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陽春、やがて曇りぬ 4月 -1-

 朝起きて、真っ先にメールを確認するようになった。東の空より届く陽光よりも、瞳に刺さるモニタのバックライトが、テツトにとっての朝の明かりとなっている。

 メールチェックとSNSの動向。京都市内の広告媒体の中心は、深宮綾乃にあった。サナの情報は殆どない。初陣とカエデが勝手にアップした和装の写真が数点ほど挙がっているだけである。

 サナにも積極的に投稿して欲しい旨は伝えてある。池田屋跡の居酒屋だとか、龍馬遭難跡の回転鮨屋といった京都観光地の写真が、自身の姿も見せずに雑にアップされるばかりであった。


――売り出さないかんのは、自分自身やぞ。


 テツトは頭を抱えながら、彼女の投稿を眺めていた。


――ありがとう。


 彼女はそう言った。テツトの胸の内に魚の骨のように引っ掛かり残っている。


――何でここまでやっているんだろうか。


 その日の夜、帳簿をつけながら、ふとそう思い、キーボードを叩く手が止まった。父に命じられたから。果たしてそれだけなのか。いや、それだけであって、ここまでしていいのだろうか。

 サナと格別深い思い出があるわけではない。十年前に両親の商談時間、遊び相手として付き合っただけに過ぎない。


 試合後から、サナに対しての反響はあった。


 墨竹扇堂の店主から声がかかり、市瀬呉服商を通して紹介を受けた。試合にどうぞと扇と扇子を提供された。また契約金としては、呉服商と同じく一万円で結んでもらえた。できる限り優雅に使ってもらえれば嬉しいと店主は注文を付けた。サナは頑張りますとだけ応えてこれを受けることにした。


 また他にも、烏丸五条上るに新規開店したばかりの美容室と、京北に住まいを構えているカメラマンからも連絡があった。まだメール上のやりとりしかできていないが、この休日に話をする運びとなっている。


 軌道に乗ったのか。それでもテツトの胸の内には不安しかない。


――ありがとう。


 彼女の掠れた声が反響している。その度に、自分を見つめさせられるよう。テツトは自身の表情に力みが籠るのを感じていた。


 抽斗の奥から、木箱を一つ取り出した。中には古裂に包まれた絵志野茶碗が納められている。罅がいくつも走り、色合いの違う陶片を継げた、茶碗だった。


 テツトが十歳の誕生日の時に、父から貰った茶碗である。

 もっとも、十歳の誕生日の日に、蔵に連れられていき、「好きなものを一つ選べ」と言われて、選んだ品である。その際、父秀幸は色のない無表情でテツトを見つめていた。母雪江は、はあと気怠そうな溜息を吐いていた。眼差しには憐憫か諦念かの景が含まれているようにテツトは感じていた。


 所々に解れのある古裂から取り出して、このモザイクのような茶碗を両手で包み持つ。手の納まりが肌に吸い付くように心地よかった。それは十歳の頃から変わらない。

 テツトは年に数度、こうやってからの茶碗を包み持ち、呼吸を整える時がある。タイミングは考えた時がない。自然と手が伸びて抽斗を開けて取り出している。喉奥に苦みを覚えながらも、茶碗を見つめて手の内に包み込んでいるだけで、その柔らかな触りと重みに、心を慰して染み入る何かを感じていた。


 スマホのアラームが鳴った。六時半を告げている。サナを起こして朝食の準備をする、テツトにとってには二番目に朝を感じる刻でもある。絵志野茶碗を木箱に直して、引き出しに戻す。呼吸を入れ替えて、朝の支度に向かっていった。


 授業の時間、テツトは板書を写しながらも、頭の中では営業のことばかりが支配していた。目に映る文字は認識できず、耳から入ってくる言葉はそのまま通り抜けていく。指されて、慌てて教科書のページを捲る時もしばしばあった。


 休憩時間の時だった。頬杖をついて窓の外へと視線を飛ばしていると、ジュンヤが肩を叩いた。目の下にうっすらと隈を作りながら、にやにやと湾曲の唇が気味の悪さを強くさせている。テツトは身を引かせながら、「どうした?」と応えた。


「特別価格、一枚千円で高解像度データをお渡し候」

「なんや、それ」


 ジュンヤが戯れな抑揚をつけてスマホを見せつけてきた。画面には先日のサナの初陣の写真が並んでいた。


「ある意味、裏もの。ビニ本、袋とじ、盗撮投稿的なヤツよ」

「管轄局外ってことやろ。それがホントなら、警察に突き出すからな」


 試合開始前の赤い長羽織姿から、武蔵坊弁慶の斬撃を側宙でかわしている、まさに頭が地に向けられているその最中をピタリと撮った写真であった。体操服姿というのは、裏モノのような匂いがするが、どれも初陣の時の一コマであった。下着が見えるものだとか、大股開きのような画像は一枚もない。画像を拡大させて、眼を凝らせて見やれば、陰影の強弱など加工の跡があった。


「やるなあ。キレイにできとるやん。SNSに流せばええやん」

「いやだなあ。それじゃあ、商売にならん」

「商売ってお前」

「十五枚セットで一万円でもええぞ。これをサナちゃんの販促にどうや」


 これのために徹夜までしたそうだ。鮮やかな色彩で躍動感の流れる瞬間を切り取った画像の数々にテツトは感心を頂きながらも、瞳には呆れを宿らせて、自慢気なジュンヤを睨んだ。


「写真もええけど、動画はないんか」

「欲張り屋さんめ。そもそも動画は撮っておらんよ。管轄局がアップしているヤツを編集していいなら、やってやらなくはない」

「そうか。まあ、判った。買うとこうか」


 財布を取り出して、壱万円札を取り出す。


「経費で落とせるんだろ?」

「私費流用」


 ぼそっとテツトが呟くように応えると、ジュンヤが表情を閉じさせた。


「管轄局に掛け合ったら、いい方法があるんちゃうか?」

「――どうやろうな?」


 テツトは首を傾げさせた。調べてはいるが、そのような手管は、未だ一度も見当たっていない。探しているだけで時間が過ぎていくことが惜しかったので、最近は手をつけていない。


「高い登録料を払っているんや。それぐらい、なんかアドバイスはもらえんとなあ。だから今日も、行こうや。管轄局。東華菜館すぐ隣。裏はフーゾク街の」

「それが目的かい。まあ、ありがとう。でもこれは貰っといてくれ」


 言いながらテツトは、ジュンヤの手に壱万円札を握らせた。


「なんか、この渡し方、やらしくないか?」

「そうなのか? なら上着のポケットに捻じ込んでやろうか?」


 ともに片桐禎和から受けたことがある。そのまま学校内教室で戯れ半分にやっているに過ぎない。


 ジュンヤは壱萬円札を眉間に皺を寄せながら、しばらく見つめていた。


「何、技術には本来、それ相応の手間賃を出すべきなんだよ。そのお代だと思って受け取ってくれよ」

「……そうか。ありがとうな。そうだとすると、安いかもしれんかもだけど」

「言い値は支払ろうたぞ」

「なら、もっと吹っ掛けておけばよかったな」

「そう言ってくれるなよ。有難く宣材に使うのと、サナのSNSにアップさせる。後、画像のデータを渡す前に、小さく薄くでもええから、自分の名前を入れときな」

「おう、判った」


 昼休みになった。同時にサナからメッセージが届けられた。カエデに捕獲されたそうで、これからこのまま市瀬呉服商に連行されるとの旨だった。読み終わった後に、カエデからも、サナを抱きしめている自撮り写真つきのメッセージが送られてきた。笑顔のカエデに対して、三白眼の目を泳がせるサナが印象的であった。


 ジュンヤは席に突っ伏している。眠ってでもいるのだろう。そもそも昼食を誘うにも、彼はいつもコンビニで安価の総菜パンとコーヒー牛乳だけで済ましている。

 テツトは教室を出て、食堂へと向かった。


 学生がわらわらと行きかう雑多な長廊下を歩き切り、階段を降り、渡り廊下へと進んで行く。


 重たい鉄扉を開いて、外に出る。ふわりと風が吹いた。微温さを覚えるゆっくりとした風だった。鼻の奥には青さを覚えた。校門前の桜並木はすっかり葉の色に染まっている。散った桜はどこへかひらひらと舞い飛んだのだろう。


「テツト君!」


 さわやかな声音が聞こえてきた。襟首あたりの所で切り揃えられた髪、すらりとしなやかに整った身体つき。白い肌に微かに赤らめた頬。切れ長の瞳。カーキー色のジャケット羽織ったナツミが居た。


「やっと学校で逢えたね」


 うらうらと柔らかな陽光を受けながら、テツトはまばゆく、同時に心の強張りをほぐしてくれるように感じられた。

 春色の香りにはときめきがあった。

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