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第十八部 作戦

 電話の切れた携帯を耳から離したイザベラは、少しの間呆然としていたが、浦辺に声をかけられて我に戻った。

「ノアさんは連中に拉致されたんですね?」

 浦辺の問いにイザベラは力無く頷き、電話でのやり取りを説明した。

「誘拐した人質を使った交換条件か。卑怯なヤツらだ」

 説明を聞いた浦辺は吐き捨てた。

 しかし、怒りを募らせたところでノアは戻らないし、事態はなにも進展しない。どうにか、明日の朝までに善後策を講じなければならない。

 だが、その前にまずは気持ちが動揺しているイザベラを落ち着かせるのが先決だった。

 電話を終えてから、イザベラは意味もなくリビングをうろうろと動き回っている。

 無理もないだろう、と浦辺は思った。

 連中がどうやって卵のことを知ったのかは、この際どうでもよい。問題なのは、卵を渡さなければノアが無事に戻って来ないということだった。

 ローガンは警察には通報するなと釘を差したらしいが、イザベラは元々そんな気など毛頭ないだろう。なにせ、今回の件にはグリフォンである「彼」が絡んでいるのだ。

 現地の人間に知られたくない前提も含めて、彼女はわざわざ日本へ来たのだから、警察を読んで事が大事になるようなことだけはしないだろう、と浦辺は思っていた。

 卵を素直に渡せば、ノアは無事に開放される。

 もちろん、イザベラは一刻も早く父親を連中から引き離したいと願っているだろう。

 しかし、忘れてはならないのが、連中が欲しがる卵がただの卵ではなく、イザベラとグリフォンである「彼」との間に産まれた卵だということだ。

 イザベラにとって卵を差し出すということは、いわば自分の子どもを差し出すも同然のことだった。

 当然、そんなことをする親など存在するはずがない。それは、グリフォンという空想上の生物の妻となったイザベラも然りだった。

 イザベラにとっては、まさに究極の選択だった。

 その選択を迫られている圧迫感もあって、イザベラは落ち着きなく部屋をうろうろしているのだろう。

 浦辺は動き回るイザベラの前に立ち塞がった。

「イザベラさん。こういう状況に陥ってしまったら、誰でも落ち着きを失ってしまうのも仕方がありません。ですが、慌てて解決策を導き出そうと焦ったところで、結局はなにもならないんです。必要なのは冷静さです。今はとにかく落ち着きましょう。それから、今後の対策を練りましょう」

 普通に聞く分ではなんの変哲もない慰めのように捉えられがちだが、冷静な判断力を失いつつある状況下に置かれた人間にとっては貴重なアドバイスであり、事態の悪化を招き兼ねない暴走を事前に食い止めてくれる響きが込められていた。

 ひとまず、浦辺の提案でイザベラは気持ちを落ち着けるため、オーバンで買ってきたパンとミルクが入った紙袋をキッチンまで運び、二人で貯蔵庫へと仕舞った。

 それを終えると、ローガンたちによって荒らされた部屋の整理に取りかかった。

 元通りのロッジに戻った頃には、既に夕焼けが空を覆っていた。

 夕日が沈んだ頃、普段なら夕食の時間になるのだがさすがに食欲が湧かず、二人はじっと向かい合ったまま椅子に座っていた。

 イザベラの腕には、先ほど森のオアシスから連れて来たグリフォンの卵が抱えられていた。ローガンが手に入れるのを渇望していると知ったからだろう、イザベラは卵を死守する母鳥のごとく抱擁している。

 静かな風の音だけが聞こえる夜のロッジで、浦辺はそんなイザベラの様子をじっと窺った。

 初対面のときは異質な雰囲気を抱かざるを得なかったが、今はなにがあろうと我が子を守り抜こうとする母親の面影が漂っていた。

 浦辺は頭をひねった。どうにか、ノアとイザベラ、そしてグリフォンの卵を同時に守れる手立てはないものか…と。

 不意に、風の音に流れるように森の方から獣の咆哮が聞こえた。

 浦辺は思わず窓から森の方を見たが、イザベラは相変わらず卵を力強く抱えたまま、身動き一つしなかった。少なくとも、今の咆哮が「彼」でないことは確かなようだ。

(それにしても、どうして姿を現さないんだ?)

 ふと、浦辺はそんな疑問を抱いた。

 どういう理由で「彼」が未だに姿を現さないのか分からない。しかし、妻であるイザベラと子どもに危機が迫っているのだ。

 人間であれば、家族の危険を察知した父親は、例え重要な案件で手が離せない状況だろうが、それを放り投げてでも家族の元へ飛んで帰るだろう、と浦辺は思っていた。それが、家族を想う父親の当然の心理だからだ。

 ところが、「彼」にはその兆しがまったく見られない。

 その真相が判明する期待を込め、浦辺は森のオアシスを調査してみようかと一瞬思ったが、すぐにそれは無理だな、と肩を落とした。

(生半可にしか信じていない自分が一人で行けるわけ……そうだ!)

 浦辺は閃いた。少々危ない橋を渡ることになるかもしれないが、これなら少なくともイザベラと卵の安全は確保出来るだろう。

 浦辺は早速、目の前で抱卵しているイザベラに今しがた閃いた案を伝えた。

「それじゃあ、私は森のオアシスへ避難すればいいんですね?」

 と、確認するイザベラに浦辺は頷いた。

「以前、おっしゃったでしょう? あのオアシスは、グリフォンを信じる者しか辿り着けない場所だと。その不思議な力を活用するんです。十中八九、連中はグリフォンが実在するとは思っていないはずですから、どうあがいてもオアシスには行けられない。結果、イザベラさんと卵の安全は確保されるわけです。…ただ、そのためには少し危険なことをしてもらわなければなりません。もちろん、無理強いするつもりはありませんし、怖ければ別の策を練ります。どうなさるか、イザベラさんの判断にお任せします」

 そう浦辺が言うと、イザベラは間髪を入れず、

「やります。この子を守るためなら、私はどんなことでもやるつもりでしたから」

 と、言った。

 強い意志を抱いた母親の顔を、浦辺は見た気がした。

「でも、パパはどうなるんです?」

 と、すぐにイザベラが不安そうな顔で聞いた。

「助け出します。僕の読みですが、恐らくローガンを除く他の連中は、この前のケリを付けようとリベンジ精神をむき出して挑んでくると思うんです。その結果、ローガンはイザベラさんを案内役にして、一人で森へ向かう可能性が高い。そうなったら、ノアさんをロッジへ避難させ、僕がそいつらの相手をします」

「相手をしますって…。ローガンたちは猟銃を持っているんですよ。それに、彼らはとても気性が荒いです。もしも、浦辺さんの身になにかあったら私…」

「心配はいりません。日本でも、何度か危ない人間に銃を向けられてきましたが、なんとか切り抜けてこられましたからね。だから、気にせずイザベラさんはさっき言った通りに動いて下さい」

「…はい、分かりました。…浦辺さん、ありがとうございます」

「助けるのは人として当然のことですよ」

「いえ、オアシスのことです。えっと、その…」

 と、口ごもるイザベラに、

「言ったでしょう? 信じますって」

 と、浦辺は微笑んだ。

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