわ」

〈どういうことだ?〉

「私ね、小さいときに父から子守唄の代わりに神話や伝説を聞かされてきたの。そのとき、ハッキリとは覚えていないけどグリフォンのお話も聞いたような気がするの。私は、父が語ってくれる物語の世界に強い憧れと興味を抱いていて、現実にこの不思議で神秘的な生き物たちが存在していたら素敵だなぁって想像していたと思う。もしかしたら、それが影響しているんじゃないかしら?」

〈なるほど、確かにその可能性は考えられるね。…しかし、誰もが怯えるかもしれない我々が存在していたら素敵だと思えるなんて、君は面白い異世界の女性だな〉

 と、「彼」がからかうように言った。

「それは幼少期の話だからよ」

 と、イザベラが頬を膨らませて反論すると、「彼」はフッと笑みを浮かべた。

〈とにかく、私は君によって命を救われた。しかし、さっきも話したように本来、我々はこの世界の人間と関わりを持ってはならない。もしそれを破ってしまった場合、二度とこの世界に足を踏み入れることは許されなくなる。それが我々の故郷であるグリフォンの里の掟なのだ〉

「ちょっと待って。それじゃあ、あなたとはもう会えなくなるということ…?」

〈幸い…というと不謹慎だが、我々の世界では依然として戦争が続いている。人間たちが領土を巡る争いを続けている間は、身の安全を守るため森のオアシスにとどまることを許されている。だが、戦争が終わり次第、私は元の世界へ戻らなければならない〉

「それじゃあ、そのときがお別れになっちゃうってことなのね…」

 と、イザベラは悲しそうに下を向いた。

 そんなイザベラの頬に「彼」は雄々しい嘴でそっと触れた。

〈それまでに会ってみたいと願っている〉

「え?」

〈君の言う争いを望まない人間に会えるのを、私は願っているよ。自ら掟に背く行為になるが、君と出会ったことで私はしっかりと知るべきだと思った。我々の知らない人間の本質を〉

 このとき、イザベラは自分を元気付けるためだけでなく、心から人間という存在を理解したいという「彼」の意思を読み取った。

 そんな「彼」の気持ちに答えたい…イザベラはそう思った。

「きっと叶うわ。あなたが人間の純粋な本質を知ってもらえる日が必ず来るのを、私は信じてる」

 と、イザベラは「彼」の白くてフサフサな羽で覆われた顔に両手と頬を寄せた。

 彼女に答えるかのように「彼」もイザベラに寄り添い、

〈私もそう信じたい〉

 と、優しい声で囁いた。

 そのときの温もりを思い出し、イザベラは抱えていたグリフォンの卵を撫でた。

 途端に、イザベラは頭痛に襲われた。

 突然のことにイザベラは困惑し、ズキズキとする痛みに必死に耐えるように卵を強く抱き締めた。途端に、ある光景が彼女の頭の中に浮かび上がった。

 疲労困憊の浦辺がローガンにピストルを向けられている光景だった。

(大変だわっ!)

 大切な人間の命が脅かされていると知ったイザベラは、もはやその場に滞っていられず立ち上がった。

 卵を巣に戻し、森のオアシスから飛び出した。

 直前、風が吹いてもいないのにオアシスの池がさざ波を立てていたのを、イザベラは気付かなかった。

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