第十六部 襲撃
イザベラと浦辺が乗ったジープがエンジン音を響かせて動き始めた。
ジープの後ろ姿を玄関から手を振って眺めていたノアだったが、やがて見えなくなると気を引き締めるようにフーッと大きく息を吐き、鍵を閉めてリビングの椅子に腰かけた。
テーブルには、部屋から持ち出した散弾銃が置かれている。
オーバンでイザベラたちがローガンに出くわさずに済めば御の字だが、その場合こちらに現れる可能性も否定出来なかった。
連中は鼻が利くから、孤立無援の状態を狙って現れることもあり得る。
ノアは気を緩めず、椅子に座ったままじっとイザベラたちの帰りを待った。
それからしばらく経った頃だった。
なにかがロッジに近付いてくる気配を感じた。
ノアは耳をそばだてた。
どうやら、車が一台、こちらに近付いて来ているらしい。
ノアはテーブルの散弾銃を手に取り、身を引き締めた。
(オーバンからの帰りにしては早すぎる)
オーバンからロッジまでは、少なくとも二十分はかかる。買い出しの時間を考慮すると、いくらなんでも帰りが早すぎる。
明らかに、イザベラたちが乗るジープではない。
ノアは玄関の扉の横に移動すると、散弾銃を握ったまま体を壁に密着させた。
その間にも開け放たれた窓から聞こえてくる車のエンジン音はどんどん近付き、やがて静かになった。
ロッジのすぐそばで停車したらしい。
壁に張り付いたノアは身動きせず、じっと待った。
誰かが玄関のドアをノックした。
「誰だ?」
と、ノアが冷静な口調で尋ねた。
「…僕だよ」
ドア越しから気弱そうな男の声が聞こえた。
「セバスチャンか?」
「そ、そう。僕だよ」
相手の正体が怪我をした自分を診てくれたオーバンの医師で旧友でもあるセバスチャンだと知り、ノアは全身の緊張を解いた。
持っていた散弾銃を壁に置き玄関の鍵を開ける。
確かに、目の前に立っていたのはセバスチャンだった。
「や、やあ」
セバスチャンがぎこちない動きで手を上げた。
「なんだってこんなときに来た? 怪我ならもうたいしたことはないぞ」
「いや。診察に来たわけじゃないんだ」
「じゃあ、なんで今さらそんなに緊張してるんだ?」
「………」
セバスチャンは落ち着かない様子で額の汗をハンカチで拭った。
顔もかすかに引きつっており、ちらちらと横を気にしており明らかに様子がおかしい。
ノアは嫌な予感がし、じっとセバスチャンの顔を見すえて、
「悪いが、今日は帰ってくれ。昨日の痛みがまだあっちこっち体に響いてな。ゆっくり休みたいんだ」
「野暮用が済んだらさっさとズラかるから固いこと言うなよ」
セバスチャンではないが、聞き覚えのある声がすぐそばから聞こえ、ノアはハッとした。
棒立ちするセバスチャンを押し退け、ローガンと彼率いる狩猟団の面々が横から次々と現れた。
(しまった!)
ノアは慌てて壁に置いていた散弾銃に手を伸ばそうとしたが、彼の腕を無精髭のスタンリーが掴み止めた。
ノアは抵抗を試みたが、すぐに片割れのティムが現れ、ノアは二人によって取り押さえられてしまった。
「やれやれ、相変わらず血の気の多いジイさんだぜ。あんまりカッカすると血圧に悪いぜ」
ロッジに足を踏み入れたローガンが、ティムとスタンリーに両腕を抑えられて暴れるノアを見ながら笑った。
ローガンに続き、弟のケインも中へ入ってきた。
ローガンが目で指示すると、ティムとスタンリーが同時にノアの両腕をねじった。
昨日から引きずる痛みも加わり、腕を通じて全身に激痛が走ったがノアは声を上げず、あくまで強気の姿勢を貫いた。連中の前で屈するのを見せるのだけは忍びなかったのだ。
ローガンは入り口で立ち尽くしているセバスチャンを振り返った。
「ご苦労だったな」
「…約束はちゃんと守ってくれるんだろうな?」
セバスチャンが声を震わせながら尋ねると、
「もちろんだとも。安心しな」
と、ローガンはフッと笑った。
「セバスチャン…お前ってヤツはーー」
「ごめん、ノア。妻を誘拐されてしまったんだ…。もし、言われた通りにしなければ危害を加えると脅されて仕方なく…」
と、セバスチャンは古い友人と目を合わせられずに俯いた。
キッと睨んでいたノアの目から力が抜けていった。
ローガンがノアに詰め寄った。
「何の用だ? 今ここはわし一人だけだぞ」
「そんなこと先刻承知さ。それに、用はそっちも知ってるだろう?」
「また獲物のことか? 何度も言わせないでもらいたいが、わしらはなんにも知らん。これだけ言っても分からんとは、相当教養がないらしいな」
と、ノアはあえて相手を挑発する言葉を放った。
真っ先に反応を示したケインが掴みかかろうとするのをローガンが手で止めた。
不満そうに構えるケインを無視し、ローガンは落ち着いた口調で口を開いた。
「俺はね、思ったんだ。俺たちはイギリス人で紳士の国の人間だ。何事にも紳士的な姿勢で臨むのがイギリス人本来の姿だが、今までの俺たちの態度はお世辞にもそう言えるものじゃなかった。これからは気持ちを改め、暴力的ではなく平和的な話し合いで解決することを念頭に入れるよ。だから、あんたもそれを心がけてくれると助かるんだがね」
「フンッ、ケダモノのくせになにを言うか。善良で無防備な人間を誘拐し脅迫するお前たちが紳士を名乗るなど反吐が出るわ」
旧友を利用された怒りで溢れているノアは感情的になって吐き捨てた。
両腕を掴んでいるティムとスタンリーの表情が険しくなったが、なにかしでかす前にローガンが目で睨み付けた。
そのローガンも、ノアの言葉で眉をひくつかせる自分自身に気付いていなかった。
数秒の間があってから、ローガンは作り笑いを浮かべた。
「いいかい、ジイさん。…いや、ノアさんや。今からする質問に正直に答えてほしい。正直に、ね。もし知っていることを素直に洗いざらい教えてくれれば、今後一切お宅の前には姿を現さない。今までしてきた非礼の数々も謝罪する。教えてくれるか? 森に棲む獲物がなんなのかを」
「…知らん」
「本当に知らないのか?」
「あぁ、そうだ。お前たちはなんでもかんでも疑ってかかるようだが、知らんものは知らんのだ」
「彼女…娘もか?」
「…そうだ」
ローガンは納得したように何度も頷いてから、
「それじゃあ次の質問に入るが、その娘が虎の子のように大切に持っている丸くて奇妙な色をしている代物について教えてもらおうか?」
と、言った。
途端に、毅然と構えていたノアの表情が怯んだ。
(いつの間にあの卵のことを知り得たんだ?)
と、ノアが思わず困惑顔を浮かべると、ローガンが作り笑いを本物の笑みに変えた。
「なにか知っていると見える」
「………」
「ほら、教えてくれ。それがなにで、何処にあるのかを」
と、ローガンは相変わらず諭すような優しい口調で尋ねた。
相手の内面に宿る野蛮な本性を理解しているノアにとっては、聞くに堪えない響きだった。
口をへの字にして沈黙するノアを、ローガンたちは静かな圧力をかけるかのようにじっと見つめた。
一分、二分が経過するも、ノアは沈黙を貫いた。
それを破ったのは、最も気性の荒いケインだった。
「いつまでだんまりを決め込むつもりだ? さっさと答えねえか、ジジイッ」
ケインがノアの胸倉を掴み、乱暴に体を揺すった。
ローガンが自制心の弱い弟の暴走を目の当たりにし、呆れるように額に手をやってため息を吐いた。
突然、ノアは腹に激しい痛みを感じた。体を揺すっていたケインが、強烈な一撃を見舞ったのだ。
うめき声を漏らしそうになるのを、ノアは歯を食い縛って耐えた。が、そんな彼に再びケインがパンチを繰り出した。
激しい痛みと吐き気を催したノアだったが、なんとか耐えると仕返しといわんばかりにケインの顔目がけて唾を吐いた。
火に油を注ぐ結果になるだろう、とノアは覚悟した。
案の定、癇癪を起こしたケインが壁に置かれたノアの散弾銃を手にし、銃口を向けようとした。
が、それを制したのはローガンだった。
しかし、ローガンはケインから銃を奪い取ると、いきなりそれでノアの顔を殴りつけた。
「ぐはっ」と、ノアの口から血が飛び散った。
ティムとスタンリーに両腕を掴まれたまま、ノアは体をぐったりさせた。
「…ったく、人が紳士的に話し合おうとしてるってのによ。もう面倒臭くなったぜ、なにが紳士的だよ、バカバカしい。あくまで反抗するつもりなら、俺たちも俺たちなりのやり方で徹底的に締め上げてやるぜ。おい、ジジイッ」
と、ローガンはひざまずいているノアの白い髪を掴み、顔を上に向かせた。
「本気で死にたいのか?」
「フンッ、殺したければ殺すがいい。…だが、あの子には絶対手出しはさせんぞ」
「そんなくたびれた体でどうやって守るつもりなんだ? 守るのはあんたじゃなくて、あんたらが雇った用心棒気取りの日本人だろう? こいつらから聞いたぜ。どうも腕っ節の強い騎士道精神むき出しの日本人を味方に付けたらしいじゃねえか。だが、所詮腕が立とうが鉛の弾相手に勝ち目なんかありゃしないんだよ。結局、勝つのは俺たちさ」
「…フッ、それはどうかな? お前たちがあの男に勝つのは、恐らく無理だ」
「随分と自信があるんだな。…まあ、好きにほざいてな。おいっ」
ローガンが叫ぶと、ティムとスタンリーがぐったりしているノアを無理やり立ち上がらせた。
「…どうする? わしを殺すか?」
「今すぐにでもなぶり殺しにしてやりたい気分だが、それは止めておこう。実のところ、俺は寛大な男でね」
と、言った瞬間、ローガンが強烈なフックをノアの顔面に浴びせた。
力強い一撃を受けたノアは気を失い、糸の切れた操り人形のようにくずおれた。
ローガンは支えている二人に目配せし、
「運べ」
と、命じた。




