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「立て! 立つんだソラ!」
日が傾き始め、西日になるにつれ徐々に日光は弱まりつつも、地面から発せられる熱がじわじわと体力を蝕んでくるこの時間帯。
屋敷の玄関前で警備員の視線を浴びながら、俺はプロスポーツの熱血教官のような声を出していた。それは弟に向けられ、当の弟は土の上に大の字になって寝転がっている。
大きく上下する胸と額を垂れる汗が弟の疲労度を物語っていた。この有様を見て分かる通り、弟は今すごく疲れてる。それすなわち忙しいと言うことだ。
弟がこれほど忙しいのにはわけがある。はっきり言えば俺のせい。俺が今まで積み上げてきたことを引き継がせているからだ。
何を引き継がせているかと言うと、家の周りに張り巡らせた防犯網と地中に埋まっているゴーレムの管理権限が主だ。
具体的に何をどうすればいいのか、まさかマニュアルを作るわけにはいかないため、その小さな体に短時間で覚えてもらう他ない。
限られた時間では防犯網の全てを引き継がせることは出来ず、重要度の高い物から順に、現在急ピッチで引継ぎが進められている。
そこに弟自身のスキルの練習も相まって、連日魔力を使って使って使いまくっている。
魔力が回復する暇もないほどの大忙し。同時に体力も削られて、運動の苦手な弟の弱点がこれでもかと露わになっている。
ゲロを吐き、弱音を吐いて、吐ける物がなくなった弟は仰向けに寝転がって空を見つめている。焦点の合わないその眼は以前と虹彩が変わっていた。
弟が授かったスキルは《魔力眼》と言うらしい。
通常、魔力は無色透明で触れることは出来ず、また眼で見ることも出来ない。精々、熟練の魔法使いが勘と言うあやふやな部分でしか感じることのできないその魔力を《魔力眼》は捉えることが出来る。
弟が言うところには、魔力に色がつくのだと言う。視界をジャックしたわけではないから、具体的にどのように見えているのかは今一つ分からないが、結構カラフルに見えるらしく、魔力の色は人によって異なって、魔法によっても異なるらしい。
魔力を直接見ると言うのは俺にも出来ないことなので、工夫次第では色々使えそうなスキルだ。弟はこのスキルを今のところ魔法の分析に使い、そして将来的には新しい魔法を作り出すのに使おうと考えている。それが上手くいくかどうかは努力次第というところ。上手くいくといいね。
弟の場合、俺の元婚約者のように常時発動しているわけではないから、それほど扱いに困っているわけではない。けれども折角だから俺がいる内に多少のアドバイスはしておこうと、引継ぎついでにスキルの練習もさせている。
そうすると魔力が足りなくなったと言うのは、別に盲点でもなんでもなく、それはそうだよねと言う当たり前の結果だ。弟の魔力量は人より多い方ではあるけれど、俺のそれとは比べようがない。俺がやっていることをそのままやらせては足りなくなるに決まってる。
人が保有する魔力量は個人によって大幅に異なる。
例えば、とある個人の魔力量をコップ一杯の水に例えたとして、遠く彼方の大魔法使いはバケツ一杯ぐらいになり、歴史に名を遺す英雄に至っては湯船ぐらいの量になる。
残虐にも思えるこの違いは個人の資質によるとしか言えない。
当然のこと、魔力量は多ければ多いほど喜ばしいので、弟の魔力量をどうにか増やせないかと悪戦苦闘している最中である。今の弟の魔力量では、防犯網を維持しながら魔法を使った一般生活を営むには少々心もとない。戦闘なんてもっての他だ。
魔力増量カリキュラムは策定されておらず、完全に手探り。増えれば御の字。増えなくても特訓のついでだから問題なし。そのぐらいの気持ちで弟を追い詰めている。今も心を鬼にして叱咤激励を繰り返している。
「立つんだソラ。お前には立たなければならない理由があるだろう」
主にハーレムとか。
そんなことを言いつつも、弟がもう立てないことは承知している。
自分のことでなかろうと、来る日も来る日も追い詰めていれば自ずと限界も分かってくる。これ以上は無理ですねと分かっていて煽るのは、その限界を超えてほしいから。超えれば超えた分だけ成長する気がする。魔力的にも人間的にも。
実際の所、追い詰めれば魔力量が増えるかは不明だけど、そもそも魔力と言うのが精神に由来するものだとすれば、魂的なあれこれが関係している気がするので、ならば魂のグレードを上げてやれば増えるのではないかと思ってる。
言い換えるなら魂のレベルアップ。簡単ではないだろうが、やるしかない。それが務めなのだ。上げれば上げるほどハーレムも出来やすくなる気がする。いや、なる(確信)
ソラは俺の激励を受け、急速に意識を取り戻していく。焦点が合い、生気が戻る。しかし、相も変わらずぜいぜいと苦しそうな息遣いで、息遣いの合間に聞いてきた。
「理由って……なに……」
「守るものがあるだろう」
主にハーレムとか。
「……守るもの?」
ソラは理解出来てさそうな顔をした。
なんのこと?と言う顔。
「……兄さんが、守ればいいのに」
「俺もうすぐ家出るし。代わりにお前あれじゃん。あれであれじゃん。あれなんだから、いつまでも甘えるなよ」
語彙力を喪失しつつ、ちょっと厳しめに言ってやればどこか悔しそうな顔をする。
まだ7歳そこらなのに、こうして厳しい訓練を積む弟を不憫に思う。しかし今の内に苦しい思いをしておけば、将来ちょっとやそっとのことじゃへこたれなくなるだろう。
若いうちの苦労は買ってでもしろなんて言うけれど、言う通り、経験と言うのは年を重ねてから役に立つことが多い。年を取ると経験一つ積むのも億劫になるしな。
「もう少し付き合ってやるから頑張れよ。今の内に限界超えとけ。きっと役に立つ」
けれども弟は微動だにせず。
「根性ねえなあ」と苦笑して、この日の訓練は終わり。おつかれっしたー。
空を見るとまだ日はあるので何かする余裕はある。
何しよっかなー。魔力結晶作ろうかなー。ゴーレム増産しようかなー。全部かなー。
そんな感じで、ソラが回復するまでの間にこれからの予定を考えていると、突然背後でポンッと音がして、たくさんの人の気配が現れた。
これは誰かが《瞬間移動》した時の音だ。そもそもこんなすぐ近くまで俺が気づかないというのはあり得ないので、《瞬間移動》系のスキルが使われたのは想像に難くない。
どなたですかと振り返りつつ、気配で正体は分かっている。イリスだ。
「はぁ、はぁ……んぐ……」
振り返ってみれば、イリスはとんでもなく顔色が青かった。吐くのを我慢している顔。
すぐそこにソラが吐くもの吐いて横たわっているので運命的なものを感じる。さすがは婚約者ですね!
どうやら20人ぐらい一度に《瞬間移動》したようで、その分消耗も激しかったのだろう。原因は魔力切れ。
吐くか耐えるかどうするどうすると見守っていると、ついに決壊してやりおった。綺麗な顔から汚いゲロが溢れ出す。
美少女の汚物に価値はあるかと言われればないと思う。吐しゃ物は所詮吐しゃ物でしかない。ゲロの水たまりを見ながらそう思った。
「ありがとうイリス。あとはこちらでやります」
イリスの傍らには元婚約者――ノエルがいて、背中を擦りながら労わりの言葉をかけていた。
いつもの黒々とした顔の奥底に並々ならぬ物を感じ、どうやら何かあったらしいとゲロの臭いと共に異変をかぎ取った。
状況を確認すべく、隣領地のゴーレムを起動して情報収集を始める。
魔力ラインを通じて送られてくる情報には何も問題はないようだが、念のため全てのゴーレムを起動して臨戦態勢を敷く。
イリスが一緒に連れてきた人間を見渡せば、屋敷の使用人や警護の人間が主で、領主殿や母親など肝心な人たちの姿がない。それらの安否確認を優先する。
そのように俺が色々やっていることなど露知らず。
イリスのゲロが治まったところで、ノエルが立ち上がり歩み寄って来た。
その途中、未だに横たわっているソラをちらりと見て、正面から俺を見据える。眼鏡のレンズが日の光を浴びてきらりと光った。
「突然の訪問で申し訳ありません。あなたにお願いがあって参りました」
「聞こうかな」
大勢の人間が急に現れたことで玄関前が賑やかになった。警護の人間が大慌てで駆けつけ、使用人は騒然となった。
騒ぎを聞きつけた両親もすぐに駆けつけて、その中にノエルの姿を見つけるや顔を強張らせる。
「一体何事です?」
緊張した声音で母が問い、ノエルは母を一瞥してから俺に向き直り口を開く。
「お願いです。私の両親を、領地を、民を――恐らくはこの世界を、救ってください」
俺は片目を瞑る。
瞼の裏にゴーレムから送られてきた視覚情報が共有されて、領主殿を始めとした重要人物たちの安否を確認した。
「時間はあるかな」
「……わかりません」
「そう」
俺は彼女からそっと眼鏡を取り去り、彼女は俺の顔をじっと見つめ、ゆっくりと首肯した。
「それじゃあ話を聞こうか。冷たい物でも飲みながら」
時間はある。少なくとも、まだ少しだけ。
ならゆっくり話をしよう。何が起こってるのか、俺はまだ何一つ知らない。