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陽春、やがて曇りぬ5月 -3-

 5月5日。広告媒体としての2度目の試合。1対2で、再びサナは敗北をした。

 相手は壬生新撰組の沖田である、当然の結果だと、テツトは受け止めている。むしろ、1本取っていることに、驚いていた。


 試合終了の礼と握手を終えて踵を返すと、サナはテツトに見せるけるように握り拳を作った。敗北したというのに、表情は満足そうに膨らんでいる。お疲れさん、よくやったよとテツトは応えた。サナは三白眼を細めて、その言葉を受けたようだった。

 前日には東山界隈をナツミとともにひたすらに歩き、中でもサナはあちらこちらと興味のある処へと蝶々のように飛び回っていた。帰りの電車ではうとうとと眠りこけるほど疲れていたはずであるので、それを物ともせずに、彼女は全力で躍動していた。

 思い返せば、苦みもあるナツミとのデートであったが、二人とも満足そうにしていたので、テツトは飲んで、とかく言わないことに決めた。そして今日のサナの活躍で、さらに何も言えなくなった。

 蟠りは何をしても溶けず、澱みとなった心の底に沈んでいくようだった。


 壬生新撰組は、壬生寺周辺に納まらず、京都市内で広告媒体として使われている。行政にまで深く食い込み、隊士の浅黄のだんだら羽織姿で警察官を引き攣れて防犯パトロールを行っている姿がテレビで流されるのも度々である。

 彼らは週に一度は必ずどこかで試合を組まれる。相当の手練れであり、毎年府内のランキング上位に食い込んでいる。むしろ既定のランクから漏れた場合、引退であり、隊士の代替わりが行われる。

 沖田はその中でも、一番条件が厳しく求められる、いわばエリートである。4月初旬に深宮綾乃に敗北を喫していたのだが、あれは一つの事件でもあった。だからこそ、綾乃は次のステージにステップアップしたと、京都管轄局内では話題になった。


「疲れたから、負ぶってくれんか?」

「さっさと着替えてこい。タクシーで帰るから」

「はあい」


 黒の上下にオレンジのラインが入ったコスチューム。片桐ホールディングスが管轄しているフィットネスクラブのインストラクターの制服から調整されて作られていた。胸元には片桐ホールディングスのロゴがしっかりと施されている。

ノースリーブに膝頭が剥き出しなほど短いボトムであるが、サナは気に入っているようであった。


――動きの邪魔にならないし、身体にしっかりフィットしている。イイよ、とっても。


 試合前まで羽織っていた赤い長羽織を手渡すと、サナは更衣室へと向かっていった。テツトは彼女の汗が浮いた背中をしばらく見やってから、壬生新撰組へ挨拶に向かった。


 悪い条件の試合ではなかった。敗北に喫しても、将来につながることが見えていた。それは負けではない、とテツトは確信して、試合の契約書にサインをした。


「初陣を観させてもらったよ。彼女、ええな。動きがフレッシュや。何かやっとったのか?」


 壬生新撰組を統括しているという初老の男がそう切り出してきた。テツトは小さく首を振って応えた。実際に、サナから答えを引き出せていない。


「体幹がええ。頭の中のイメージに身体が追いついているんやろうな。弁慶はんの背中で倒立して、捻りを入れた着地を決めたのは、なかなかの白眉やわ。感心したよ」

「サナをおほめいただき、ありがとうございます。しかし、試合動画だけでそこまでわかりますか」

「そらそうよ。でなければ、新撰組の首は切れんよ」


 白い眉の下に控える瞳が刃のように光った。直ちにテツトは背筋を伸ばして居住まいを正した。その様子を確認した初老の男は、くつくつと軋んだ笑い声を鳴らしていた。


「面白い、ええ娘を見つけたな。コツコツやっとれば大成するやろう。なんたって試合がオモシロそうや。沖田相手に何を披露してくれるのか、楽しみにしとる」


 ファイトマネーは三千円。武蔵坊弁慶の五条橋組合の提示した金額はやはり祝儀だった。勝利者賞は一万円。これは壬生新撰組から出すとのことである。

 そして、ボーナスが提示された。サナが一本でも取れば、五千円。そして、一番につき、三分以上持てば、更に三千円が壬生新撰組から与えられる。


「よろしいのですか?」


 テツトが初老の男の眼を見つめて問う。


「君と秋庭佐那を気に入ったんだ。初陣の一試合で。空振りした白刃取りを含めて。だから、この条件で買うんや」


 男はテツトの瞳をまっすぐ見つめ返してきた。腰が引ける心地がしていた。


「その代わり、期待外れは勘弁してくれな」


 テツトは背筋を震わせながら、その言葉を受けた。


 5月5日の十四時開始。場所は壬生寺境内。三本勝負で、沖田は木刀、サナは墨竹扇堂より提供された扇による一打が決まれば、それが一本となることで決まった。


 果たしてサナは条件をクリアした。

 壬生寺境内が試合の場となった。サナはその場をいっぱいに使って、沖田の斬撃と、突きや胴払いを避けかわした。前宙で剣筋の上を越したかと思えば、べったりと胸をつけるようにして身を屈めさせて、刃をくぐる時もあった。

 苛立ちから沖田の太刀筋が粗くなっているのが、テツトにも判った。

サナはその沖田の背後へするりと忍び入り、ひょいと跳躍するや、肩車のような格好で沖田に乗りあがった。そして、腿で沖田の顔を締め付け固定するや、その場で腰を捻りながら背を仰け反らせて、両手を地につけさせた。沖田は勢いに流されてか、背中を酷い角度になるほど反らせた上に、両足が宙で弧を描いた。次の瞬間にはサナは膝立ち息を吐いていた。その背後で沖田はうつ伏せになって倒れていた。サナが悠々と沖田の元に歩いていき、ぽんと乗せるように扇で頭を叩く。

これで一本だった。


「どうせだったら、一本で一万円ぐらい欲しかったなあ」


 サナは帰りのタクシーの中で、そんなことを漏らしていた。


 二本目、三本目は沖田の面撃ちや胴払いが決まった。それでも三分以上も間、サナは動き続けた。それも同じ動きばかりがないようにと気を払っていたように、テツトには見受けられた。踵でスピンをするようにかわせば、沖田の股下を潜るようなスライディングも見せた。時間稼ぎのためならなんでもやっていた。


「今日の試合はやっぱり疲れたね」


 壬生新撰組を統括している初老の男も、驚いていた。


「期待以上だったよ。これはこれでもいい素材になるやろう。沖田にも課題が見えたやろうしな」


 そう言って、テツトと握手を交わした。ボーナスにおまけがついた一万五千円が取っ払いでテツトの手に渡った。


「二人が気に入ったからな。相談事があったら、ウチに来なさい。カネは貸せんけど、何かの足しにはなるよう力添えはしたる」

「ありがとうございます」


 テツトは深く頭を下げて、初老の男の手を強く握り込んでいた。

 しかし言葉とは裏腹に、この金額が、テツトにはとても軽く思えてしまっていた。


――もっとできるのではない。彼女は遊んでいるだけではないのか。


 その後、テツトとサナはあまり会話を交わさなかった。テツトには思う処があった。腕を組んで、そのことばかりを頭の中で巡らせていた。


――確かに、彼女は試合を楽しんでいる。広告媒体としての仕事も、楽しんでいるように見受けられる。


 家に帰った後も、無造作に放られた試合着を洗濯機に入れてた際も、夕食で卓越しに向き合っている最中も、喋らなかった。ただテツトは時折、サナの表情を盗み見ていた。

 三白眼なのには変わりはないが、柔らかさ、穏やかな匂いをテツトは感じ取っていた。


――私、京都に来てよかったわ。


 その言葉がテツトの耳奥で反響されていた。


食事の後片付けを済ませて、風呂の支度を終えた後、テツトは自室に戻らず、縁側で胡坐をかいて座り込んでいた。

月光と街灯の明かりをうけてぼうと浮かび上がる庭の輪郭を、眼差しを尖らせて睨む。大きな呼吸を繰り返して、心を落ち着かせようと試みる。幾度も繰り返すが、繰り返すほどに、サナの言葉と自身の疑念がぶつかり合い、テツトは奥歯をぎりりと軋ませた。


「どうしたの? 今日は」


 振り返れば、首にタオルをひっかけたサナが居た。風呂上りなのだろう。タンクトップのラフな格好をしている。


「――なあ、どうして京都に来たんや?」


 言葉が漏れていた。これでいい、と吐き出したことに気づいてから思った。


 サナは束の間だけ目を丸くさせてから、笑みを浮かべてこう応えた。


「テットが居るから。京都に来たんだよ」

「そういうのはええねん!」


 間髪を入れずにテツトは強い口調で返していた。出任せのごまかしのおべんちゃらとして、テツトは刹那の内に見切り、サナの言葉を断じていた。テツトはその奥にある真意を知りたかった。そこに自分が深入りしている理由もあるのではないかと算段した。


 サナの表情が強張った。じわりの三白眼が潤んでいるようにもテツトには見えた。そしてそれ以上に、鋭利に尖りを帯びているようだった。


「私が京都に来たのは、京都に来たかったから。それだけじゃ、いけない」


 サナの瞳がテツトを睨んでいる。真っすぐ捉えて逸らさない。刺し込むような眼差しであった。テツトは下唇を噛みながらこれに堪えた。


「私はね、どうしても、この条件で京都に来たかった。そして、ここに来る権利を勝ち得たの。私が自らのこの手で、条件を叶えるために必死と掴んだ権利なんだ。だから、ここに居る」


 堅い握り拳を作っていた。先に視線を外したのはテツトだった。作った拳で額を打ち、面伏せさせていく。


――何を考えているんや。


 サナの瞳が怖いと、テツトは奥歯を痛いほど噛み締めながら、震えていた。


「テット。ありがとう。ゴメンね」


 サナの柔らかい言葉が、テツトの心を圧してくるようだった。

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