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 高校生の時、私は母が駐車場で男とキスをしているのを目撃した。私のせいで部屋でいちゃつけないんだと思った。母はまだまだ若くて、高校生の娘がいるような年齢じゃない。

 それに贔屓目に見なくてもあからさまな美人だ。男が放っておくはずがない。ひょっとして私は邪魔者なんじゃないだろうか。

 義務感で拾ってはみたものの、後悔しているのでは。そんな思いで疑心暗鬼になっているとき、母と噛み合わない事が連続しておきた。そんな折、止めをさす事件が起こった。私がリビングで床に座り込み、教本を読んでいた時だ。

「お、頑張ってるねぇ、何勉強してんだ?」

「ん? トラックの免許の取り方」

「はあ?」

 母の声があからさまに不機嫌になった。私は横に立っている母を見上げた。眉毛を互い違いにしている。キレかかっている時のしぐさだ。

「お前大学は」

「いかないよ」

 今度は口を開けて唖然としながら目を白黒させている。

「お、お、おま……」

 私は一刻も早く自立して家を出たかった。私は母の人生の重荷になっている。大学に行けばお金がかかるし、お母さんだっておちおち結婚もしてられない。女の幸せを諦めてまで他人の子を育てなきゃいけない理由なんてない。開放してあげなきゃいけないとそんな事ばかり考えていた。

「大丈夫、バイトで溜めたお金があるから、準中型から始めてステップアップするんだ」

「そういう問題じゃねーよ、なんでそんな事黙って決めんだよ!」

「自分の人生は自分で決めろって行ったのお母さんじゃん」

「それは大学行ってからでも遅くねーだろ!」

「お母さんだって行ってないじゃん!」

「そりゃバカだからだよ、ほっとけ! お前は頭いいだろ、それによりによってトラックってあぶねーだろ、年間に何人かは死ぬんだぞ」

「じゃあお母さんは?」

 私は感情が高ぶって涙を溢れさせつつ、立ち上がって母に迫った。

「あたしはいつ死ぬかわからない母親を家で待ってなきゃいけないの? ねぇ!」

「そりゃぁおまえ、安全には細心の注意払ってるから大丈夫なんだよ!」

「じゃああたしもそうする!」

「バカヤロウ、事故るのはなぁ、だいたい免許とって1年とか2年なんだよ、職業なら一日中乗ってるし高速もあるしなおさらなんだ!」

「お母さんだって通った道じゃん!」

「いちいち口答えするなあ!」

 母は手を振り上げた。私はまんじりともせず母の目を見た。

「殴るの?」

 母は手を振り上げたままわなわなと震えた後、手を下ろして目を逸らした。私は本とペンをさっと片付けると、自分の部屋に戻った。そして思いつくものを適当に鞄に入れて再び部屋を出た。

 廊下を歩いて玄関で靴を履いていると、リビングから母が顔を出した。

「おい、どこへいく」

 私は振り返って母を一瞥すると、玄関から出た。駅までぶらぶら歩きながらまた泣いた。なんでこうなるんだろう。

 おりしも季節は夏休み。私は友達の家を一晩づつ渡り歩いた。しかし直ぐに人材不足に陥って貯金をおろした。

 始めてネットカフェに登録し、部屋を借りた。母が心配だった。スマホを手の中で遊ばせながら眺めた。思い切って電源を入れてみると、案の定、不在着信とLINEとメールの山が溜まっていた

 あの母の事だ。直ぐに昔お世話になった警察官泣きついたに違いない。けど知っている。娘の家出ぐらいじゃ警察は動かない。そう高をくくってはいるが、家出して母親に心配かけるなんて愚かで身勝手な事だとわかっている。

 でもどうしたらいいのか自分でもわからない。正体不明のもやもやがあって、不安でしょうがないんだ。血の繋がった親子なら違ったのかなぁ。

 私はネカフェでネットしたり面白そうな漫画を探して読んだり、映画を見たりした。運よく面白い作品に行き当たると、嫌な事は忘れられた。だから、サワリを読んだり見たりしながら次々と作品を漁った。


 ネカフェでは時間の感覚が狂う。薄暗く、変化のないフロアでは、気をつけて時計を見ていないと、日付が変わったのもわからない。

 3日は経ったろうか、日付を確認するのも無駄だと思えてきたある日、ドリンクバーでコーンスープを注いでいるとき、背後に気配がした。

「ねえ、ここ何日かずっといるよね」

 慌てて振り返ると、細身で背が高く、もっさりとした前髪をしていて、眼鏡をかけた細い目の男が立っていた。あまりの近さと大きさに鳥肌が立った。男が肩に手を置いた。

「高校生? 家出したの?」

 体が震えてだんだん振動のようになってきた。

「おや、震えてるね、どうしたの」

 私はスープを投げ出し、男を突き飛ばして逃げだした。慌ててスリッパごと自分の部屋に入ると、引き戸を閉めて手で押さえた。しばらくすると、ドアが開く方向に力がかかった。私は必死で抑えたが当然相手の力の方が強い。上着で目隠しした小窓を見上げた。その向こうにあの男がいるかと思うとまた鳥肌が立った。

 無情にも引き戸は抗いようのない力で開き始めた。10cmほど開いて戸の縁に手がかかった時、私はあきらめて飛びのいた。そして得意技の亀になった。

「愛!」

 あれっと思った。母の声だったからだ。私は顔を上げた。母だった。まん丸な目をして肩で息をしている。なんでここにいるかは解らないが、怒鳴られると思った。だが母はよろよろと崩れ落ちて膝をついた。

 意外な事に母はかすれた声を上げて泣き始めた。男相手に一歩も引かない泣く子も黙る理紗さんがだ。

「ひーん」と泣くあまりにも弱々しい母に胸が痛んだ。母はぐしょぐしょの顔で這ってくると、私を起こして抱きしめた。

「じんばいじだんだ、だにがあっだのがどおもっで、攫われたんじゃないがっで」

 私も母の背中に手を回した。

「ごめん」

 母はただ泣いて抱きしめただけでほかは何も言わなかった。後でわかったのだが、母は私の手配書を大量に刷って、ビジネスホテルやラブホテル、民宿など、泊まれそうな所に配りまくったそうだ。最悪の事も考えて病院にも。

 私の首にかかった賞金は10万円。それでも見つからなければ額を上げるつもりだったらしい。やりすぎだ、母よ。

 私は母と、久しぶりに手を繋いで家に向かって歩いた。

「ねえお母さん」

「ん、なんだ」

「あたしやっぱ大学行くわ」

 ふと口をついて出た。私がちょっと離れてただけでキャラが崩壊するぐらいだ。自立するのはもっと先でいいと思った。

「へぇ、どういった気の変わりようだ?」

「あたしが事故で死んだらお母さん壊れそうだもん」

「あたしのせいかよ」

 しばらくの沈黙の後、母は言った。

「どうして一本立ちを急いだんだ?」

 私は迷ったが今さら隠してもしょうがない。

「あたしがいたんじゃ彼氏を部屋に呼べないでしょ」

「は? 何の話だよ」

私は意地悪くニヤついた。

「あたし見たもん、送ってもらった男の人とキスしてるの」

 母は腕組みして頭を捻ったあと、はたと思い当たったようだ。

「あ、ああ、あれはお試ししてみただけだ」

「お試し?」

「男っぷりを見るためにちょっと餌やって軽く縛ってみただけだ」

「うへ、汚い大人だ」

「何が汚いんだ、この歳になったら結婚考えるだろ、慎重にもなるさ、それにお前に紹介出来ないような男は願い下げだよ」

 全て私の杞憂だった。私のために自分を犠牲にしてるだなんてとんだ自意識過剰だった。まばゆい夕日が目に突き刺さって止まっていた体内時計が動き出した。

 私はジャンプして母の前に躍り出た。

「あたし妹がいい!」

「だからその前の段階なんだよ! 悪かったな!」

 大声で笑ってやった。私は決意した。いい大学に行って、良いところに就職して、母がトラックを降りても養っていけるぐらい稼ごう。彼氏いない歴数年。理想の高い母がもし、シングルマザーになるようなことがあったとしても。

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