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第十四部 ノームの手柄

 深夜零時を過ぎた頃、ケインの運転する車が目的地の原野に到着した。

 停車した車からノームが降りた。片手にはローガンに託された猟銃、もう片方の手には小型ライトが握られている。

「おい。兄貴の大切な猟銃をお前みたいなちんちくりんが持ってるのが幾分気に入らねえが、命令とあっちゃどうこう言うつもりはない。が、これだけは言っておく。兄貴の期待を裏切ったら、容赦しないからな」

 と、運転席の窓からケインが言った。

 ノームは返事をする代わりに恐る恐る頷いた。ケインの凄味もあったが、後部座席にいるスタンリーとティムの射すくめるような眼差しも受け、声を出すのも怖かったのだ。

 ノームは深呼吸すると、持っている猟銃に目を落とした。

 緊張によるものか、心なしかアジトを出発するときよりもずっしりと重く感じた。

 原野はひっそりと静まり返っており、そよ風すら吹いていない。

 目指すロッジは丸太を積み重ねた壁によって構成されており、いわゆるログハウスとまったく同じだった。風が吹いていれば隙間風の影響で接近しても気付かれる心配はなかっただろう。

 その点で言えば、今回は運が悪かったとしか言えなかった。

 が、幸いどす黒い雲により月は顔を隠し、原野は闇に覆われているので逃げる際に見付かる心配はないだろう。

(それにしても、まさか人を撃つ日がくるなんてなぁ…)

 と、ノームは小さくため息を吐いた。

 亡くなった父親の影響でハンティングに興味を示したノームは、必死に逃げる獲物を追って猟銃で撃ち殺し捕獲することが狩猟の醍醐味だと思っていた。

 実際、父に連れられて森へ狩りに出かけた際、ノームは自身が描いていた理想的な狩りの楽しみを満喫し、それ以降ハンティングに興じる日々を、今に至るまで送り続けていた。

 狩猟は純粋なスポーツの一環と割り切っていたノームだったが、今回ローガンから獲物ではなく人間を撃ち殺せと命令されたことで、初めて精神的な負担を背負う無情なスポーツだったのだと思い知らされた。

 物思いにふけっていたノームは、背後から呼ばれた気がして振り返った。

 さっさと行け、と言わんばかりにケインが手を振っていた。

 もはやあれこれ考え込んでいる余裕などなかった。

(殺らなきゃこっちが殺られる)

 ノームは意を決すると小型ライトの明かりを点け、地面を照らしながら歩を進めた。

 一面に暗闇が広がっているところから察するに、ロッジには明かりが灯っていないらしいな、とノームは思った。

 恐らく全員が床に就いて休んでいるとノームは判断したが、それでも忍び足でゆっくりとロッジに近付いた。

 狩人として、かすかな足音にも獲物は敏感に感じ取り、一目散に逃げてしまうと当初から父に教えられたノームは、それを忠実に守るかのよう決して足音が立たない草道でさえも慎重な足取りを崩さなかった。

 本来、獲物を仕留めるために植え付けられた知識を、殺人のために利用する自分にノームはやるせなさを感じざるを得なかった。

 ロッジが間近に迫ったとき、森の方から獣の咆哮らしき鳴き声が轟いた。

 ノームは明かりを消すと、反射的に体を硬直させた。

 獲物の気配を感じ身の危険が迫ったと察したときは、無闇に動かずじっと制止することが生きて帰る秘訣だと言った父の言葉を思い出したからだった。

 以前、月夜に原野へ訪れた際に目の当たりにした森は不気味なシルエットを作り、生い茂る木の集合体が巨大な怪物のように見えたのを覚えていた。

 それだけでも充分迫力があったが、今夜は月が隠れているためその森の存在すら確認出来ない状況だった。

 自然と恐怖心も倍増する。

 闇の奥からなにかがこちらに飛びかかってきそうな錯覚に陥りノームは気が動転しかけたが、すぐにハンティングの際には欠かさず意識していた冷静さを取り戻した。

 さらに、いつの間にか原野を優しく撫でるような風が吹いている。

(ビクビクするんじゃない)

 ノームはそう自分を奮い立たせると、明かりを点け再び歩き始めた。

 片手に持つ猟銃の重みも、さっきよりか軽く感じじられた。

 小型ライトの明かりがロッジの壁を照らした。

 相変わらず慎重な足取りでドアへと近寄る。

 ドアの前に着いた。例の日本人がケインたちを叩きのめした場所だ。

 ダメもとでドアノブに手をやりそっと回してみたが、やはり施錠されていた。

 当たり前か、とノームは苦笑した。ケインたちがまたいつやってくるか相手も気が気でないはずだから、戸締まりに徹底しているのは至極当然なのだ。

 ノームはドアから離れると、身を屈めてゆっくりロッジの壁に沿って歩いた。

 小さな窓を見付けた。

 しゃがんでいた体をゆっくり上げ、明かりで中を照らした。

 途端に、ノームはギョッとして体を伏せた。

 落ち着きを取り戻し、もう一度慎重に明かりで中を照らした。

 奥の壁に置かれたソファの上に、誰かが横になって眠っていた。

 例の日本人だった。

 ノームが顔に明かりを向けても相手は起きる気配を見せない。

 まるで死んでいるかのように目と口を閉じ、気持ちよさそうに寝息を立てている様子から見ても、完全に爆睡していることは明確だった。

 この位置から狙い撃つなど、もはや逃げる獲物以上に容易だった。

 ノームは持っていた猟銃の上に設置されたマウントベースに小型ライトを取り付け、外れないようにしっかりと固定した。

 これで、暗闇の中でも猟銃を構えたまま標的が照らされる。

 窓から少し離れると、ソファの上で毛布にくるまりぐっすりと無防備に眠っている日本人に狙いを定めた。

 顔を小型ライトの明かりに照らされた日本人は、相変わらず寝息を立てて眠っている。

 この引き金を引いてあの男を撃ち殺せば、ローガンは自分を見直すしケインたちも以前みたいにいびってくることはなくなる。これからは連中に見縊られながら、身を縮めて過ごさなくても済むんだ…。

 そう思ったノームはトリガーに指を触れた。

 もう数ミリ指を引けば、あっという間に事は済むところまできていた。

 ……撃てなかった。

 必死に引き金を引こうと指に力を込めるが、どうしてもそれ以上動かせなかった。

 辛い立場から逃れたいという気持ちと、奥底に眠る良心とが脳内で衝突し、引き金を絞る指に躊躇いを生じさせているのだ。

 ノームは数秒間、猟銃を構えたまま手を震わせていたが、やがて深いため息を吐くとゆっくりと猟銃を下ろし、ロッジの壁にもたれたまま床に座り込んだ。

(俺は狩人であって人殺しじゃない)

 と、ノームは葛藤で渦巻く自身の心に強く言い聞かせた。

 生き物の命を平気で奪っているわけだから、理論上では人殺しとそう変わらない。

 だが、ローガンがやらせようとしていることは、もはや人の道理から外れた所業に他ならない。

 獲物だけでなく、人間の命すらも平気で奪おうと画策するローガンやその配下のケインたちの思想には、もはや倫理観の欠片など備わっていないのだ、とノームは思った。

 今この瞬間、ノームはローガンの命令に対し明確な反抗的意思を抱いたが、このまま目的を果たせずにアジトへ戻ったら、確実にただでは済まないのは目に見えていた。

 ローガンも中々血の気が多く怒らせたくない存在だったが、なによりノームが恐れていたのが彼の弟のケインだった。

 兄以上に短気で野蛮、しかも暴力的な手段もいとわない狩猟団の中でも最も恐ろしい存在だった。

 これは自分に限らず、ティムとスタンリーも胸中では同じ気持ちを抱いているに違いない、とノームは思っていた。

(未遂に終わったと知ったらあいつは俺を本当に殺すかもしれない)

 不安に襲われたノームは壁にもたれたまま、頭を抱えてうなだれた。

 どうすればいい…。

 そのとき、いきなり窓の開く音が聞こえた。

 ノームが慌てて体を伏せ頭上の窓を見上げるが、開いてはいなかった。

 別の窓を誰かが開けたらしい。

 ノームは固定されていたライトを取り外し、明かりを消した。姿勢を低くし、ゆっくりとロッジの壁に体を張り付けたまま移動した。

 ロッジの裏側に来たとき、そこの窓が開いて誰かが外に顔を出していた。

 恐らく蝋燭の明かりだろう、室内の光に照らされた金色の髪をそよ風になびかせ、外の空気を思い切り吸い込む女性の横顔をノームは捉えた。

 イザベラという女だった。

 イザベラは外の空気を吸い込んだ後、物思いにふけるようにぼんやりと外を眺めてから中へ戻り、窓を閉めた。

 ノームは姿勢を起こすと、ゆっくりと中を覗いた。

 そこでノームが目の当たりにしたのは、長いウェーブのかかったブロンドのイザベラが質素な部屋の隅っこに置かれた椅子に座っているところだったが、目を引いたのは彼女がまるで虎の子のように抱えている不思議な丸い物体だった。

 蝋燭の光のみで照らされた薄暗い部屋のため、ハッキリとは確認出来なかったが見たことのない色で彩られた奇妙な物であった。

 イザベラはまるで子守唄を聞かせているかのようにその物体に囁きながら、赤ん坊を寝かしつける母親のごとく優しくトントンと叩いていた。

 やがて、膝にかけていた毛布でそれを覆うと、両手で守るように抱き締めた。

 ノームは不思議な光景にしばし呆然としていたが、イザベラが我が子のように抱えているあの丸い物体が、なにか重要な意味を示しているような気がした。

 ノームは気付かれないようにそっと身を屈めると、ケインたちが乗る車まで小走りした。

 ノームが急いで車のそばまで来ると、いきなり後部座席のドアが開いて中に引きずり込まれた。

 運転席に座っていたはずのケインがいつの間にか後ろにおり、引きずり込んだノームの体を背もたれに押さえ付けた。

「なにやってるんだ?」

「えっ。な、なにが…?」

「『なにが?』じゃねえんだよ。兄貴の命令を忘れたのか?」

「わ、忘れてなんかいないよ」

「だったら、なんで銃声がしなかったんだ? 兄貴は撃ち殺してこいと言ったんだぞ。もしや、また怖気付いて逃げてきたんじゃないだろうな」

 座席にケインの全体重を押し付けられたノームは息苦しくなったが、なんとか開放され事情を説明した。

 が、途端にケインが機嫌を損ね、再びノームを座席に押さえ付けた。

「腰抜けが。だから、お前なんかに任せるのは間違いだったんだ」

「ローガンさんが許さないな、こりゃあ」

「獲物の代わりに剥製にされるかもしれないぜ」

 と、ティムとスタンリーが口々に脅すと、ノームはそれを慌てて遮ってから口を開いた。

「女が妙な物を持ってるのを見たんだ」

「妙な物ってなんだ? 聞き苦しい言い訳をするんなら今すぐ俺がその口を塞ぐぞ」

「ほ、本当なんだよ。あのブロンドの女が部屋で、えっと…まるでなにかの卵みたいなのを大事そうに抱えているのを見たんだよ」

 ノームの「卵」というワードにケインの拘束する腕の力が緩んだ。ティムとスタンリーも互いに顔を見合わせている。

「ひょっとして、俺たちが捜してる獲物に関係するんじゃないのか?」

「可能性はあるな。…だとしたら、一応収穫ありか?」

 二人が交互に言った後、ケインが口を開いた。

「大きさは?」

「ボールぐらい」

「なんのボールだっ」

「そ、ソフトボールぐらい」

「白だったか?」

「…いや。薄暗かったけど、奇妙な色をしてた」

「ソフトボール並みの大きさで妙な色をしていたそれが、どうして卵だと思ったんだ?」

 と、ケインが凄んだ。

「女がまるで子守唄を歌うようにそれに囁きながら、あやすようにしていたのを見たからだよ。ちょっと不思議な光景だったけど、まるで赤子を寝かしつけているみたいだった」

 ケインの凄みに怯えたノームが早口で言った。

「今の話、ウソじゃないだろうな?」

 ノームは表情を強張らせながら何度も頷いた。

 ケインはうなりながら考え込むと、ノームの拘束を解いて一旦車を降りると、運転席に移動した。

 持っていた携帯電話でローガンに連絡を入れると、たった今ノームから聞かされた件について兄に説明した。

 その際、ノームが日本人の射殺を失敗したことも含めて。

 ノームは、電話越しでローガンとやり取りするケインの様子を固唾を飲んで眺めていた。虫の居所が悪いボスが下した命令によっては、自分がこの場でケインに痛め付けられる可能性もあり得たからだ。

 電話が終わると、ケインは忌々しそうに息を吐いた。

「なんだって?」

 ティムが尋ねた。

「ひとまずアジトに戻ってこいとさ」

「こいつはお咎めなしか?」

「癪だが、そうらしい」

 と、ケインは言ってから後ろのノームに顔を向けた。

「日本人を撃たなかったことに兄貴はご立腹だったぜ。…けどまあ、その怪しい卵の情報を掴んだことには満足していたぜ。返答によっちゃあ、俺がこの場でボコボコにしてやるつもりだったがな、命拾いしたな」

 と、ケインはかすかな不満を覗かせながらも、不敵な笑みを浮かべて言った。

 ノームはホッとしたが、額には絶えず汗が流れていた。

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