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第十五部 護衛

 目を覚ましたイザベラが小さく伸びをした。その拍子に、膝の上で毛布にくるまれていた卵がバランスを崩しそうになり、慌てて支えた。

 子守唄を聞かせているうちにそのまま眠ってしまったらしい。

 イザベラは毛布を取ると、卵を抱いたまま窓を開けた。

 イザベラは原野の空気を吸ってから、思い切り吐いた。

 朝の陽光がグリフォンの卵の艶やかな表面を照らし、まぶしい光を反射させた。

 イザベラがリビングに行くと、ソファで眠っていたはずの浦辺の姿がなかった。

 外から薪を割るような音が聞こえ窓から覗くと、重そうな斧を振り下ろして薪を割っている浦辺の姿が目に入った。

 半袖のワイシャツにジーパンという質素なファッションに身を包んだ浦辺だったが、斧を振り上げるときに見せる腕の筋肉は(ノアには劣るが)細身でありながら逞しく盛り上がっていた。

 カラテという日本武術を心得ているだけあり、見た目以上に強靭な肉体を誇っている印象をイザベラは抱いたが、途端に斧を振り上げた浦辺がそのまま後ろに倒れそうにふらついて思わずアッと声を上げた。

 踏ん張った浦辺は額を流れる汗を拭って大きく息を吐いた。

「おはようございます、浦辺さん。…あの、あまり無理をなさらないで下さいね?」

 と、外へ出たイザベラが心配顔で言った。

「おはようございます。これぐらいどうってことありませんよ」

「でも、昨日の怪我がまだ痛むんじゃありませんか?」

「もう大分落ち着きましたから、ご安心下さい。ボーッとしてるのが昔から落ち着かない性分でしてね。なにかしていないと気が済まないんです」

 と、浦辺は汗だくの顔を拭いながら笑顔で言った。

「それにしてはとても辛そうですが…」

「いやあ、お恥ずかしい。どちらかというと肉体労働は得意じゃないんですが、これ以外にお手伝い出来ることがないもので…」

「あまり無理はなさらないで下さいね」

 と、イザベラはさっきと同じ言葉を言った。

「ありがとうございます。それに、作業を終えたら森の方へ行ってグリフォン…『彼』の捜索をしてみようとも思っているので、今のうちに体力を付けておかないといけませんから」

「それじゃあ…浦辺さんは信じてくれたんですか?」

 と、イザベラが聞くと、浦辺は斧を置いて彼女と向かい合った。

「正直に打ち明けますと、本当は信じられない気持ちの方が強かったです。僕が知る以上、グリフォンという生物は現実世界に存在しないし、あなたが大切に抱えている卵がグリフォンの卵だというのも、にわかには信じられません。僕がこのスコットランドに足を踏み入れたのも、ハッキリ言うとその話を信じたからではなく、あくまで依頼人であるイザベラさんの依頼を尊重したに過ぎません」

「そう…ですよね…」

 と、イザベラは思わず顔を俯かせた。

「…しかし、一方であなたがそんなウソを吐いて僕たちを騙すとは考えられないし、そもそもあなたはそんなことをする人には見えない。今まで探偵をしてきて、僕は何人も平気でウソを吐いては自分の利益を最優先する人間ばかり出会ってきました。まあ、そのおかげでそれがウソか事実かを見極めて、依頼を引き受けるべきかどうか結論を出せるようになりましたけどね。その慎重な分析を活かした場合、イザベラさんの依頼内容を聞いた途端、普通なら引き受けるのを断っていたでしょう。しかし、あなたの話には不思議なことに真実味を帯びているような印象を受けました。その結果、僕は事実かウソかを明確に見極めることが出来ず、半信半疑のまま今に至りましたが、今では信じていいんじゃないか、と自分に問いかけています」

「どうしてそうお思いになったんですか?」

「さあ…自分でもよく分かりません」

 実を言うと、昨日のノアとの会話が影響していたのだが、浦辺はあえて言わなかった。

 影響を受けたとは言っても、半ば感情論も交えた回答であるのは確かだからだ。

 相手の気持ちを考慮するあまり、情だけで信じていると言ってしまえば、結局は信じていないも同然だった。

 しかし、一方で情ではなく本当にイザベラの話が事実なのでは、と思案する部分があるのも事実だった。

 それに至った具体的な理由が浦辺にも見当が付かなかったのも、彼が誤魔化した理由の一つだった。

 曖昧な回答にイザベラは困惑したが、浦辺は会釈すると薪割りを再開してしまった。

 詳しい理由を聞こうとイザベラは思ったが、すぐにそれは止めた。例え言えない理由があるにしても、浦辺が昨日自分と父、そして卵を守ってくれたのは事実だからだ。

 追究したい気持ちを抑えながら、イザベラも会釈をしてロッジへ戻った。

 ロッジへ戻ると、まず抱えていた卵を暖炉の横に置かれた大きな鳥の巣に乗せた。森のオアシスのもそうだが、これもノアがイザベラのために手作りした模造の巣だった。

 イザベラはノアの部屋の扉を開けた。

 静かに寝息を立てて眠っているノアを見、イザベラはホッとした。強情なノアが心配させまいと無理をしていると昨日は思ったのだが、ぐっすりと眠っている様子を見たところ、どうやら杞憂だったと分かったからだ。

 キッチンに向かったイザベラは、普段同様のパンとミルクによる朝食を三人分用意する準備に取りかかった。

 が、すぐにその手は止まってしまった。

 買い溜めしておいたパンとミルクのストックが少ないことに気付いたからだ。

(しまった…)

 困惑したイザベラはノアの部屋へ行くと、眠っている父親を起こした。

「…ん? おぉ、イザベラか。おはよう、どうした?」

「おはよう、パパ。あのね、ちょっと困ったことがーー」

 と、イザベラが言うや否や、ノアはキッと目を見開いてベッドのそばに置かれていた散弾銃に手を伸ばそうとした。恐らく、ローガンたちが現れたとでも思ったのだろう。

 早とちりした父親をイザベラは慌てて止めた。

「慌てないで、そうじゃないの。貯蔵しておいたパンとミルクがそろそろ無くなりそうなのよ」

 と、イザベラが言うと、安堵したノアは銃を元の場所に戻したが、すぐに困り顔で腕を組んだ。

「あの連中と鉢合わせするのを恐れてオーバンへは行かないようにしてきたからな。とはいえ、いつまでも食糧の調達に出向かないわけにもいかないしなぁ…」

 う~む、とノアは腕を組んだまま目を閉じた。

 しばしの沈黙が流れた後、外から聞こえる薪の音で顔を上げた。

「なんだ、あれは?」

「今、浦辺さんが薪割りをしてくれているのよ」

「わしは頼んだ覚えはないぞ?」

「浦辺さんのご厚意よ」

「…そうだっ」

 閃いたノアはポンッと手を打つと、イザベラに浦辺を呼ぶように頼んだ。

 イザベラに連れられた表情を強張らせたまま会釈した。

 イザベラに連れられた浦辺は、不慣れな薪割りのせいで顔一杯に汗を流し、ワイシャツもびっしょりと濡れていた。

 いきなり呼ばれた見当が付かずに戸惑っている浦辺にノアはまず微笑んだ。

「わしの代わりに薪を割ってくれたようだな。お気遣い感謝するよ」

「とんでもありません」

「ところで、疲れているところ本当に申し訳ないんだが、折り入って浦辺さんに一つ頼みたいことがある。聞いてくれるかな?」

「どんなことでしょう?」

 イザベラがタオルと水の入ったコップを持ってきてくれた。

 浦辺はお礼を言った後、タオルで顔面の汗を拭ってから一気に水を飲み干した。

「前にも話したと思うが、今わしとイザベラは連中と鉢合わせするのを恐れてオーバンへは立ち寄らないようにしている。ところが、どうやらロッジの食糧が底を尽きそうでね。そろそろ調達しなければならなくなってしまった。イザベラが車を運転するが、ぜひとも浦辺さんに娘の付き添いを頼みたいのだよ」

「つまり、護衛としてイザベラさんに同行すればいいんですね?」

「昨日のあんたの活躍ぶりを見てピンときたんだよ。腕っ節の強いあんたが娘と一緒なら、例え向こうで連中と出くわしてもなんとか切り抜けてくれるだろう。…どうかね、引き受けてくれないだろうか?」

「分かりました」

 と、浦辺は即答した。

「パパったら、そんな無理を言わないであげてよ。浦辺さん、薪割りでとても疲れていらっしゃるし…。それに、私たちが出かけている間、パパは独りになっちゃうわ。もしも、あの男たちがオーバンじゃなくてここへ来たらどうするつもりなの? 私はそっちの方が心配で仕方がないわ」

 と、イザベラは不安そうな面持ちでノアに言った。

「わしなら大丈夫だ。すぐ手の届く所に銃もあるから、万が一連中がここに来たらこいつで追っ払ってやる」

「でも…」

 と、それでも不安がるイザベラにノアは手を振り、

「いいから、早く行きなさい。…あ、その前にお前が後生大事に抱えている卵だが、何処か安全な場所に隠しておきなさい。もし連中が来たら、わしは自分のことで精一杯だから、守り切れる自信はない。ここ以外の見付からない場所に隠すのが無難だろう」

「…分かったわ。けど、気を付けてよ? 先生もおっしゃっていたけど、パパもそれなりに…」

「歳を取ってるんだから、か? 承知の上だよ」

 と、ノアは安心させるように笑いかけた。

「それじゃあ、行ってくるわね」

「お前たちも気を付けてな。浦辺さん、後は頼んだぞ」

「ええ、分かっています。イザベラさんはちゃんとお守りしますよ」

 と、浦辺は頷いた。

 財布と車のキー、そして一枚の毛布を持ったイザベラは、暖炉横の巣に置かれた卵を抱え上げた。誰にも見付からない安全な場所まで運ぶためだった。

 外へ出たイザベラは、少し待っていて下さい、と浦辺に断り卵を抱えたまま森へ向かった。

 厳密には、森のオアシスである。

 現時点で、ローガンたちからグリフォンの卵を隠すのに理想的な場所はそこしか思い浮かばなかったからだ。

 森のオアシスに到着したイザベラは巣に卵を乗せ、その上に持ってきた毛布を被せた。

「おとなしく待っていてね」

 と、イザベラが言ったとき、卵がかすかだが小さく揺れた。

 イザベラは目を丸くしたが、すぐにフフフッと微笑むと卵の表面を優しく撫でた。

「一人ぼっちはイヤ? 大丈夫よ、ここはママとパパが暮らす世界の間なの。いつだって、あなたには私たちがいるから」

 と、イザベラは優しく語りかけると、立ち上がってオアシスを後にした。

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