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ノエル曰く、侵攻は夜半に起こると言う。しかし、そもそも蛇竜の棲み処は国を一つ飛び越えた向こう側にある。そこからここまでの距離を考えるに、もう事が起きている可能性は高い。
すでに後手に回っている。だがまだ手遅れではないと信じよう。
未だに人間が変異する原因がよくわからないが、悠長に考えている時間がない。十中八九魔力を使った何かであるのは間違いないのだが。
……あれか、ソラか。ソラも連れて行こうかな。《魔力眼》あるし役に立つと思うんだよね。でも危険だしなあ。役には立つだろうけど足手まといにもなるだろうし。
イリスみたいに使い魔持たせておけば良かったか。後知恵だけど。
まあいいや。一人でいこ。俺に何かあれば世界が滅ぶだけだ。簡単簡単。物事はシンプルな方がいい。
「じゃあちょっと行ってきまーす」
何も告げずに出かけようとする俺を父が止める。
どこに行くのかと当然のごとく尋ねる父に「ちょっと世界を救いに」と答える。
唖然とする父と何も言わない母。
「行ってきまーす」と同じことを言って外に出る。
外はすっかり夕暮れだった。
もうこんな時間かと少しばかり焦る。
風を起こして自分の周りに巻きつかせ、上昇気流で宙に浮く。呑気に陸路を行くよりは空路の方が速い。それに読みが外れていなければ、これで変異対策にもなっているはず。
運悪く天竜に遭遇したら面倒になるからあまり高度は上げられないが、移動する分には関係ない。途中の様子を見ながら移動するからこれがベスト。
びゅーんと空を飛ぶ。
地上の様子を見ながら飛ぶから速度は遅め。領内に異変はない。
全てのゴーレムが起動済みで、領民をびっくりさせているが不可抗力なので放っておく。道の下からにょきにょき出てきたゴーレムにはみんな驚いていた。いい顔してた。
そのまま隣領地に入り、同じようにゴーレムがあちこちに鎮座している。
当主殿がゴーレムに羽交い絞めにされ大暴れしているが、邪魔なので大人しくしててほしい。
「俺も連れてけ」とかそんなこと言わないで。どんな理由でもとりあえず拒否しちゃう。
この世界には瞬間移動を始めとしたスキルによる移動手段があり、かつて物作りのスキル持ちが製作し、後に一般に普及した魔力を動力源とした乗り物も存在するので、わりと移動手段には事欠かない。その代わりと言うか空路は完全に塞がれていて、海路も一部寸断されているので、陸路が主となっている。
例外的に空を飛ぶ俺でさえ、速度的に瞬間移動には敵わない。放っておくと本当に追いついてきかねないから拘束しておく。
椅子に縛り付けた当主殿の目の前にゴーレムを配置し、「お前の娘は俺の家でスヤスヤ寝てるよ……ゲロ吐いたけどなあ!」とか意味の分からない挑発を繰り出しながら、俺自身は王都の上空に差し掛かった。
地上は相変わらず異常なし。ここまでくると距離が開いた分消費も激しいので魔力ラインを切っておく。微々たる差ではあるが、これから蛇竜と一戦交えるかもしれないし、ゴーレムと防犯網の魔力供給は別口に切り替えておこう。……ソラの魔力増量カリキュラムが失敗した時の保険で用意しておいたのに、こんなところで役に立つとは思わなかった。備えておくもんだね。
そのまま一路北へと向かい、国境を通過すると雰囲気が変わる。
空気中に漂う魔力の質が変わったようだ。どことなく濃くなった。魔力の濃さは周囲の環境にも影響を与える。マジックローズとかもそれ。
今向かっている先は蛇竜の森と呼ばれていて、そこでしか見られない特異な動植物がわんさかいる。大半が毒持ち。
蛇竜と呼ばれるだけあって、蛇竜自身も毒を使う。そういう環境が蛇竜の好みらしい。
蛇竜の毒は、人類が長い時間をかけて未だに解毒剤を作れていない。
未知の毒物に対して、ろくに準備もせずに挑むのは馬鹿のやることだけど、今は馬鹿で行くしか道がない。
追放された後はこの国に根を生やして蛇竜の研究するつもりだったんだけど、一歩遅かった。
眼下で燃える街並みを見ながら思う。やっぱり一歩遅い。
生き残った人々が逃げまどい、迫りくる人型の化け物に襲われている。
一部兵士らしき人は懸命に火の魔法を扱って抵抗しているが、化け物を一体燃やす間にその脇を数十体がすり抜けている。何の意味もない。足止めにもなっていない。
よく見ると、化け物にはそれぞれ体のどこかに膨れたコブのようなものがあり、時折空気音がしているところを見るに、何かを噴出しているようだ。
何を噴出しているのか考えたくないけど、十中八九変異の原因はあれだろう。毒かな。
こうしている間にも波のように化け物は迫り来ていて、続々と人間が変異していく。
阻止するため、とりあえず風を吹き起こして生き残りと変異体の間に壁を作る。知性のない獣と成り果てた変異体は、目の前の風に一切の危機感を抱かずに突撃し、風の刃に切り刻まれ、傷口から泡が噴き出して変異が加速する。
風の刃に耐えられるよう、より強固な体に置き変わっていく。その分動きは遅くなっているが、小さな風の刃ぐらいではもう傷一つ付かない。
なにこれ進化? それとも改造? 興味深いなぁ。
どうしたものかと思いつつ突風を吹かせて時間稼ぎ。
その間に生き残りを避難させようと思ったのだが、すでに変異しかけている者が何人か出てきていた。
あの噴出物を一呼吸でも吸ってしまえばもう駄目なのかもしれない。
あっと言う間に変異してしまう者がほとんどの中で、一部変異に抵抗している者がいた。
小さな女の子とその周りにいた兵らしき人が数人。それ以外はもう駄目。
完全に変異しているわけじゃないなら助けられるかもしれない。そうじゃなくても、過程がゆっくりしているから実験観察に丁度いい。
そう思い、魔力ラインをつなぐ。魔力を流し、その体に何が起こっているのか分析していく。
結果、どうやら内側から作り変えられていることが分かった。魔力を糧に増え、乗っ取り、作り変える。何のためにこんなことしてるのか知らんけど、寄生虫みたいなことしてるなこれ。果たしてこれを毒と呼んでいいのか怪しい。まあ、便宜上毒と呼ぼう。
一先ずは体内の毒の除去を試みる。……やたらと抵抗するじゃねえか。どんな生命力だ。
全ての毒を除去し終えたら、次は作り変えられた体を再生する。……ん? あ、これ魔力量増えてるっぽい……そっかこうやって増やせばいいのか……とりあえず、増えた分はそのままにしておくよ……。
そこまでして救えたのは五人だけ。
小さな女の子が一人と兵士が四人。効率は良くない。すこぶる悪い。
それにしても、あれだな。
体が作り変えられてるだけなら治せるな、これ。
死んでるわけじゃないし、脳は犯されてるだけで機能してる。操られてるから、自我が一切表に出て来ないけど、もしかしたら意識が残ってる可能性もある。
ただ治すのに時間がかかる。労力もいる。疲れる。数人ならともかく、国一つは現実的じゃない。諦めよう。皆殺しで。
決断してすぐ、風を火に切り替える。
火の津波を起こし全てを燃やし尽くす。効率は最高だ。
生き残りに近づくと、五人のうち一人だけ意識のある人がいた。
息も絶え絶えに、放っておくとすぐにでも死んでしまいそうな老練な兵士。全部再生したから、むしろ毒に犯される前より健康体のはずだが……。
その人は意識があるだけで指一本動かせていない。再生したばかりの体は馴染むまで動かしづらい法則。
「どうか……どうか……」
何か呟いている。
うわごとにも聞こえる。俺の存在を認識しているかは怪しい。
「姫を……姫様を……」
眠っている女の子を見る。ソラと同じぐらいの年頃。魔力量が一気に増えてしまって可哀想だなと思っていたのだが、悪いことばかりでもないかもしれない。よし。実家に送ろう。
風を起こして五人を包む。そのまま空に舞い上げて、実家へと送る。
これは亡命になるのかな。あの人たちも、変異体に追われながら国境近くまで逃げてきたのだろうし、亡命する気はあったと思うけど。
折角ここまで来たのに追いつかれるなんて、努力の甲斐ないよね。《瞬間移動》のスキル持ちはいなかったのかな。なんだかんだ希少だから、《高速移動》ならともかく《瞬間移動》はいなかったのだろう。長距離を《瞬間移動》出来るとなればなおさらだ。だからイリスって結構凄いのよね。俺より速く移動できるって時点で凄いのだけど。
ひと段落付いた所で懐から符を数十枚取り出して式神を召喚する。今まで作ってたの全部だよこれ。また作り直し。いやだねえ。
呼び出したのは人型のカラスみたいなやつ。空を飛べるから重宝してる。
命令は二つ。生死に関わらず、この国の全てを燃やすこと。そしてこれ以上の侵攻を防ぐため火で壁を作ること。
とりあえず、向かってきている変異体はこの国に押し留めることにした。そしてこれ以上生存者の救出はしない。
指数関数的に変異体が増えている現状、大元を断たなければジリ貧になる。俺だって魔力が無限にあるわけじゃない。
何を優先すべきか、判断を間違えれば負ける。負けたら世界が終わる。
だから、変異体の始末は式神に任せて俺は蛇竜本体の所へ向かう。きっちり倒さなければ。言霊を使えば会話ぐらいは出来るかもしれないが、それだけだ。一国滅ぼされてから仲直りできるほど優しくないし、甘くもない。落とし前はつけさせてもらう。
息の根を止めよう。
徹底的に。完膚なきまで。わざわざ人間を変異させてる理由だけがちょっと気になる。
そう言う訳で、決着をつけるべく空を飛んで蛇竜の元へ向かう。