陽春、やがて曇りぬ 4月 -3-
「うーん。正直言って、全く興味ない、かな」
トースターで温め直したコロッケを頬張りながら、サナはそう応えた。綾乃との試合の打診である。武蔵坊弁慶も京都府内では知られた名前であるが、見た目に野暮ったさがあり、華やかさに欠けるところがあった。
評判を聞く限りでは、なるほど悪いデビュー戦ではない。しかし、テツトには焦りがあった。もっと名前を売って、引き合いを出さなければと、そんな計算ばかりをしている。
サナと夕飯を摂りながら、話の主題は広告媒体としての活動方針ばかりである。父の秀幸や母の雪江は、今日も不在である。それぞれ、東京と岐阜で食事をとり、宿に泊まることが予めテツトに連絡が来ている。
二人だけで向き合って食事を摂る事にもすっかり慣れていた。サナもこのことに違和を抱いていないようで、三月末まで感じていたぎこちなさは、もう消えていた。
「女子高生対決ってだけで、格差は埋められないよ。方や京都のトップで、方は駆け出しのペーペー最底辺って」
「そこも合わせて。下剋上や。好きやろう、そういうの」
「別に下剋上が好きなんじゃない。勝負を仕掛ける気概が好きなの」
横浜から持ってきたや小説、戦国時代もののドラマを観るサナの姿をたびたび見かけていた。テツトの言葉に対して、インスタントの味噌汁を啜りながら、サナは取り付くシマのない言葉ばかりを返してくる。三白眼がいつもにも増して鋭く感じられた。
「そうは言ってもなあ」
奈良漬を齧りながら白米をもそもそと食していく。渋い味がしていた。父から資金として受けた百万円は、じりじりと削られていく。計算上では夏まで持たない。
「頑張るいうとってやないか」
「組まれたら、頑張るよ。でも、伸るか反るかはあるじゃん。頼られるのは好きだけど、当てにされんのは嫌い、みたいな」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ」
天井に向けた箸先で円を書きながら、サナは言った。
「反るといわれたもん、わざわざ組んでも仕方がないか。それに色々と大変だろうし」
「そうそう。ファイトマネーとか、勝利者賞の準備とか。ルール決めなんかでも、揉めそうじゃん」
「そらまあ、そうやろうなあ」
広告媒体として引っ張りだこの深宮綾乃である。それに昨年のデビューからの状況を鑑みると、バックには相当な企業がついていると容易に推測できる。
「それにホームランを期待されて打席に入っているワケじゃあないんだし」
「短く持ってコツコツと。明日の百円より今日の一円」
「わあ、みみっちい」
「いいから、さっさと食べんさい」
最後のコロッケをサナに促す。彼女は軽く手刀を切ってから、箸で摘まみ上げた。テツトは食後のほうじ茶の準備に台所に戻った。
お湯を沸かしながら、テツトは腕をくんで、やかんを見つめた。
――取り敢えず、来た話を確実に掴んでいく。やっぱり先ずはそこから、やろうな。
美容室とカメラマンの打ち合わせ日は決まった。メールでのやりとりだけではあるが、感じは好さそうだ。ともに広告媒体のために予算を組んでいたと確認している。
――深宮綾乃さんも検討していたのだけれども。
ともにそんな一文がちらと書いてあったのが気になるが、そういったおこぼれを拾っていくのも、大切な一つの営業であると、テツトは割り切っている。予算とスケジュール、それ競合との関係が折り合いがつかなかったとの旨である。
――ゴールデンウイークも、巧くスケジュール調整しておかないと。
ナツミとの約束もある。これからはカレンダーを睨みながらの算段が長くなりそうだと、ため息を吐いた。
居間で適当な時代劇専門チャンネルを流しながら、二人してお茶を啜る。
一服の区切りをつけてから、片づけを始めた。皿をもって台所に向かうと、トコトコとサナが後ろを着いてくる。料理はしないが、皿洗いや食卓の拭き掃除は手伝ってくれる。
「しかしホントにコロッケを買って来るなんてね。てっきり手作りのできたて揚げたてが食べられるかと期待していたのに」
「梅しんって店を指定おいて、よく言うわ。それにな、手間を考えたら、コロッケなんかは買うに限るんや」
「テットの手作りが、食べてみたかったの」
「よっぽどの時間があったらな。そしたら、検討しとく」
「ホント? じゃあその時を期待しとく」
他愛のない会話を交わしながら手を動かして、片づけを進めていく。最後に布巾を二つ、固く絞る。一つをサナに渡すと、彼女は食卓へと向かっていった。テツトは残りの一つで台所周りの拭き掃除をした。
目途をみて切り上げる。サナも台所に戻って来た。渡していた布巾を投げ返してくる。テツトは何も言わずこれを受け取って、布巾を水洗いして、干し台に引っ掛けた。
そのまま二人は「お休み」と声をかけて、各々の自室に入った。風呂の支度はできている。23時までにサナが入ることも決まっている。テツトは自室の机に向かい、パソコンのメールチェックを行った。
メールは三通届いていた。一つは片桐禎和氏からである。サナの試合用の装束を仕立てるため、今週の土曜日に採寸をしたいとの旨であった。場所は片桐ホールディングスのある四条烏丸であった。ちょうどいいとばかりに、すぐに了承の返事を送った。
もう一つは、サナのSNSの反応通知である。ハートのボタンを押された数や、コメントの数を教えてくれる。ぱっと見る限り、顔を渋くさせる数字が記されている。カエデがアップしたサナの十二単姿の写真の方が、まだ反応が良く、拡散もされている。
改めてサナのSNSを見直してみると、自分自身の姿を殆ど写さない。移ったとしても、見切れて顔の半分が事故のように入り込んでいるものが投稿されている。指南をしようにも、この手のことはテツトも苦手であった。
――カエデに相談してみるか。
頭を掻きながら、最後のメールを開く。試合の申し込みのメールだった。テツトは拳を作って静かに喜んだ。しかし、文面を読み進めるうちに、表情は曇っていく。相手は、壬生の新撰組だった。つい先日、沖田が綾乃に惨敗したのをすぐに思い出した。
――なんだよ。その八つ当たりやないか。
しかし新撰組との試合となれば、テレビが絡んでくるのが予測される。それにまだ一試合しかできていないサナに断りをいれるのは辛い。今後、試合の打診が届かなくなる可能性もあるからだ。
――条件次第やろうな。
試合のルールを取り決める打ち合わせが必ず設けられる。テツトは返信のメールを書き始めた。
その後、帳簿への転記や京都府内の広告媒体の活動を確認していれば、十二時をとうに過ぎていた。重たい身体を引き摺るように動かして、風呂場に向かう。
湯船につかりながら目を閉じてみると、そのまま朝を迎えてしまえそうなほどであった。
父の手伝いをしていた時もわたわたと毎日を忙しなく過ごしていたが、サナの面倒をみるようになったから、一週間が瞬く間に経つようになったとテツトは感じていた。
顎や頬を撫でさすってみれば、ざらざりと無精な髭が刺さっていた。
「身だしなみは大切だと思うよ」
起き抜けに洗面所で顔を合わせたサナに、そう窘められた。朝から少しばかり機嫌が悪くなった。彼女は相変わらず、五時に起きてのランニングを続けていた。一汗かいて、シャワーを浴びてさっぱりとした所だったのだろう。タンクトップのラフな格好で、口には歯ブラシをくわえていた。
土曜日になっていた。用事は立て込んでいる。とはいえども、サナを売り込む商談用事である。顔を洗うとともに、髭剃りを手に取った。顔を上げて、鏡に映る自身と相対する。僅かばかりではあるが、目下に黒い影のような色があった。いくども水をかけて、なんど強く擦り上げても、その色は消えなかった。
唸るような息を吐いた。
「どうしたの?」
「いや、大丈夫。何でもない」
最寄りのタオルをひったくるように手に取って、顔を痛いぐらい拭う。
――疲れている?
両手で頬を叩いた。ぱんと破裂音のように響いた。じりじりとした痛みが広がっていく。頬がゆっくりと赤に滲みだしていく。
――大丈夫。大丈夫。
鏡を見つめながら、そう言い聞かした。
まだ四月。こんな顔をしてはいけない。
テツトはそう自身を律しさせ、深呼吸をする。そうやって、腹の底で淀んでいる息を外に出さんと欲した。