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第十二部 「娘だから…」

 ベッドに寝かせられたノアは軽い怪我だと言って二人を安心させようとしたが、イザベラは念のため医者に診てもらう方がいいと言って、オーバンまで車を走らせた。

 その際、浦辺にはロッジでノアの様子を見ていてほしいと頼んだ。

 関係のないことだが、浦辺はイザベラが車の免許を持っていることに若干驚いた。当の自分は持っていないせいだろう。

 ロッジには一切の電気が通っていない。夜の明かりはもっぱら暖炉の火をくべ、ノアとイザベラそれぞれの部屋では蝋燭の火を唯一の明かりとして用いているからだった。よって、電話も使えないためオーバンの医者に連絡を入れることも不可能だから、わざわざ車を使って呼びに行くしか方法が無かった。

 浦辺は寝息を立てて眠っているノアのそばで、椅子に座ったままじっと待った。

 二十分弱が経過した頃、ロッジにイザベラの乗ったジープが戻って来た。

 ジープに続いて現れた小型車から、ちょび髭が特徴の小太りな男が降りた。

 イザベラに誘われてロッジに入った小太りの医師が、ノアの部屋で待機していた浦辺と出くわして思わずギョッとした。

「こちら、オーバンで医師をしていらっしゃる先生で、父とは顔見知りなんです」

「そうなんですか。浦辺です、どうぞよろしく」

 イザベラが通訳で紹介すると、小太りの医師は警戒の眼差しを解いて笑顔を浮かべると、セバスチャンだと自ら名乗って握手を求めた。

 イザベラが言った通りノアとセバスチャンは旧知の仲で、ノアが牧場主をしていた頃にもちょくちょく彼の体調を案じて自主的に診察に訪れていた。

 今回、イザベラが突然現れたときも真っ先にノアの身になにかが起きたと察したらしく、急いで車を走らせて来たとセバスチャンは言った。

 厚い信頼関係が築かれているんだな、と浦辺は思った。

 セバスチャンが診ている間、浦辺とイザベラはリビングで待っていた。

 昼を過ぎて間もないため、窓からは暖かくて心地好い原野の風が吹き込んでくる。

 脇腹辺りにかすかな痛みを感じ、浦辺は思わず顔をしかめた。

「浦辺さん、怪我をされたんじゃ…」

 と、心配そうにイザベラが聞いたが、浦辺は笑って、

「大丈夫ですよ。殴られた程度ならたいしたことありません」

「本当ですか? 随分痛そうですが…」

「少し痛むだけです。怪我はしていないので心配いりませんよ」

「よかった…」

 イザベラは安堵の息を漏らしてから、

「本当にありがとうございました。助けて頂いて、私も父も心から感謝しています」

 と、深々と頭を下げた。

 浦辺は笑顔で会釈をしてから、すぐに真顔になって尋ねた。

「さっきの連中が、日本で話していた狩猟団ですね?」

「そうです。でも、ケインという男は初めて見ました。この前、ロッジで父を殴ったローガンの弟だと言っていましたわ」

「今日、ここへ来たのはそいつと手下の三人。それに親分のローガンを含めると、狩猟団は五人で構成されているということになるのか」

 厄介だな、と浦辺は思った。

 今日、初めて対峙して分かったのだが、連中はどいつもこいつも気性が荒そうで、自分たちが追い求める獲物を手に入れない限りは過激な方法を繰り返してもおかしくない印象を抱いた。日本を発つ前にトラブルとなった金髪どもが、まだかわいく感じられるぐらいだ。

 そんな連中が五人もいるとなると、厄介以外のなにものでもなかった。しかも、狩人ゆえに猟銃も所持している。

 日本で井崎警部の捜査を手助けした際、浦辺は何度か犯人たちに銃口を向けられた経験があった。

 暴力団員、指名手配犯、凶悪犯など数多くの犯罪者と対峙して銃口を向けられた浦辺は、相手が脅しで銃を向けているのか、または明確な殺意を持って向けているのか即座に判断する能力を駆使して、何度も修羅場をくぐり抜けてきた。

 この能力は被害を最小限に防ぐ上でとても役立っているので、浦辺は重宝していた。

(今回の連中は最悪の場合、発砲するのもいとわないだろう)

 ケインたちに対し浦辺が導いた分析はこうだった。目的を果たすためならば、危害を加えるのも躊躇わない危険なヤツらだ、と。

 そんな連中を、浦辺は一人で叩きのめしてしまった。

 浦辺は窓の外を見て考えた。

 見ず知らずの東洋人に突然襲われて撤退する羽目になった、とケインは兄のローガンに報告するだろう。

 そのとき、ローガンがどういった策を講じて出てくるのかが気になった。

 場合によっては、自分のあの行動が事態を悪い方向に進めてしまう可能性も否定出来ないと気付き、浦辺は顔をしかめた。

「…私、今になって後悔しているんです」

 俄然、イザベラが弱々しい声で言った。

 浦辺は不思議そうな顔でイザベラを見た。

「浦辺さんをここにお呼びしたのは、元々いなくなった『彼』を捜索してもらうためだったのに、いつの間にかこんな危ない目に遭わせてしまった…。それを今、とても後悔しているんです」

 と、落ち込むイザベラに浦辺は小さく笑った。

「探偵をしているとね、こういったことは日常茶飯事に起きるんですよ。似たようなケースを日本でも何度か経験しているし、僕はその方がスリリングで楽しいですから、気になさらないで下さい。むしろ、申し訳ないと思っているのは僕の方です」

「どうして浦辺さんが?」

「さっき、反射的に体が動いてあんなことをしてしまいましたが、それがきっかけで向こうがもっと危ないことをしてきやしないかと懸念しているんです。もしそれが当たったら、僕の余計な行動のせいでお二人を益々危ない目に遭わせることになってしまう」

「そんな…。あの状況では、どちらにせよ私たちは危険でした。浦辺さんが例のカラテ…でしたっけ? それでケインたちを倒してくれたので私も父も助かったんですわ。謝る必要なんてありません」

 と、イザベラが言ったとき、ノアの部屋からセバスチャンが現れた。

「大丈夫。命に別状はないよ」

 と、セバスチャンが笑顔で二人に言った。

 二人はホッと胸を撫で下ろした。

「あえてなにがあったかは聞かないが、無理はしないようにだけお父さんに伝えておきなさい。ノアは健康的で見た目も頑丈そのものだが、一応私と同じくそれなりに歳は取っているわけだからね」

 セバスチャンが言うと、イザベラはクスッと笑ってからお礼を言った。

 セバスチャンが帰った後、二人はノアの部屋に入った。

 ノアはベッドに横になって窓の外を眺めていたが、二人が入って来ると体を起こしバツが悪そうに苦笑を浮かべた。

 元気そうな父の顔を見たイザベラは嬉しそうに抱き付いた。

「だから大丈夫だと言っただろう?」

「でも、無理はしないようにって先生は言ってたわ。強くて逞しいのは分かるけど、これからはあんまり無茶をしないでちょうだい」

「分かった、分かったよ」

 と、ノアはイザベラの頭を優しく撫でてから、

「すまないが、彼と二人きりにさせてくれないか?」

 と、言った。

 イザベラはノアと浦辺を交互に見やってから「分かったわ」と言い、部屋から出て行った。

 じっと控えていた浦辺をノアは手招きし、そばの椅子に座るよう促した。

 浦辺が座ると、ノアは小さく吐息した。

「浦辺さん、改めてあんたにはお礼を言わなきゃならない。本当にありがとう。あのとき、あんたが助けてくれなかったらわしは殺され、イザベラはヤツらに連れて行かれていたかもしれない」

「つい反射的に動いてしまっただけですから…。それより、僕は自分のしたことで、ノアさんたちを益々危険な目に遭わせることになるんじゃないかと、そればかりが気がかりで仕方がないんです」

 と、浦辺は先ほどイザベラに言ったのと同じことを言った。

「そんなことを気にしていたのか? あんたは強いだけじゃなく根も優しいんだな。人を思いやる気持ちで溢れてる」

「そんな風に褒められたのは初めてだから照れちゃいますね。しかし、ノアさんも勇敢に立ち向かっていたじゃありませんか」

 と、浦辺が言うと、今度はフーッと大きく息を吐いた。

「牧場主だった頃と同じくらい、今も体力には自信があった。力関係のことなら、わし一人でイザベラを守り抜けるとな。だが、今回の件でうぬ惚れだったと思い知ったよ。わし独りだけでイザベラを守るのは難しいらしい。牧場にいた頃は凶暴な野生生物を相手にしてきたが、今回はわしらと同じ生身の人間だ。獣以上の知識と狡猾さを身に付けてる」

「見たところ血の気の多い集団でしたから、穏便に済ませるのは難しいかもしれませんね」

 と、浦辺が言うとノアはフンッと鼻を鳴らした。

「紳士の国と呼ばれるイギリスにあのような野蛮で暴力的な輩がいたとはな。同じ国の人間として情けないことこの上ない」

 と、吐き捨ててから、表情を緩めて浦辺を見た。

「浦辺さん、一つ聞いていいかな?」

「はい」

「あんたは、イザベラの話を信じたのかね?」

 ノアが小声で尋ねた。

 浦辺は口を噤んでしまった。この疑問を浦辺はいつかノアにぶつけるつもりだったのだが、どうやら先を越されてしまった。

 浦辺は黙っていると、ノアが急に笑い始めた。

「分かっている。とても信じられないんだろう? 正直に言ってくれればいいよ、それが普通なんだからな」

「…おっしゃる通り、確かにまだ信じられない気持ちでいます。でも、イザベラさんがウソを吐いて騙すような人にはとても思えませんし、出来ることなら信じてあげたいです。しかし、探偵をしている以上、現実味を帯びない内容を容易に信じるのはご法度なもので…」

 と、リビングのイザベラに聞こえないよう、浦辺も声を小さくして言った。

「イザベラは純粋な子だ。人に対し悪意のあるウソは吐かないが、その点をあんたも理解してくれているだけでも安心したよ」

「失礼を承知でお聞きしますが、よろしいでしょうか?」

「言ってみたまえ」

「ノアさんは、彼女の話を信じられたんですか?」

「…信じたよ」

 浦辺は驚いて思わず「本当ですか?」と、言ってしまった。

「あの日、あの子がグリフォンの卵を抱えてわしの所へ来たときは驚いたし、それが娘とグリフォンの間に産まれた卵だと聞かされたときは愕然としたね。最初、わしを驚かそうとからかったのかとも思った。ウソは吐かないが小さい頃は悪戯が好きだったものでね。だが、あいつの様子を見ててそれも違うと確信した。人と動物、本来交わるはずのない者同士、しかも相手がこの世に存在するはずのないグリフォンだというあまりに現実離れした話を打ち明けられたわしは酷く混乱した。『彼』と呼び慕うグリフォンが姿を消し、捜索を依頼するために日本から遥々浦辺さんを呼んだのも、卵に宿る子どもが教えてくれたからだと、なにからなにまで信じがたい話ばかりだった。…それでも、わしは信じたよ」

「信じられた理由はなんですか?」

「決まっているだろう? 娘だからだよ」

 と、ノアは笑って一言そう言った。

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