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陽炎

 私は母と暮らし始めた頃の事を昨日のように思い出していた。その頃、母とトラックの前で撮った写真がでてきたからだ。最近仕事やいろんな準備に忙殺されてこんな気持ちを忘れていた。私は押入れの奥に仕舞ってあるランドセルを出してきて、背負ってみた。そのままの格好で同じ場所にある平たい箱を開けた。母の似顔絵や皺だらけのプリントが入っている。一枚一枚取り出して眺めた。

 小学生時代の後半は本当に幸せだった。母が母でよかった。でも中学生になったある時ふと疑問に思った事があった。何故私を拾ったのかだ。私はそれとなく聞いてみた。


「ねえ、お母さん、なんであたしを拾ってくれたの?」

「ん? なんだ突然」

「いや、なんとなく」

「んーあーなんつーか、あたしの母親がな」

「よしのさんがどうかしたの?」

 祖母にあたる高田よしのは若くてほがらかで料理が上手だ。そのせいで母も料理が上手い。

「んあー、言ってなかったっけな」

「何を?」

 私はアイロンがけしながら、母はソファーでコーヒーをがぶ飲みして煙草を吸いたい気持ちと戦っていた。久しぶりの休みでする事がないと余計吸いたいらしかった。

「ドライブでも行くか」


 私はわけもわからずミニバンに乗って。母と一緒に出かけた。もとより方向音痴の私は何処へ向かっているのか解らなかったが、1時間ほどで大きな池の周りの道に辿りついた。途中から山手に曲がったが、その曲がり角に御池霊園と書いてあった。

 誰かの墓があるんだろうか。関連性が見えない。やがて広い駐車場に辿りついたが、目の前の斜面には岡の頂上まで整然と墓が並んでいる。

 車を降りた母は気が進まなそうにジーパンのポケットに両手を突っ込むと、坂を上り始めた。墓石群の一番左に車道があってそのさらに左は山肌だった。力なく歩く母の後ろをついていくと、ふと母が足を止めた。

 そして2,3歩戻り斜面に向いた。私は動きに合せて母の周りをうろうろした。母は咲いていた名前のわからない花を摘んだ。再び歩き始めた母は、親指と人差し指で茎をきりもみにして花を回していた。その後すぐに墓石が並ぶ小道に入った。そしてある墓の前に立った。

 古市家の墓と書いてある。母は投げやりにぽいっと花を供えた。そして私に顔を向けて死んだような目で言った。

「これあたしの母親」

「えっ」

 言葉が出なかった。じゃあ高田よしのさんは? でもなんとなく頭の隅で答えが出かかっていた。母はこう話してくれた。


 あたしも母子家庭だったんだ。お察しだと思うが母ちゃんは私が物心つく頃にはあたしを虐待していたんだ。自分を捨てた父親にそっくりなんだと。それで憎たらしいんだって。

 そんなの知るかよ。それでもあたしにとっては母ちゃんしかいないってんで構ってチャン全開なわけよ。すると余計殴られるんだなこれが。バカだね。

 うるさいからと冬空の下でベランダに出されたり。んで泣き喚いてたら隣の爺ちゃんが抗議しにきてくれたりするわけよ。そこがおまえと違う所かな。この時はな。

 車で2時間の距離の叔母も、ある時虐待に気づいて注意してくれたりもした。今思えばな、ちょっと母ちゃんおかしかったかもな。病気だったかもしんねぇ。んで隣の爺ちゃんが死んだのを機に段々虐待が激しくなってな、こりゃやべぇなってとこまで来ちまったんだ。そん時かな、本当に母ちゃんが悪魔のように見えて嫌いになっちゃったの。

 でもそのうち段々家に帰らなくなってな、その頃から借金取りとかが来るわけよ。金返せって。いやどうしろってんだよ。で、余計家には寄り付かなくなって、ついに家に帰らなくなった。冷蔵庫の食料はなくなり、電気も水道もガスも止まって、真っ暗な台所の隅っこでインスタントラーメンポリポリかじったり、米びつの米ポリポリかじったり。不思議なもんでよ、そんなんでもだんだん美味しくなってくんだよ。でもそれも底をついちまってな、まいったぜ。あとはひたすら腹が減らないようにじっとしてたわけだ。


 母は私に向き直った。

「あたしが後輩達とコンビニに行ったらお前がいたな、こう、膝を抱えて」

 母は腕を組んで顔を埋めた。私は頷いた。

「ありゃそんときのあたしだ」

 私はあの時の気持ちを思い出し、また母のエピソードを聞いてその気持ちが痛いほどわかって、涙が溢れた。

「ちなみにあたしは病院で目が覚めたんだがな、あのままだとおまえもそうなっていたろうよ、あたしの順番が回ってきたと思ったんだ、知らん顔できるわけねーだろ、自分もそうだったんだから」

 神様の巡り合わせだと思った。奇跡以外の何物でもない。

「で、でもじゃあよしのさんは」

「叔母だ、瀕死のあたしを発見してくれた」

 よしのさんは一度結婚に失敗しているが、たしか40台で彼氏もいる。どおりで年齢的に釈然としなかったわけだ。

「この女ね、あたしをすてて、借金してまで男に貢いで捨てられたんだって、それで希望を失ってこんなことになってんだろな、可哀想だよな」

 言葉のニュアンスで自殺したんだと想像させた。私はしゃがんで手を合わせたが、母は突っ立ったままだった。手を合わせるでもないのに、どうしてわざわざ私を連れてここまで来たんだろう。

 たった一輪供えた花に、母はどういう想いを込めたんだろう。

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